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慌てた声が城の下層奥で響き、『地獄耳』と言える程小さな音に敏感な国王の手が止まった。
ルプス王国を統治する国王・レーニアは執務室内で、妻であるラモーナ王妃と二人。休憩時間を利用して紅茶を飲んでいた。朝からずっと書類の山と向き合い、やっと得られた妻との時間を邪魔する声に軽い苛立ちを感じつつも、表面には一切それを出す事なく、机にあるソーサーにカップを戻す。
クリーム色の髪を揺らし、ラモーナが慌ただしい音がし始めた扉の方へ顔を向けた。
「あの声は、どうやら急務の様ですわねぇ」
糸目が笑い顔に見え、優しげな顔をしたラモーナがその雰囲気にとても似合う穏やかな声で呟いた。
「まぁどうせ、お前との時間をふいにする程のものでは無いだろうさ」
フッと笑い、一転してレーニアがため息をつく。そして、愛しい妻と憩いの時間を過ごす為に緩めていた襟元のボタンを直して服装を正す。あわよくば妻を存分に抱き締める時間を得たいと目論んでいた考えが捨て切れず、二度目に出た溜息はとても長いものとなった。
バタバタと大人数が走り、雑多な声が飛び交っている。廊下でのせわしなさがレーニアは音だけで見て取れた。
「私は自室に戻りましょうか?」
執務用の机の側に椅子だけを置いてくつろいでいたラモーナが夫の顔色を伺いながら問いかけた。
「そうだな。内容次第では、そうしてもらうかもしれん」
椅子に座る姿勢も、国王の威厳を感じさせるものとなるように背筋を伸ばす。ラモーナにしか見せない砕けた感のある苦笑いをレーニアは顔に浮かべ、「最近はなかなか落ち着いて話せないな、本当にすまない……」と謝罪した。
「いいのですよ、こうやって昼間にお顔を見られただけでも充分嬉しいのですから」
スローペースな妻の語り口に、レーニアは癒しを得た。国王として激務が続く日々だろうと、ラモーナの隣に居るだけで心が少し軽くなる。
「陛下!急なお知らせが御座います!休憩中だと存じておりますが、御目通り願いたい!」
無駄に豪奢なドアをノックする音が執務室内に響き、レーニアは肩まである金色の髪をスッとかき上げてから「入れ」とよく通るバリントンボイスで返事をした。
「失礼致します」
ドアが開き、数人の配下がひどく慌てた顔をして執務室内に入って来る。宰相・テリス、近衛隊長・ハリスの二人を筆頭とした家臣達が皆、揃いも揃って慌てた様子だった。
「……騒々しいな、テリスとハリスだけで済む話ではないのか?」
真っ先に、水色の長い髪をしたテリスがすまなそうに頭を下げた。
「申し訳ありません。早く陛下にご報告したいと、皆慌てておりましたもので」
「火急の件と言うわけか……。わかった、話せ」
「は!」
レーニアの言葉を聞き、近衛兵の一人が緊張した顔で一歩前に出た。普段ならば執務室へなど絶対に入れぬ新兵の一人で、たまたま今日は門の警備担当だったというだけでこの部屋まで連れてこられてしまった為、緊張で冷や汗がダラダラとたれている。
「近衛兵ラヴィ、謹んで陛下にご報告致します」
どう切り出していいかわからず、ラヴィの声が少し震えている。その様子を見てレーニアは安心させようとラヴィに対し優しい笑みを向けた。
「話したい様に話して構わないよ、ラヴィ。どう話そうが、不敬だなどと騒ぎはしないから」
穏やかな声をかけられ、ラヴィが今度は嬉しさに泣き出しそうな顔になった。
そんなラヴィの初々しさにラモーナがほっこりした気分になりニコニコと笑い出す。その途端、一気に部屋の雰囲気が和やかなものに変わった。ラモーナの感情が、彼女の魔力により勝手に伝染したのだ。
「えっと……神殿の巫女様が先程いらっしゃいまして、『【純なる子】が異世界より転移されて来た』と報告がありました」
緊張感を強制的に排除された状態のラヴィの報告を聞き、レーニアが目を見開いた。どうせまた小さなトラブルを大袈裟に騒いでいるだけだろうと思っていたので、頭が言葉の意味を追いきれていない。
「……やっと、見付かったのか」
レーニアの声はとても小さく、独り言に近い呟きだった。歓喜が大き過ぎて声が出なかったのだ。
「して、純なる子はいつ城へ来るのかな?」
恰幅のいい家臣の一人が、ソワソワとした様子でラヴィに尋ねる。
