コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「いよっ!お咲ちゃん!」
「待ってましたっ!」
皆の掛け声に、お咲はすました顔でお辞儀をする。
「たかさごや〜〜」
少女らしい高音で高砂が唄われ、中村がバイオリンで追いかける。
「なんだか、ハイカラな高砂だねえ」
「ほんと!さすが男爵家の祝言だよ。ハイカラだこと!」
女将さんたちは珍しい高砂に拍手を送り、場は大いに盛り上がった。
その様子に頭を抱える梅子がいる。
「なんなの!ハイカラも何も!もっと厳粛にって言うでしょ!高砂って!……それに、うちの人、なんで寝っ転がってんのぉーー!」
梅子の声は皆の耳に届かず、力なくへたり込む。
そうこうするうちに、お咲は祝言の祝い唄を歌い終えてしまった。
「あーー、終わっちゃった!だ、だめだ!このままじゃっ!つ、月子様!ちゃんと祝言は、梅子が仕切りますからねっ!」
梅子は顔を引き締め、宴会から祝言に戻そうと決意する。
「あら、固めの杯がまだだわよ!」
芳子がスッと立ち上がり、声をあげる。
「あーー!本当だ!流石、芳子様!私が準備します!」
「梅子、そうしてくれる?それと、中村さん!ビバルディの乾杯の歌、お願いね!」
「はいはい」と中村は軽く承諾。芳子は発声練習を始め、目ざとく見つけたお咲も、澄んだ高音で「あぁーー」と声を合わせた。
「いや、ちょっと、芳子様?!歌うんですか?!」
仰天する梅子に、芳子は得意げに微笑む。
「いや、賑やかで実に個性的な祝言だ!」
新聞記者の沼田がガハガハと笑いながら、この有様を手帳に記している。
「いやだ、これ、祝言じゃありませんよぉーー!」
悲痛な声をあげつつ、梅子は月子を見た。
つい先程までは梅子が花嫁として扱われていたのに、今は主役が入れ替わり、月子が祝われている。それだけでも奇妙な話なのに、行われているのはただの宴会だ。
「月子様が可哀想ですよ!!京介様、何とか言ってください!」
せっかくの祝言が台無しと、梅子は新郎である京介に訴える。
「……まあ、おかしなことになっているが、梅子、私は構わんよ。月子も喜んでいるしな……」
「えっ?!京介様?!」
まさに肩透かしの返答を受けて、梅子は、更に崩れ込んだ。
「こんなのおかしいでしょ?!ねっ?!月子様?」
「いえ、皆さんお祝いしてくれているし……。お咲ちゃんも、高砂、いつの間に練習したのかしら。凄いわ」
花嫁姿の月子は、確かにいつもよりご機嫌な様子だった。朗らかに、この大宴会を受け止めている。
その隣では、岩崎が、少しうつむき加減で、チラチラ月子を盗み見していた。
「まあまあ、梅子。見てみなよ、初々しい花婿と花嫁じゃーねぇーか。おめぇも一杯やりな」
崩れ込む梅子に、二代目から盃が差し出される。
「いや、ちょっと、あんた!」
「梅子、せっかくの祝いの席に怖い顔すんなよ!」
「怖い顔も何も!これでいいの?!」
梅子の悲痛な叫びを聞いた女将さん達が反応した。
「おや、おや?!そうだ、こっちも祝言挙たてだよ。お熱いねぇ」
「二代目、息が合ってるじゃないかい!」
「梅子ちゃん、幸せにね」
やいのやいのと、女将さん達のヤジは続く。
下町の女将さん達の勢いに、さすがの梅子も押されてしまい、ありがとうございます。などと、礼を述べていた。
「あらーー!私の伴奏は?!中村さん?!」
芳子が、歌わせろと駄々をこねる。脇では、酔っぱらった男爵が、何を止めるでもなく笑顔を振りまいていた。
「いやはや、これはまた。記事映えする祝言になりましたなぁー」
と、軽口を叩く沼田も、いつの間にやら、酒臭い息を吐いている。
「いやぁ、なんか、宴もたけなわって感じじゃねぇか?!梅子!いい祝言だなあ」
ヘラヘラ笑いながら、二代目は、ごろりと大の字になるとグーグーいびきをかき始めた。
「いやだ!あんた!ちょっと!田口屋の二代目でしょ!酔っぱらって寝ちゃうのぉー!」
