テラーノベル
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レッスン当初から見せていた、顰めたような困惑したような複雑な表情を浮かべ始めた事を、侑は見逃さなかった。
『…………お前、今日ここに来た時から浮かない顔をしてるが、何かあったのか?』
『い、いえ。何でもないです』
瑠衣が笑みを湛えているが、侑には無理矢理作って見せているように感じる。
だが彼女は何でもない、と言っているのだから、突っ込む事は言わない方がいいのだろう、と考えた。
レッスン室に重苦しい空気が漂い、師匠と弟子は沈黙したままの状態。
その空気を打ち消したのは、恩師の侑だった。
『俺は四月からオーストリアに移住する』
そう言うと、すぐ横にあるV.B社製のトランペットケースを膝の上に置き、瑠衣へ面差しを向ける。
『この楽器は、俺が大学時代に使っていたトランペットだ。生産終了モデルだが、購入当時は一応V.B社のモデルでも一番グレードの高かった楽器だ。この楽器を、大学院へ進学するお前に託す』
言いながら楽器ケースを開くと、しっかりと手入れが施されてある金メッキのトランペットが煌々と輝きを放っている。
しかし、瑠衣の表情は嬉しそうでもあり、やはりと言うべきか困惑しているような表情もチラリと覗かせ、顔を歪ませている。
『この楽器…………私が頂いていいんですか?』
『ああ。俺に憧れているヤツに吹いてもらったら、楽器も喜ぶだろう』
侑は楽器ケースを閉じると、両手で瑠衣にそれを手渡すと、彼女が徐に顔をクシャクシャにさせ、目尻から雫が零れ落ち、頬を伝った。
『響野先生…………四年間……本当に……本当に…………ありがとう……ござい……まし……た……。この楽器…………大切にします……』
起立して楽器ケースを大切そうに持ち上げ、深々と一礼する瑠衣。
泣き笑いの表情にも見えたが、どこか悲しげで何かに絶望したような面持ちを見せている瑠衣に、不覚にも侑は、胸の奥が鷲掴みされたように苦しくなっていた事に気付いた。
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