「……それが、城へはまだ当分いらっしゃらない様でして……先に、村々を回るのだとか」
「んな……——なんと無礼な!真っ先に城に来て、陛下にご挨拶をするのが筋だというに!」
側で聞いていた別の家臣が激昂し、大声をあげた。
「……誰が管理する神殿からの報告だったのだ?」
レーニアの問いに答えたのは、一通の手紙を手に持つ近衛兵長のハリスだ。
「司祭長ラネグ様が管理する、大神殿からの報告で御座います」
「そうか、ウネグの……。それにしても、ハリス。『父からの報告だ』と言えばいいものを」
クスクスと笑い、レーニアが口元を隠した。
「陛下、からかうのはおやめください。私共はあの万年発情ウサギを、父だとは思っておりませんので」
宰相のテリスと近衛兵長のハリスが互いの顔を見て渋い顔をする。双子の二人は二卵性の為全く似ておらず、巨体を誇るウネグと比べると身長はいたって平均的だ。テリスは理知的でスラッとしたスタイルをしており、ハリスの筋肉質な体型はまぁウネグに多少は似ていると言えなくもない。立場的に二人共司祭長である父親と関わる機会が多いが、どちらも、未だに母の尻を追い回し続けるウネグを苦手に思っている。
「お二方からウネグ様に進言しては如何か!早く城に純なる子をお連れしろと」
「いや、いい。ウネグの判断に従おう。彼は最も信頼出来る司祭だ、心配無い」と言い、 椅子の手すりに頬杖をついてレーニアがニッと笑った。
「ですが陛下、我々の『呪い』を一刻も早く解除して頂かねば——」
家臣の発言を遮り、レーニアが口を開いた。
「幸い城の者達は命に関わる弊害は出ていない。ならば、国民達の『呪い』を先に対処してもらった方が、民衆の信頼を得られるとは思わないか?それに、即座にこちらへ連れて来なかったのは、今のままでは【孕み子】の対処に当たれないと判断したのかもしれんだろうが」
部屋中によく通る声で指摘され、発言を遮られた家臣の男は居た堪れず肩を落とした。
「やむおえず解呪を急ぐ者はそれぞれ勝手に【純なる子】の元へ巡礼に行けば良い。それを禁じるつもりは無い。だが我々は、【純なる子】がまず先に民衆を助ける事を選んだ判断を尊重し、事無きを得るよう手助けをする方向で行動しろ。わかったな」
「は!」
レーニアの指示に、部屋に居た一同が背筋を正して敬礼した。
ラモーナがその様子をニコニコ顔で見ている。仕事中の夫を見る機会はなかなか無いので『貴重な体験が出来たわ』と嬉しくて堪らない。そしてそれ以上に、此度の報告は胸の奥が熱くなる思いだった。
細部の報告をそれぞれから受ける夫の横で、ラモーナは執務室にある大きな窓硝子に手を当てて外を見た。
広大で優美な庭が窓の外に広がり、色とりどりの花々が美を競いながら咲き誇っている。植木で作った迷路や立派な噴水も備え、城内から出る機会の少ないラモーナのお気に入りの空間となっていた。そんな庭のさらに奥には、蔦に囲まれた辛気臭い雰囲気の塔が建っている。【孕み子】の居る『幽閉塔』だ。強力な結界に囲まれ、一部の者以外立ち入りを許されていない『幽閉塔』ではラモーナの長男が一人で生活している。初産の辛さを夫と共に乗り切り、やっと対面したと同時に引き離された息子・ユランの事を彼女が思わない日は無い。日々を穏やかに過ごし、責務に追われるレーニアの負担を少しでも癒してあげたいと考えながらも、息子の不憫さを思うと切なさで心がブレてしまう。
「必ず、そこから出してあげますからね……ユラン」
ラモーナがボソッと呟き出た声を聞き、レーニアが封書を持ったまま彼女を背後から抱き締めた。
「——あら、皆さんは?」
「もう戻ったよ。邪魔をしてしまったから、あと一時間は休んでいていいと言わせた」
「まぁ、レーニアったらまたテリスにワガママを言ったのね?」
「朗報を夫婦で喜ぶ時間を寄越せと言うのは、ワガママとは言わないさ。だが、今すぐ解決とはいかない事を……君とユランが許してくれるかが心配だ」
「二十六年待ったのですもの、私はあと少しくらい待てますわ。ユランも……きっと」
「夜にでも一緒に報告へ行ってやらないか?今でも私は構わないが、ラモーナはユランとゆっくり話したいだろう?」
「そうですね、夜にゆっくりお話に行きましょう。私は後でクッキーでも焼いておきますわ。ライエンにも声をかけておきますわね、兄の吉報にあの子もきっと喜ぶわ」
