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設楽理沙
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れい
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latte
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第4話「ターコイズブルーの夜明け」
第一章:深夜の残響と逃避行
終電のベルが遠くで鳴り響き、そして途絶えた。
ネオンの光が一つ、また一つと消えていき、昼間の狂騒が嘘のように静まり返っていく渋谷の街。湿んだ夜風が雑居ビルの隙間を吹き抜け、ツトムのデニムジャケットの裾を揺らす。
「あーあ、行っちゃった。完全に行っちゃったね、終電!」
アオイが両手を広げ、クルリと一回転しながら笑う。首から下げた一眼レフカメラが、彼女の胸元で小さな金属音を立てた。
「『行っちゃった』じゃないだろ……。お前が『あと1カ所だけ!』って言うから……」
ツトムは使い込んだスケッチブックを抱え直し、深く溜息をついた。リュックの重みが肩に食い込む。普段ならとっくに家で自分の世界に閉じこもっている時間だ。それなのに今、自分は深夜の渋谷の路地裏に立ち、クラスで一番賑やかな少女と二人きりで取り残されている。
「いいじゃん! 深夜の渋谷なんて、探検家(わたしたち)のためにあるようなもんだよ。見てよ、ツトムくん」
アオイが指差した先。雑居ビルの狭間に広がる空は、薄い墨を流し込んだような濃紺色をしていた。街頭の明かりもまばらで、昼間のような過剰な情報も、押し寄せる人の波もない。
「……静かだな」
ポツリと漏らしたツトムの言葉に、アオイはニシシと満足そうに微笑んだ。
「でしょ? 渋谷の本当の顔は、誰もいなくなった夜の中に隠れてるの」
二人はあてもなく歩き出した。閉まりきったシャッター、路地裏に置き去られたパイロン、無機質な自動販売機の明かり。昼間はノイズに埋もれていた一つひとつの風景が、まるで静寂の中で息を吹き返したかのように、くっきりと浮き上がって見えた。
第二章:不完全なレンズ
歩き続けて一時間。二人がたどり着いたのは、スクランブル交差点を見下ろす大きな歩道橋の上だった。
昼間は何千人もの人間が交差し、巨大ビジョンが怒涛の広告を吐き出していたあの場所が、今はただの巨大な灰色の空間として横たわっている。静まり返った交差点は、まるで世界が終わってしまったかのような錯覚を抱かせた。
ツトムは歩道橋の欄干に身を乗り出し、スケッチブックを開いた。
「描くの?」
「……うん。この交差点、こんなに広かったんだな。いつもは人の頭しか見えなかったから」
鉛筆の芯が白紙の上を滑る。サーッ、サッという心地よい摩擦音が、夜の静寂に溶け込んでいく。無駄なものを削ぎ落とした、静寂の中のスクランブル交差点。ツトムの手元に迷いはなかった。
その隣で、アオイがファインダーを覗き込む。
カシャ。カシャ。
普段の軽快なシャッター音とは違う、どこか慎重で、小さな音。
ふと、ツトムは鉛筆を動かす手を止め、アオイの横顔を見た。
いつも満面の笑みで「共感」や「トレンド」を語っていた彼女が、ファインダーを覗く瞳に、見たこともない暗い影を宿している。
「……アオイ?」
「ねぇ、ツトムくん」
アオイはカメラを構えたまま、ポツリと呟いた。
「私ね、カメラがないとダメなんだ」
「……え?」
「人と話すときも、街を歩くときも……このレンズっていうフィルターを一枚挟まないと、怖くてたまらないの。誰かと直接向き合うのが、本当はすごく下手くそで」
アオイはゆっくりとカメラを胸元に降ろした。その表情は、昼間の太陽のような無邪気さとは程遠い、今にも消えてしまいそうな脆さを孕んでいた。
「SNSに写真をあげて『いいね』がたくさんつくと、自分がこの世界にいていいんだって思える。トレンドを追いかけて『共感』を作っていれば、みんなが私を見てくれる。……でもね、カメラを外した私は、すっごく空っぽで、不完全なんだよ」
ツトムは息をのんだ。
息ができないほど街のノイズを恐れていた自分と同じように、彼女もまた、自分なりの防具——カメラと「トレンド」というフィルターを身に纏って、この街と戦っていたのだ。
「……空っぽなんかじゃないだろ」
ツトムの声が、歩道橋の上に静かに響いた。
