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「やっぱり、妙だ」
鮎川がブレザーのネクタイを整えながら破塚に言った。
「何も変じゃないよ、俺と紫檀は」
鮎川は軽く目を閉じて言葉を吟味しながらゆっくりと語った。教室の机には茜色の空が広がっていて、その上には鈍い灰色の雲が影を落としている。
「あの日の欄干橋から恐怖と絶望を感じた。」
間髪入れず、破塚が怒鳴る。破塚の心臓は高鳴り、頭にも顔にも血が昇って一本の角を生やした赤鬼のような形相になっていた。
「あの日?もしかして鮎川、紫檀に何か……っ!紫檀、あいつぶち殺してやる」
鮎川は落ち着き払った様子で血管が膨張してフグのように身の毛がよだっている破塚を侮蔑の混じった目で見てから、恐れもせず淡々と正論を述べた。
「欄干橋を殺すくらいなら俺を殺したらどうだ。だが別に、なにもやましいことはない。少し話をしただけだ。俺は蓮が紫檀をどう思っているかは知らん。紫檀が蓮をどう思ってるかも知らん。いち観衆として、お前らの関係を変だと思っただけだ。」
破塚は、鮎川みてえな恋愛を知らねえ人間に何が語れんだと怒鳴り散らした後に、お前らのことを殺す、殺すと叫びながら教室を出て行った。
俺はああ、余計なことに口を出してしまったなと深く後悔した。そしてどうしても破塚に会いたくなかったからという理由で鮎川は図書室で古い洋書に読みふけっていた。
図書委員の欄干橋が軽く手を振って何を読んでいるのといつものように聞いてきたので、機械工と音楽家の友情物語だと説明してやると、少しだけ彼女は目を輝かせて、「ちょっと読ませて」と言ってきた。彼女が本を読んでいる間、何もすることがなかったので、ぼんやりと空を見ていた。穏やかな空に見飽きたから、紫檀の長いまつ毛や美しい鼻筋に目をやった。途端破塚の赤鬼のような顔が思い出される。二人がそういう関係になければこれほどの美女からあの赤鬼のような顔が連想されることはなかったろう。
彼女のちょっと読ませてはいつも長い。ちょっと読ませてで図書委員の仕事を二、三時間すっぽかしてよく司書の先生から怒られている。いつもならば彼女が何時間本を立ち読みしていても文句は言わない。なんなら、遅くなったからという理由で家まで送っていくこともある。だが今日ばかりは自分の身に危険があるという理由があったので、「今日は用事があるんだ」と言って、彼女に本の裏のバーコードをスキャンしてもらってからそそくさと家路につくふりをした。図書委員の仕事が終わるのはいつも午後の5時半である。その時を待ってから僕は図書室に戻り、またあの洋書をしばらく読もうと思った。その前に時計に目をやってみる。針はちょうど5時40分を指していた。そしてそのついでにほとんど無意識に窓に目をやると、欄干橋と破塚が仲良さそうに二人で帰っていた。破塚も一瞬だけ苛立っただけなのだろう。多分大丈夫だ、と、自分に言い聞かせながらまたその洋書に目をはしらせ始める。俺は知らないうちにその虚構の中に取り込まれていた。だから、あんなことにも気づけなかったのだ。