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太田の暴挙に遭った翌朝、鏡の中の自分の顔を見て愕然とした。瞼が腫れぼったい。目が真っ赤だ。
こんな顔で会社に行きたくないとは思っても、仕事が待っている。今日は出張の打ち合わせもあるかもしれない。
少しでもマシに見えるようにと瞼を冷やし、他人の目をごまかすためにいつもは流している前髪をすとんと下ろす。所々が痛む体を引きずるようにしながら出社した。
「おはようございます」
周りに挨拶をして自分の席に向かおうとした時、太田も同じようなタイミングで出社してきた。
「笹本さん、おはよう」
昨夜のことなどなんでもなかったかのように、彼は爽やかな顔をしていた。
私は目を伏せて小声で挨拶を返す。
「……おはようございます」
自分の席に着き椅子に腰を下ろそうとした時、拓真と目が合った。その顔を見た瞬間、涙がこみ上げてきそうになる。しかしそれを堪え、歪みそうな表情をごまかすために頭を下げた。
「北川さん、おはようございます」
「おはようございます。今日はいい天気ですね」
拓真の穏やかな声に少しだけ心が落ち着いた。
しばらくしてから課長の田中が出社してきた。課の面々に挨拶した後、彼は私と拓真を呼ぶ。
「これから少しいいかな?出張のことで打ち合わせしたいんだけど」
私と拓真はそれぞれに頷く。
「はい。分かりました」
「じゃあ、第一会議室に行こうか」
田中は早速廊下に向かう。
私と拓真はその後を追った。
会議室に入って席につくなり、田中は一枚の紙を私たちの前に置く。
「これ、簡単にチェックリストと説明文的なやつ作ったんだ。向こうに行ったら、こういう点を特に教えてきてほしいんだよね」
「分かりました。結構ありますね」
田中は苦笑する。
「だよね。これを全部支社でしっかりとやってきてくれれば、こっちの仕事もスムーズに捗るんだけどねぇ」
「確かにそうですね」
「あと、こっちは出張時の簡単なスケジュールね。新幹線のチケットは昨日のうちに手配したから、午後にでも田苗さんから受け取って」
「分かりました」
「それとね。向こうの支社長からのお誘いなんだけど、せっかくだから、一日目の夜に支社のみんなと懇親会なんてどうか、だって。どうする?」
「え、わざわざですか?なんだか申し訳ないんですけど」
「別にいいんじゃない?あっちの連中も、なんだかんだで飲むの好きらしいし」
「まぁ、支社のみんながいいって言うなら……」
「笹本さん、せっかくなので、その懇親会、ありがたく参加させてもらいましょうよ。支社の方と交流する機会を持つのはいいことだと思いますし」
「まぁ、そうですね」
拓真の言葉を受けて私は頷く。
「確かに北川さんの言う通りですね」
「それじゃあ、そういうことで先方に伝えておくよ。当日は二人ともよろしくね」
「はい」
「悪いけど、先に戻るよ。部長に呼ばれてるんだった」
「はい、どうぞ」
バタバタと会議室を出て行く田中を見送って、私は椅子を戻し照明を消した。
「私たちも戻りましょうか」
ドアに手をかけた時、拓真がぼそりと言った。
「碧ちゃんとの出張、仕事だけど楽しみだなんて言うのは不謹慎かな」
彼の言葉は嬉しかったが、私はあえて真面目な顔をする。
「仕事で行くんですよ」
拓真はくすっと笑う。
「もちろん分かってるよ。ところでさ」
拓真が身をかがめ、私の顔をのぞき込んだ。
「昨日あの後帰ってから、ちゃんと寝たのか?目が赤いようだし、なんだか瞼も少し腫れているような気がするんだけど……」
私は慌てて顔を伏せた。言い訳をなんとかひねり出す。
「えぇと、これは、あれね。寝る前にお水をたくさん飲んじゃったからかな。あぁ、あとは動画とか見ちゃって、ちょっと夜更かししたから、たぶんそれで……」
拓真は疑わしそう目を細めた。それから、心配そうに私を見つめる。
「碧ちゃん、何かあればいつでも俺に話してくれよ。絶対に力になるからね」
昨夜のことは知らないはずの拓真の言葉にどきりとする。しかし彼に心配をかけるわけにはいかないと、私は明るい表情を作る。
「ありがとう。そういうことがあったら、その時はそうさせてもらうね。とりあえず、出張の日はよろしくお願いします」
拓真がため息をついた。
「今の状態では、甘えてはもらえないか」
「え……?」
「いや。碧ちゃんにとって、今の俺はただの同僚でしかないだろ?甘えてくれと言ったって、君は甘えてはくれないんだろうなって思ってさ。分かってはいても、寂しいよ」
彼の優しい声に、今すぐすべてを打ち明けたくなる。助けてほしいと、彼に縋りつきたいと思う。けれどそれはできない。拓真も言ったように、私たちはまだ同僚同士という関係だ。だから甘えたい気持ちにブレーキをかける。
「そろそろ戻りましょ」
私は彼に微笑み、会議室を出た。