「俺は、お前が撮る写真が好きだ。お前が『あじと』の絵を見て『お店の匂いがする』って言ってくれたから、俺は自分の絵が好きになれた。お前は不完全なんかじゃない。……すごく、人間くさいだけだ」
アオイが驚いたように目を見開く。その瞳に、かすかな揺らぎが生まれた。
第三章:ターコイズブルーの奇跡
その時だった。
東の空の端が、ゆっくりと白み始めた。
夜の濃紺が薄まり、街を包んでいた暗闇が溶け出していく。そして、ビルの谷間から差し込んできた光が、空を静かに染め上げた。
それは、鮮やかな青でも、優しい朝焼けの赤でもない。
冷たさと温かさが絶妙に混ざり合った、吸い込まれそうなほど澄んだターコイズブルーの色だった。
「……きれい」
アオイが息をのむ。
「今年のトレンドカラー……なんだろ? ターコイズブルーって」
ツトムは言った。アオイはくすっと小さく笑い、目元に浮かんだ涙を袖口でそっと拭った。
「そうだよ。でもね、画面の中のトレンドカラーなんかより、今ここにある空の方が、何千倍もきれい」
街灯が一斉に消灯した。
朝焼けのターコイズブルーの光が、静まり返ったスクランブル交差点を、歩道橋を、そして二人の姿を優しく照らし出していく。
ツトムはスケッチブックの新しいページを開いた。
色鉛筆を取り出し、目の前に広がる空の色を重ねていく。青に緑を混ぜ、ほんの少しの白を加える。AIのカラーパレットには存在しない、ツトムの目が捉えた「その瞬間の色」。
そして、ツトムはスケッチの隅に、歩道橋の欄干に手をかけ、朝焼けの空を見上げるアオイの横顔を描いた。
レンズ越しではない、彼女の素顔。少し寂しそうで、けれど確かにそこに生きている、人間味に満ちた表情。
アオイがそれに気づき、スケッチブックを覗き込んだ。
「……なにこれ。私、こんな顔してるの?」
「お前がカメラを外したときの顔だよ。……いい顔だと思うけど」
ツトムが照れくさそうに顔を背けると、アオイの顔がパッと華やかにほころんだ。昼間よりもずっと自然で、ずっと温かい、本当の笑顔。
「あはは! ツトムくん、やっぱりずるいよ。写真より、ずっと素敵なものを描くんだから」
アオイは一眼レフを構え、今度はツトムのレンズ越しではない素顔と、朝焼けの空を、一瞬のシャッターに収めた。
カシャ。
朝の澄んだ空気に、硬いシャッター音が響き渡る。
第四章:夜明けの足音
朝の6時。
街が少しずつ目を覚まし始めていた。始発の電車が走り出し、早朝の清掃員や、始発を待つ人々がポツポツとスクランブル交差点に現れ始める。
二人は歩道橋を降り、朝の光が差し込む街へと踏み出した。
「ふぁあ……お腹すいたなぁ。ツトムくん、朝ごはん食べて帰ろ!」
アオイが大きく伸びをしながら言う。いつもの天真爛漫なアオイに戻っていたが、二人の間の空気は、昨日の夕方とは明らかに違っていた。お互いの不完全さを知り、それを受け入れた者同士の、静かで心地よい絆。
「……朝から何食べる気だ?」
「んー! 24時間やってる雑居ビル奥の富士そば! あそこの紅生姜天そば、朝焼けの空にめちゃくちゃ合うんだから!」
「またマニアックな場所を……」
ツトムは呆れつつも、口元に小さな笑みを浮かべた。
リュックの中で、スケッチブックが心地よい重みを持って揺れている。そこには、夜の静寂、アオイの告白、そして共に見た美しいターコイズブルーの朝焼けが、確かに刻み込まれていた。
息ができないはずだった街。
けれど、この眩しくも不完全な少女と共に迎えた夜明けの中で、ツトムは確かに、深く息を吸い込むことができていた。
「ほら、ツトムくん遅い! 富士そばにダッシュだよー!」
「待てって……走ったらスケッチブックが乱れるだろ!」
朝焼けのターコイズブルーに染まる渋谷の街へ、二人の重ね合わされた足音が、元気よく響き渡っていった。
(第4話・おわり)
コメント
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第4話、拝読しました。 夜の渋谷の静けさと、アオイがカメラの向こうに隠した本当の自分をツトムくんが見つけた瞬間、心がじんわり温かくなりました。特に「不完全なレンズ」の章で、アオイが「カメラがないとダメなんだ」と打ち明けるシーンには切なくも共感してしまいました。ターコイズブルーの朝焼けが、二人の新しい関係の始まりを祝福しているようで素敵です。この静かな夜明けの空気感、すごく好きです。次話も楽しみにしています🌷