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きなこもち
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#サレ妻
都築七美
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それから数日。一花の職場を取り巻く状況は、目に見えて悪くなっていった。
きっかけは、SNSに新しく投稿された一枚の写真だった。
ドラッグストアの制服を着き、棚に商品を並べている一花の横顔。マスクをしていても、頬から首元へ残る火傷痕までは隠しきれていない。
《例の○○区ストーカー放火事件の被害者、現在はこの店で働いてるらしい》
ドラッグストアの制服姿で、棚に商品を並べている一花を、少し離れた場所から撮った写真だった。
マスクで顔の半分は隠れている。それでも、頬から首元へ残る火傷痕までは隠しきれていない。
いつ、誰に撮られたのか。一花にはまるで心当たりがなかった。
けれど、その投稿が広まってから、店内の空気はさらに変わった。
買い物をするでもなく売り場をうろつき、一花を遠巻きに眺める客が現れるようになったのだ。
「……あの人?」
「写真より、結構ひどいね」
聞こえないようにしているつもりなのだろう。
けれど、すぐ近くを通れば、その声は嫌でも耳に入る。
一花は何も聞こえなかったふりをして、レジに立ち続けた。
逃げるようにバックヤードへ引っ込めば、それこそ自分が何か悪いことをしたような気がしてしまう。
だが、騒ぎは店内だけでは収まらなかった。
「桜井さん、ちょっといいかな」
ある日の勤務中、田中に呼ばれ、一花は事務所へ向かった。
いつも穏やかな田中の顔には、はっきりと疲れが滲んでいる。
「……何かありましたか?」
「実はね、ここ数日、お店に電話が何件か入ってて」
一花の胸が嫌な音を立てる。
「電話……?」
「君のことなんだ」
田中は言いにくそうに眼鏡の位置を直した。
「『風俗で働いていた人を接客に立たせて大丈夫なのか』とか、『事件に関係してる人がいる店に子どもを連れて行きたくない』とか……」
「そんな……」
喉の奥が詰まる。
「もちろん、僕はネットに書かれてることが本当だなんて思ってないよ」
田中はすぐに言葉を重ねた。
「桜井さんがどんなふうに働いてきたか、ずっと見てきたから」
「店長……」
「ただ、本部にも直接苦情が入ってるみたいでね」
田中の声が沈む。
「騒ぎが落ち着くまで、店頭勤務から外せないかって」
「それと……今後の勤務について、一度本人と話し合ってほしいって言われてる」
一花は膝の上で両手を握った。
三年間働いてきた。
最初はパートで、少しずつ仕事を覚え、ようやく正社員になった。
顔馴染みの客も増えた。
田中に「頼りにしている」と言ってもらえたことも、嬉しかった。
ここはただ給料をもらうためだけの場所ではない。
一花が自分の力で築いてきた、大切な居場所だった。
「……私、辞めなきゃいけないんでしょうか」
「違う」
田中は強く首を振る。
「少なくとも、僕は辞めてほしいなんて思ってない」
「本部だって、今すぐ辞めろと言ってるわけじゃないんだ。ただ……」
その先を、田中は言えなかった。
言われなくても分かる。
自分がここにいる限り、店への電話は続くかもしれない。面白半分に見に来る人間も、もっと増えるかもしれない。
同僚たちまで巻き込まれる。
田中も、これから何度同じ説明をしなければならないのか分からない。
一花は俯いたまま、しばらく何も言えなかった。
それから数日後。
一花は、自分から退職を申し出た。
「そんなのおかしいっすよ」
話を聞いた小野寺が、珍しく声を荒らげる。
「悪いの桜井さんじゃないじゃないですか」
「嘘書いたやつらのせいなのに、なんで桜井さんが辞めなきゃいけないんすか」
「……うん」
一花は少しだけ笑った。
「私も、そう思う」
できることなら、辞めたくなかった。
悔しい。どうして自分が、と何度も思った。
それでも、自分が働き続けることで、この店まで晒され続けるのはもっとつらかった。
「でも、これ以上みんなに迷惑かけたくないから」
「迷惑なんて……」
「ありがとう、小野寺くん」
一花がそう言うと、小野寺は口をつぐんだ。
ロッカーから私物を取り出し、最後にバックヤードを振り返る。
今日で終わりだと思うと、見慣れたはずの場所が急によそよそしく見えた。
「桜井さん」
田中が、店の奥から一花を呼び止める。
「また落ち着いたら……いつでも顔を見せに来て」
一花は喉の奥に込み上げるものを押し込み、笑った。
「……はい」
自動ドアを抜ける。
三年間、何度も「行ってきます」と家を出て向かった場所だった。
そこへ、もう明日から来ることはない。
その事実が、店の明かりから離れていくほど、胸に染みて広がっていった。
仮住まいへ戻った一花は、バッグを床へ置くと、そのままソファへ腰を下ろした。
仕事を失ったことをまだうまく受け止められないまま、ぼんやりとスマートフォンを握る。
画面には、俊介とのメッセージ画面が開かれていた。
ここ数日、まともな会話すらできていない。
それでも、奈緒のことは話さなければならなかった。
俊介に反対されたにもかかわらず、水野と面会したことも。
怒られるかもしれない。
どうして勝手なことをしたんだと責められるかもしれない。
それでも、あの面会で分かったことがある。
奈緒が水野へ自分の情報を流していたこと。その奈緒の背後に、さらに三枝という女がいたこと。
もう、黙っているわけにはいかなかった。
一花は何度か文章を打っては消し、最後には短い言葉だけを送った。
《今夜、絶対に時間を取ってほしい。話したいことがある》
送信済みの表示を見つめる。
しばらく待っても、既読はつかなかった。
夜が深くなった頃、玄関の鍵が回る音がした。
一花はソファから立ち上がる。
戻ってきた俊介は疲れ切った顔をしていて、一花と目が合っても、ほとんど表情を変えなかった。
「おかえり」
「ああ」
短い返事だけを残して、俊介は靴を脱ぐ。
一花はその背中を追うように、リビングへ戻った。
「メッセージ、見た?」
「見た」
「話したいことがあるの」
俊介は上着を脱ぎながら、「うん」とだけ返した。
聞く気があるのかないのか、その横顔からは何も読み取れない。
一花は不安を押し込め、向かいのソファへ座る。
「……まず、怒らないで聞いてほしいんだけど」
俊介は返事をしなかった。
ソファに座ったまま、ぼんやりと一点を見つめている。
「俊介?」
「……うん」
「聞いてる?」
「うん」
その返事にも、どこか心がない。
一花が眉を寄せた、その時だった。
「……本当に、一方的だったのか?」
唐突な言葉に、一花は目を瞬いた。
「え?」
俊介はようやく一花へ視線を向ける。
けれど、その目にあるのは、話を聞こうとする色ではなかった。
「水野のことだよ」
一花の胸に、嫌なざわめきが広がる。
「どういう意味……?」
「本当は、俺に言えない関係だったんじゃないのか?」
コメント
1件
うわぁ……読んでて胸がぎゅってなった😢 SNSに写真あげられただけで、一花ちゃんが働き続けられなくなっていくの、理不尽すぎてつらかった。田中店長が「辞めてほしくない」って言ってくれたのに、自分から辞めるしかなかったの、めっちゃ切ない。小野寺くんの怒りが救いだったな。最後、俊介が「一方的だったのか?」って……え、そう来るの?!一花ちゃんがちゃんと話そうとしてたのに、その疑いはあんまりだよ〜。続きが気になりすぎる!