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昔、ある少女がこう言いました。
『エルフさんは、とっても美しい人間さんです。ですが、一生お国から出られないように、ちゃあんと教育されているんです』
無邪気な少女は、まるで秘密の遊びを教えるように、声を潜めてこう続けました。
『だから、黒髪赤眼のエルフさんには気を付けてください。見つかったら最後、魂まで食べられてしまいますから』
鈴の鳴るような笑い声を残し、少女は霧の向こうへと去って行きました。
深い闇に取り残されたアルベルトは、追いかけることも、声をかけることもできず、ただ遠ざかる少女の背中を、焼けるような視線で見つめることしかできませんでした。
いつの間にか、隣に立った少女が虚ろな瞳でこう言います。
『飛べないカラスは、ただの不良品。捨ててしまいましょう。飛べるカラスは、ユウノウの証。ダイジにメでてあげましょう。飛べないカラスは、イらなイコ。二度とアイされることはないでしょう』
少女は淡々と、壊れた蓄音機のように同じ言葉を繰り返す。
そして。
『クロカミアカメのエルフはフキツなサイン。コロしてしまいましょう。コロしましょう。コロしましょう。…ねえ、イらなイコ。イらなイコ。イらなイコ。イ@な❋コ。@#&イコ…』
次第に少女の声はノイズに混じり、形を失っていく。
とうとう少女の姿が霧のように消えたとき、アルベルトの耳の奥には、湿った笑い声だけが残っていました。
◇
跳ね起きると、視界に入ったのは見慣れた自室の天井だった。
喉はカラカラに乾き、背中には嫌な汗が張り付いている。
『クロカミアカメのエルフは、コロしてしまいましょう』
耳の奥で、まだ悪夢の残響が毒のように囁いていた。
アルベルトはシーツの上でギュッと拳を握りしめ、肺に溜まった澱を吐き出すように深く、長く、呼吸を整える。
…リリアーナは、そんな子じゃない。
確かに彼女は不思議なほど強く、その力は禍々しささえ孕んでいる。
けれど、フィオナの抱擁に顔を赤らめ、ユリウスの料理に「美味しい」と素直にお礼を言える、そんな少女なのだ。
出会ってまだ3日にも満たない。
それでも、誰よりも近くで彼女を見てきた自分の目が、この直感が、あの悪夢なんかよりもずっと信じるに値すると、彼は無意識に確信していた。
窓の外はまだ深い夜の底にあり、世界は冷たい闇に塗り潰されている。
冬の入り口のような、刺すような冷気が寝室の隅々にまで忍び込んでいた。
「はぁ、起きるか…」
口を突いて出たのは、自分でも驚くほど重く、湿った溜息だった。
最強の一角と謳われる自分が、たかが悪夢一つでここまで取り乱すとは。自嘲気味に自問自答を繰り返していた、その時だった。
静寂を切り裂くように、控えめな、けれどはっきりとしたノックの音が部屋に響いた。
「大丈夫…?」
無機質で、けれどどこか平穏を感じさせる声。
扉を開けると、そこにはナイトドレスの上にショールを羽織ったリリアーナが立っていた。
悪夢の中の少女が言っていた「黒髪赤眼のエルフ」。けれど、彼女の瞳に宿っているのは冷酷な殺意ではなく、アルベルトを気遣うような、静かな光だった。
「リリアーナ…どうしてここに」
「…魔力が、揺らいでる。廊下まで、漏れてたよ…?」
彼女の指摘に、アルベルトはハッとした。
無意識のうちに、自分の中から制御を失った魔力が溢れ出していたのだ。SSランクである自分の魔力が、夢一つで乱れるなどあってはならないことだった。
それをわざわざ見に来た彼女の鋭さと、放っておけなかったであろう不器用な優しさに、アルベルトの強張っていた肩の力がふっと抜けた。
「ありがとう。…寒かっただろう、中に入って」
「あ、うん。ありがとう」
アルベルトは彼女を部屋に招き入れ、ソファに座らせた。
「昨日の君、凄かったよ」
ふと思い返し、アルベルトはくすくすと笑い声を漏らした。
闇魔法で、ゴブリンとオークの群れを圧倒したあの瞬間。
『…さて。これで私の価値は、貴方達の物差しで測れたかな?』
彼女が言ったその言葉は、冷たく尖ったような言葉。
突き放すような、冷たく尖った言葉。けれど、あの時アルベルトが『ああ、君は凄いな』と本心を伝えると、彼女の纏う棘が、ほんの少しだけ丸くなったのをアルベルトは見逃さなかった。
「え、あ、普通だよ。あんなの」
想定外の称賛に戸惑ったのか、リリアーナは視線を泳がせる。
「今日の君は表情豊かだね」
そう言うと、彼女は「えっ」と目を見開き、自分の頬をペタペタと両手で触りながら、不思議そうに首を傾げていた。
「ここの生活には慣れたかな?」
「はい…、お陰様で」
リリアーナは何かを言いかけては飲み込み、迷うようにアルベルトの顔をじっと見つめている。
「どうしたの?」
努めて優しく問いかけると、彼女はポツリと、確信を突くような言葉を口にした。
「…悪夢でも、見たの?」
アルベルトの心臓が、ドクンと嫌な跳ね方をした。
なぜ彼女がそれを知っているのか。一瞬、喉の奥に冷たい不信感がよぎる。…だが、それを打ち消したのは、リリアーナの自嘲気味な告白だった。
「私、いつも悪夢を見るから。暗くて、痛くて、苦しくて…でも、起きた時には何も覚えていないの。ただ、重苦しい感情だけが、泥みたいに心に残っているだけ」
淡々と語られる彼女の「日常」に、アルベルトは胸を締め付けられるような思いがした。
不信感などどこかへ消え、気づけば彼は、痛ましさに耐えかねるようにリリアーナの頭へと手を伸ばし、優しく撫でていた。
「なんの真似…?」
「ただの、おまじないだよ。君を元気づけるためのね」
リリアーナは不思議そうに目を丸くし、「そう…」と小さく呟いて、その大きな掌の温もりを拒むことなく受け入れていた。
「君の言う通り、俺は悪夢を見たのさ。『黒髪赤眼のエルフは、殺してしまいましょう』と囁かれる夢をね」
あえて正直に打ち明けると、彼女は意外にも、ただ淡々と「そう」と頷くだけだった。その反応は、まるでそんな言葉を浴びることに慣れきっているかのようで。
「…もし、良ければさ、黒髪赤眼のエルフがそう言われる意味を―」
もう少しだけ、彼女の側にいたい。そう思ったアルベルトの言葉を遮るように、リリアーナは勢いよく立ち上がった。
「…私、もう自室に帰るね」
拒絶、というよりは、何かから逃げ出すような慌て方だった。
少し驚いたが、アルベルトは努めて穏やかに頷いた。
「そうだね、夜更かしは毒だ。じゃあ、また明日の朝に」
リリアーナは逃げるように部屋を飛び出していった。
一人残されたアルベルトは、ベッドに身を投げ出し、暗い天井を見つめた。
…『黒髪赤眼のエルフ』。あの悪夢と、彼女の過去にはどんな繋がりがあるんだろうか…。
リリアーナは、あの悪夢の意味を知っている。確信に近い予感があった。
けれど、今はまだ出会って数日。彼女がその重い口を開くには、あまりに時間が足りなすぎる。
「いつか、君の口から教えてくれると嬉しいな」
そう独り言で、アルベルトは今度こそ、穏やかな眠りへと意識を沈めていった。
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奏多
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