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その日の午後、屋敷に来客があった。
正確には、来客というより、訪問だった。
門の前に車が止まり、見慣れない制服の男たちが降りてくる。
遠目にも分かる、警察だ。
誰かが小さく息を吸ったのが分かった。
だが、騒ぎ立てる者はいない。
この屋敷では、「外の人間」が来ること自体が、あまりない。
それが警察であれば、なおさらだった。
執事長が応対に出る。
背筋を伸ばし、いつもと変わらない足取りで。
僕らは持ち場を離れず、ただ様子を窺っていた。
仕事の手は動かしているが、耳はそちらに向いている。
警官の一人が、低い声で何かを確認している。
もう一人は、屋敷の中を見回すように視線を巡らせていた。
その視線が、一瞬、こちらに向く。
胸の奥が、わずかに硬くなる。
だが、何かを言われることはなかった。
やり取りは長くなかった。
数分ほどで、警官たちは頷き合い、来たときと同じように門の外へ戻っていく。
深く踏み込むつもりはない。
そんな印象だけが残った。
理由は、分かっている。
この屋敷で起きる「事故」は、これが初めてではない。
そして、そのたびに、警察は同じ態度を取る。
確認はするが、深入りはしない。
執事長が戻ってくると、周囲の空気が少しだけ緩んだ。
誰かが、ほとんど聞こえない声で言う。
「……今回も、そうか」
誰に向けた言葉でもない。
その夜、控えの間で、噂が静かに広がった。
「警察だけじゃないらしい」
「外部の人間が、もう一人来るって」
声は低く、断片的だった。
確かな情報を持っている者はいない。
「探偵だって」
誰かが、そう言った。
一瞬、空気が止まる。
「本当か?」
「さあ……でも、前にも一度、そんなことがあった」
探偵、という言葉は、この屋敷では特別な響きを持つ。
歓迎される存在ではない。
だが、完全に否定もされない。
「事故」を「事故のまま」終わらせない可能性を、はらんでいるからだ。
「今回は、被害が大きいらしい」
「……人が、替わるくらいには」
その言葉に、誰も返事をしなかった。
頭の中に、朝の玄関ホールの光景が浮かぶ。
スーツケースの音。
静かに立っていた、あの少女。
偶然だろうか。
そう思おうとして、やめた。
この屋敷では、偶然と必然の境目が、あまりはっきりしない。
その夜も、決まった時間に消灯が行われた。
灯りが落ちる直前、
廊下の奥で、誰かが言った気がした。
「……今度は、誤魔化せないかもしれないな」
誰の声だったのかは、分からない。
闇が降りる。
屋敷は、また夜の顔を取り戻した。
そしてその闇の向こうで、
「探偵」という存在が、まだ見ぬ影として、静かに近づいてきていた。
警察が帰ったあと、屋敷は不思議なほど早く静けさを取り戻した。
玄関に残っていた靴の跡も、床に落ちた埃も、いつの間にか誰かが拭き取っていた。
廊下には、いつも通りの足音が戻っている。
重い扉が閉まる音を、私は階段の上から聞いていた。
——終わった、のだろうか。
そう思ったけれど、胸の奥は少しも軽くならなかった。
「大丈夫ですか」
声をかけられて振り返ると、執事の一人が立っていた。
表情は穏やかで、声の調子も普段と変わらない。
「……はい」
そう答えた自分の声も、驚くほど普通だった。
誰も取り乱していない。
ついさっきまで“事故”について話していたとは思えないほど、屋敷は整っていた。
私は手すりに指を置いた。
冷たくて、少しざらついている。
(こんなに、すぐ元に戻るものなんだ)
そう思った瞬間、違和感が胸に触れた。
事件があった家、ではなく。
事件が「済んだ」家。
まるで、最初から片づけられる前提だったみたいに。
廊下の向こうで、誰かが小さく笑った。
業務の話だろう。声は低く、抑えられている。
私はその音から、視線をそらした。
分からない。
何が、とは言えない。
ただ、ここでは
悲しむことも、立ち止まることも、
あまり歓迎されていない気がした。
——兄がいなくなった日のことを、思い出しかけて、やめる。
あの日は、誰もそんなふうに片づけなかった。
時間は止まって、部屋は荒れて、
「日常に戻る」なんて考えられなかった。
なのに、この屋敷では。
私は小さく息を吸い、制服の袖を握った。
(私が慣れていないだけなんだろうか)
そう考えてみても、違和感は消えなかった。
階下で、また足音が増える。
夕方の準備が始まる合図だった。
私は階段を下りながら、ふと思う。
ここでは、
「何が起きたか」よりも、
「次に何をするか」の方が大事なのかもしれない。
その考えが、正しいのかどうかは分からない。
ただ——
この屋敷に長くいればいるほど、
それを疑わなくなってしまいそうで。
それが、少しだけ、怖かった。
夕方の準備が始まり、屋敷の中に再び規則的な動きが戻ってきた。