「なに……してるの?」
あきらが目を丸くする。
いい理由が思いつかない俺は、手に持っている買い物袋を持ち上げて見せた。
「買い物……?」
せめて紙袋なら格好もつく。
が、俺が手にしているのはスーパーの半透明のビニール袋。インスタントラーメンの味噌を象徴するオレンジ色が透けて見えている。
地下鉄を乗り継いで買いに来るものじゃあない。
「大和さん?」
お見通しのようだ。
俺は腹を括って正直に言った。
「会いたくて……、迎えに来た」
ドン引きされてもおかしくないのは自覚している。が、あきらは目尻を下げて、呆れたように、けれど嬉しそうにも見える表情で笑った。
「ありがとう」
その言葉で、俺の寒さなんて吹っ飛んだ。
路線の端から二番目の駅は閑散としていて、地下鉄も難なく座れた。
俺とあきらはコートの裾が僅かに触れる距離で並んで座った。
「さなえ、元気だった?」
「うん。年が明けたら帰るって」
「そっか」
端に座るあきらがふっと顔を上げた。中吊り広告を見ている。俺はその横顔を眺め、ゆっくりと、少しだけ覗き込むように視線を下ろした。
万に一つの期待を込めて、目を凝らす。
しかし、あきらの首にはしっかりとマフラーが巻かれていて、確認できなかった。
着けてるはずないか。
俺がプレゼントしたネックレスを着けてくれてないかなぁ、なんて勝手に期待して、勝手に落ち込む。
買う時、あきらが着けてくれる姿を想像した。俺が着けてあげるシチュエーションも。
あきらは髪が短いから着けやすいだろうな、とか、そのままうなじにキスしたい、とか、裸にネックレスだけ着けてる姿、とか。
あきらに触れられなくなってから、変態おやじみたくなってる気がする……。
俺は緩んだ顔を隠すように、肩を竦めてマフラーに頬擦りした。
「マフラー、ありがとな」
あきらが首を回して俺を見る。
「すげぇ、暖かい」
あきらは口角を上げ、頷く。
ああ、もうっ!
可愛すぎる!
普段、飄々としていて冷たい印象に見られがちなあきらの照れる姿は、簡単に俺の理性を吹っ飛ばす。
あきらに触れられなくなってから、出番のなくなっていたモノが、一瞬でステージ中央に躍り出そうになるほど。
「龍也は――」
言いかけて、口を閉ざし、顔を背ける。
伊達にそばにいたわけじゃない。あきらが何を言おうとして、どうしてやめたのかくらい察しがつく。
「さすがに重過ぎんのは自覚してる」
あきらがもう一度俺に顔を向けた。
「ネックレス」
「なら――」
「――ごめんな?」
愛が重すぎてごめん、わかってて渡してごめん、諦められなくてごめん、て意味を込めて言った。
「ネットで見たんだけど――」とあきらが言いにくそうに、小声で言った。
車輪の音やら車内アナウンスやらで良く聞こえず、俺は身を屈めて顔を寄せた。
あきらがわずかに顔を背け、ちょっとショック。
「――ペアなんでしょ?」
「ああ、うん」
「龍也も持ってるの?」
「うん」
「刻印は?」
「俺の名前」
「――はっ!?」
あきらが俺を見たから、二人の距離がぐっと近くなる。
ここが公共の場でなければ、勢いでキスしてる距離。
きっと、あきらも同じことを考えた。
だから、あきらはすぐにフイッと顔を背けた。
「なんで自分の刻印?」
「いつか、あきらのと交換しようと思って」
「なんで?」
「あきらに渡したのには、早く俺のものになれって願掛けみたいなのもあったけど、ホントは自分の名前のプレートなんてあんましないだろ? IDプレートじゃないんだし」
「うん」
「だから、あきらが俺の名字になったら、交換しよーぜ」
不服そうなのは、横顔でもわかる。
もっとロマンティックなことを想像していたのだろうか。
「自分の名字が変わるとは思わないんだ?」
「ん?」
「結婚したら男の姓を名乗るとは限らないじゃない」
「……ああ! 考えてなかった。深い意味はないけど、全然考えてなかった」
確かに、今時、結婚イコール男の姓とは限らない。
が、『谷あきら』の響きに酔っていて、そんなことは微塵も考えなかった。
「桑畠龍也……。なんか、ピンとこないな……。つーか、TをKに掘り直してもらうとか出来んのかな」
多少格好悪くても、無理やり『く』の字を足してもらうとか?
「じょっ、冗談よ! 本気で悩まないで」
「えぇー……、冗談かよ。俺は全然ありだぞ? 婿養子」
「私が嫌よ」
ノリで言ってみたが、俺が婿に入ることであきらと結婚できるなら全然問題ないと思ったのは事実。
俺はわざとらしく口を尖らせ、いじけて見せた。
タイミング悪く乗り換えの駅に到着し、あきらはさっさと降りようと立ち上がる。俺は、背後から彼女の手を握り、有無を言わさず歩き出した。
「ちょ――」
「俺のイニシャルって『T.T』だから、つまんないんだよな。『T.K』ってアーティストっぽくていいかもな」
絶対離さないと、あきらの指の間に自分の指を挟み、ぎゅっと握る。恋人つなぎってやつだ。
あきらから握り返してくることはなかったが、振り払われもしなかった。
今の俺には、それで十分幸せだった。
「あきらの駅って、俺の前?」
乗り換えた車内は混雑していて、俺たちはドアのそばに立った。
手は繋いだまま。
「後」と、あきらが言った。
「残念」と、俺は笑った。
「前だったら、そのままついて行って突き止めようと思ったのに」
「残念でした」と、あきらも笑った。
この様子だと、ハッキリ聞いても、新しい住まいは教えてもらえそうにない。
そうなると、次に会えるのはいつになるか。
OLCの次の飲み会は五月頃になるだろう。
去年も四月を予定していたが、年度変わりは何かと忙しくて、結局五月早々になった。
最悪、あきらと四か月も会えない可能性がある。
「あきら、今度――」
俺の最寄り駅に到着するアナウンスが流れ、俺は自分の住まいがそこであることを呪った。
「またね、龍也」と、あきらがさらっと手を離す。
ドアが開き、数人が降りて行く。
俺は泣く泣く彼女に別れを告げた。
「またな」と言って地下鉄を下りる。
振り返り、車内を指さした。
「あ、そこ、席空いたから――」
「――大丈夫。次だから」
「え――?」
プシューッとドアが閉まり、手を振るあきらが遠ざかって行く。
次の……駅?
引っ越す前は、二駅先だった。
たった一駅近づいたことが、この場で踊りだしたいくらい嬉しかった。
あきらの心が、もうすぐそばまで近づいてきてくれているような気になる。
俺も隣駅に引っ越すかな……。
俺が本気でストーカーになる前に、あきらが諦めてくれることを願った。
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