梅子が慌てて二代目の体を揺すって起こそうとするが、その光景に、皆、大笑いして、おかしな賑やかさが増していった。
「……京介様……ここは、おひとつ……」
いつの間にやってきたのか、執事の吉田が、チェロを抱え岩崎の後ろに立っている。
「ん?……演奏……か?この状態で?!」
一応、新郎である以上、大人しく座っているべきなのではと岩崎は、吉田に言いかけるが、辺りはもう、祝言などどこ吹く風になっている。
「そうだ……なあ。しかし……」
どうせなら、とことん賑やかにと何故か岩崎も心が弾んだ。きっと、隣に座る月子が、朗らかな笑みを浮かべ続けているからだろう。そして、なんと言っても、花嫁姿。初めて見る月子の文金高島田姿は、岩崎にとって、感無量であり、一番見惚れるものでもあった。
「よし、やるか。吉田、チェロをこちらへ」
その一言を待っていたかのように、吉田は、椅子まで用意してあっという間に、岩崎は、金屏風を背に、演奏体勢に入っていた。
「おお!先生!チェロ、やりますかっ!」
沼田が、身を乗り出し、手帳に書き付け始めるが、はたと何か思い出したようで、いきなり大声を張り上げた。
「ちょっとかまいませんかねーー!!今度、岩崎先生の楽曲が、レコードになるんですよ!!皆さん、宣伝よろしくお願いしますよ!」
「レコード!!!!」
「そりゃ、また!!!」
「さすがだねぇ!!」
沼田の言葉に、皆は即座に反応した。
「いやまあ、どうせみなさん、蓄音機持ってないでしょうから、買えないでしょ?あちこちで、くっちゃべってくれたらそれでいいので」
「なんだよ!新聞や!感じ悪いねえ!あたし達だって、レコード買うよっ!」
「そうだよ!そうだよ!」
手に持つ盃を沼田へ投げつける勢いで、女将さん達は、いきり立たった。
「あー、これはちょっと言い過ぎました。買ってもらえるならそりゃ、助かりますよ。ハハハ!」
「そうこなくっちゃ!」
「めでたいねぇ!!」
わあー!と、皆は口々に喜びの声を発する。
「……レコード?!京介さん、凄い!本当に、おめでとうございます!」
吉報を聞いて、月子も弾けた。
「いや、まあ、なんだ。まだはっきりしてなかったから、言ってなかったんだけどね……月子のお陰だよ。月子が、側に居てくれたから、ここまで来れた……」
「あ、わ、私は何も……」
「いや、十分支えてくれているよ」
「京介……さん……」
「月子、ありがと。これからも……よろしくな」
岩崎の優しい声と共に、月子の頬に、温かなものが添えられた。岩崎の大きな手が、月子の頬を撫でている。
「きゃあーー!京一さん!!見て!京介さん、やればできるじゃないっ!!」
芳子が大興奮し、振られた男爵も、
「月子さん、京介を一人前にしてくれてありがとう」
と、頭を下げる。
たちまちに、岩崎と月子は、二人の世界から引き戻され、共に俯き照れ隠しをした。
「と、とにかく、え、演奏を始めますから!!お静かに!あと、梅子!二代目起こしてくれ!そのいびきは邪魔だ!」
相変わらず、ゴーゴーガーガーいびきを書いている二代目がいた。
「きゃあ!す、すみません!直ぐに、どけますから!!」
どっこいしょと、掛け声と共に、梅子は、二代目を抱き上げる。
「あー、田舎の実家で米俵運んでましたから。これ、コツがあるんですよ」
ご安心をと、捨て台詞を残して二代目を担いだ梅子は、姿を消した。
瞬間、皆固まっていたが、一斉に大爆笑が沸き起こる。
「では!我が妻へ、感謝の意を評して!麗しの君に。演奏致します!」
岩崎は、サッとチェロを構えると、小さく言葉を漏らす。
「月子……ずっと側にいてくれ。私はそれだけで、幸せなんだよ……」
突然の事に、月子は、どきりとしたが、
「はい、ずっと、ずっと、お側にいます。離れません……」
言って、頬を染めた。
「……で、では……始めます!岩崎京介作曲、我が妻に捧げる、麗しの君に!」
そこまで言い切ると、岩崎は、大きく弓を引く。
その一声に導かれたかのように、部屋は、拍手と微笑みが混ざり合い、祝福の空気で包まれた。
(了)