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第8話:消えた文字
その朝、ユイは珍しく寝ぐせを気にせずに登校した。
髪の一部が軽く跳ねたまま、いつもより無表情で歩く。
薄めのピンクリップだけが、顔色に浮かんでいた。
制服のリボンはゆるく結ばれ、持っていたトートバッグには、折れ曲がったノートが無造作に突っ込まれている。
1限目の現代文。提出課題のプリントが入っているはずのノートを開いたとき、ユイの目が見開かれた。
「……ない」
真っ白だった。
何十ページにもわたって書き込んだはずの文字が、まるで初めから何も書かれていなかったかのように消えていた。
「ボールペンのインク……? いや、鉛筆で書いたとこも……」
まるで、ノートが“記憶喪失”にでもなったようだった。
昼休み、ひとり校舎裏に出て、ユイはそっと財布を開いた。
“まるいもの”の模様は、本の形。ページの中心が光っていて、左右の文字が消えている。
「また……」
ユイの手が、ひとりでにノートをめくる。
空白になったページの中に、うっすらと、かつての言葉が浮かんで見えた。
『やっぱり、あのとき謝ればよかった』
『どうせ伝わらないって思ってた』
それは文字ではなかった。
ユイが、かつて書こうとして、書けなかった“気持ちの断片”だった。
ページを閉じて顔を上げると、風がひと吹き髪をなでた。
遠くで誰かが部活の声を上げている。
「……あのときの自分に、言ってあげたいな」
その瞬間、ポケットの中で“まるいもの”が柔らかく光った。
ノートを開くと、数行の字が戻っていた。
けれど、正確な言葉は少し違っていた。
『ちゃんと伝えてよかった。言えなくても、大事だった』
ユイはふっと笑った。
小さな間違いのままでも、それでよかったのかもしれない。