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「この事務所、面白いだろ? ここのオーナーの趣味。俺の友人で……」
「おー! やっぱり隆史だったか。今日あたり来るんじゃないかと思ってたよ」
今泉さんの声に重なるように、低い声が聞こえた。
「お疲れ、柳さん。毎度のことながら勝手に上がらせてもらってる。今日は客人を連れて来たんだけど、いいかな?」
今泉さんは振り返って微笑んだ。
私たちの背後から現れたのは、五十代半ばくらいと思われる男性だった。
白髪混じりの短髪に口髭を生やし、目鼻立ちのはっきりした顔立ちをしている。
「初めまして。宮坂亜紀と申します。……あの、こんな時間にお邪魔してすみません」
まさか、いきなり今泉さんの友人と会うことになるなんて……
戸惑いながらも、ありきたりな挨拶を口にして頭を下げた。
「こんばんは。初めまして。ここを経営している柳原です。客人がこんな素敵なレディーなら、大歓迎ですよ」
男性はそう言って、一見強面に見えた表情を崩し、綻ぶような優しい笑顔を向けてくれた。
「……ありがとうございます。あの、とても素敵な会社ですね。建物も、玄関アプローチもお洒落で。室内にお庭がある事務所なんて初めて見ました」
少し照れ笑いを浮かべ、再び小さな噴水のある室内庭園へ目を向ける。
床には砕いたレンガを小石のように散りばめ、大きなテラコッタの壺からは背の低い雑木が顔を出す。
錆びかけたジョウロや古い農工具などが、塗装の剝げかけたウッドデッキの上に無造作に置かれている。
「その庭はプロヴァンス地方をイメージしたナチュラルガーデンだよ。最近はアンティーク風塗装に拘りがあってね。ウッドデッキの色の変色具合なんて、実にいい味を出してるでしょ?」
柳原さんは、目尻の皺をさらに深く刻み、満面の笑みを浮かべる。
「え……っと、プロパ……プロパン地方……?」
「プロパンじゃなくて、プロヴァンス地方。南フランスの田舎をテーマにしてるってことだよ」
目をぱちぱちと瞬かせながら口をもごつかせる私を見て、今泉さんは説明を補足すると同時に、くっと喉を鳴らして笑った。
だって……そんな地方、聞いたことないんだもん。
私は恥ずかしそうに口の端をへの字に下げる。
「ヤナさんはエクステリア・ガーデンプランナー。今はイングリッシュガーデンに興味があるみたいだけど、もともとは自然の庭……ナチュラルガーデンで和を演出するスペシャリストなんだ」
今泉さんは少し拗ねた表情を見せる私を見て、くすっと柔らかな笑みを浮かべた。
エクステリア・ガーデンプランナー……?
そういった職種の方とは、今まで全く縁のなかった私。
和を演出するスペシャリストかぁ……。
芸術の宝庫? それとも神様?
「庭園作りのプロフェッショナルさん……凄いですね」
柳原さんを見つめ、思わず歓喜のため息を漏らす。
「いえいえ、ただの庭弄りオタクですよ。それより、ナイトガーデンを眺めに来てくれたんでしょ? もし良かったら僕がガイドをしましょう。
隆史の手抜きガイドじゃ、僕のデザインコンセプトが伝わらない」
柳原さんはにっこりと笑い、ナイトガーデンを眺められるのであろうベランダへ向かって手を伸ばす。
「いや、柳さんのガイドは次回にお願いするよ。今日は『俺の庭』の客人として亜紀さんを連れて来たんだ」
今泉さんは、柳原さんの笑顔を遮るようにフッと静かに微笑んだ。
柳原さんは少し驚いた表情で今泉さんを見つめ返すと、
「へぇ~、……なるほどね。それなら僕が入り込めない領域だ」
大きな窓へ向かって差し出した手を引っ込め、何か意味ありげな笑みを浮かべた。
「亜紀さん、ちょっと待ってて。庭弄りオタクが作った樹海の探検準備をしてくるから」
今泉さんはそう言い残すと、事務所の奥の扉へ向かって歩いて行った。
「何が樹海だ! 人の芸術作品に向かって。おまえも十分オタクだろーがっ」
柳原さんは眉間に皺を寄せ、負けじと友人の背中へ罵声を飛ばす。
「……あの。今泉さんが言う『庭』には、蛍がいるんですか?」
私は遠慮がちに声を掛ける。
「……」
柳原さんは黙って振り返り、私を見つめた。
「亜紀さん、隆史が僕以外の人間を自分の庭に入れるのは初めてだよ。その庭の存在すら、他の誰にも話していないはず。
……君は、隆史にとって特別な人なんだね。あいつの目に映るものは、きっと君の目にも映るよ」
そう私に告げると、柳原さんは目尻を下げ、優しく微笑んだ。
その庭に入るのが、私が初めて?
存在すら誰にも話していないって……
奥さんや子供さんたちにも?
私が特別……?
柳原さんの言葉に、どう反応して良いのか分からない。
動かせない唇は少し開いたまま、ただ柳原さんを見つめていた。
「お待たせー。俺がいない間に、その節操無しのオヤジに口説かれなかったかい?」
手に大きなビニール製の袋を持った今泉さんが、バタンと音を立てて扉を閉めた。
コメント
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第38話読了! 今泉さんの「俺の庭」、誰にも話したことがない場所に亜紀さんを連れて行くって……その重みに胸がギュッとなったよ。柳原さんの「君は隆史にとって特別な人なんだね」って台詞が優しくて、でもグサッときた。プロヴァンスをプロパンって言い間違えた亜紀さん、めっちゃ可愛い(笑) 作品の空気感がとても柔らかくて、ナイトガーデンの情景が目に浮かぶみたい。次の話が楽しみだな!
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