「あぁ、頼むよ」
うんうんと頷き、レーニアがチラッと時計に目をやりながら封書を机の上に置いた。まだ休憩時間はたっぷり残っている。その事を確認すると、妻を抱き締める腕をゆっくり動かし、小柄なのに豊満なラモーナの胸をそっと持ち上げた。
「……レーニア?どこに触ってるの?」
「胸だね」
クリーム色の髪は頭部でお団子のように結ってあり、襟ぐりの深いドレスを着ている為首筋や胸元が無防備だ。細いチェーンのネックレスをしている部分を避け、露わになっている白い肌に啄ばむ様なキスを何度もされ、ラモーナが「んっ」と吐息をもらした。
「ダメですよ?此処は仕事をする場所なのですから」
頰を染めて、ラモーナがレーニアの腕をぐっと押す。
「王妃様との子作りも、国王の勤めだから平気さ」
久々の朗報にレーニアの機嫌がとてもいい。そのせいもあってか、妻をこよなく愛するレーニアの愛情表現をラモーナが止める事など出来なかった。
一方、神殿では——
「準備は出来ましたかな?」
「はい!」
ウネグの問いに柊也が元気に答えた。旅支度だと用意された物の中から、柊也は黒い細身のトラウザーズを穿き、薄緑色をした七分丈のシャツを着込む。防寒対策に深緑色をした腰丈までのフード付きのマントを羽織ると、肩掛けタイプの大きな鞄を「よいしょっ」と持ち上げた。腰からは実用性の高そうな短剣と長剣の二本がさがっており、すっかり初期装備を着込んだ冒険者の装いだ。
「忘れ物はありませんか?荷物は私がお持ちしましょう」
そう声をかけるルナールは神殿に来た時と同じ格好だが、数着の着替えを新調させてもらい、鞄の中に詰めてある。ウネグから預かった地図や、各村長達に見せる神殿からの協力依頼の手紙なども入れてあり準備は万全だ。
「いや、ルナールはもう既にデッカイ鞄持ってるよね?」
身長の半分程もある鞄を背負っているルナールを、柊也が困った顔で見上げる。
「この程度軽いもんですよ。さぁ、そちらの鞄もこちらへ」
ニコニコ顔で手を差し出し、鞄を寄越せと柊也に向かいルナールが無言の圧をかける。
「持てるよ?これくらい」
鞄の肩紐をギュッと掴み、死守する姿勢を柊也がとった。
「……では、トウヤ様ごと私が持ち——」
「荷物は頼みましたぁ!」
言葉を遮り、柊也がルナールに自分の荷物を押し付ける。横抱きにされて運ばれるのはもう勘弁して欲しい。しかも外でお姫様抱っことか、誰に見られるかもしれないというのに何故ルナールは平気なのかと、柊也は不思議でならなかった。
「では行きましょうか、トウヤ様」
「うん」
ルナールの声かけに柊也が頷く。大きな荷物を背中と腕とに二つ抱え、神殿の応接間を二人が退出して行く。その後ろをウネグが続き、階下へ降りて神殿の出口にて出立を見送るつもりだ。
「何か困った事がありましたらいつでもご連絡を。人手でも、金銭面でもあらゆるお手伝いをさせて頂きますぞ」
「色々準備をして下さり、ありがとうございます」
深々と頭を下げる柊也をウネグが不思議な気持ちで見詰めた。
「我々が助けて頂くのです。トウヤ様はそう畏まらずに」
豪快な笑い声をあげ、柊也の頭をウネグが乱雑に撫でる。自身の半分ほどの身長しか無い柊也は彼を見ていると息子達の子供の頃を思い出してしまい、つい頭を撫でてしまう。【純なる子】という相手の立場を考えると決しておこなって良い行為では無いのだが、『きっと無礼だとは思って無いだろ!』と思っていた。
「では、行ってきます!」
「一同、トウヤ様達の御無事の帰還をお祈りしております。こちらの神殿は、拠点としていつでもご活用下さいませ」
多くの巫女達が、ウネグと共に頭を下げて見送ってくれる。丁寧な対応に柊也はくすぐったい気持ちになりつつ、異世界で押し付けられた『仕事』をさっさと終わらせる為に一歩、また一歩と歩き出した。
「トウヤ様、一つお伝えしたい事が」
「んー?何だい?」
「私は人付き合いをする機会があまり無かった為、壊滅的に対人スキルが低いのです。なので、交渉事では全くの役立たずだと頭に入れておいて下さいね」
「……マジか!」
柊也は神殿を出るなり、一気に旅の行方が不安になった。文化も習慣も知らないこの土地で、無事にやっていけるんだろうか……と。