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第六章 満ちゆく月
第三話 月下の戦い 前編
秋の朝は冷たかった。
森の空気は白く澄み、夜露を含んだ草が朝日にきらきらと光っている。
焚き火の残り火は、すっかり小さくなっていた。
ジントはゆっくり目を開ける。
ぼんやりとした意識の中。
最初に感じたのは、妙な温かさだった。
「……?」
何かが近い。
というより、重い。
ジントはゆっくり視線を横に向ける。
「…………」
ダイチが、ぴったりくっついて寝ていた。
腕を半分抱き込むように回し、額を肩の辺りへ押し付けている。
しかも、ものすごく気持ちよさそうに寝ていた。
「………………」
ジントの顔がじわっと赤くなる。
近い。
近すぎる。
温かい寝息がかかる。
「……ダイチ」
小さく呼ぶ。
返事はない。
「……起きて」
「ん〜……」
「起きろって」
「さむ……」
「ねえってば」
肩を押す。
けれど、離れない。
むしろ少し擦り寄ってきた。
「っ……」
耳まで赤くなる。
「ダイチ!」
少し強めに呼ぶと、ようやく目を開けた。
「……おはよぉ」
寝ぼけた声。
「おはようじゃない」
「ん?」
「なんでくっついて寝てるの」
「…………」
ダイチは状況を理解する。
「あー……」
そして、悪びれもせず笑った。
「寒かったんやし、ええやろ?」
「よくない」
「でも暖かかったで」
「……」
「湯たんぽみたいやった」
「最悪……」
本気で嫌そうに言うジント。
けれど本当に嫌なら、もっと離れている。
それをダイチはもう知っていた。
二年前なら、こんな距離で眠ることなんて考えられなかった。
ジントは人の気配に敏感だった。
誰かが近くにいるだけで警戒していた。
それでも、今は、隣にいることが当たり前になっている。
「よし、朝飯作るか」
「切り替え早い」
「腹減ったし」
「……オレも」
その一言に、ダイチは嬉しそうに笑った。
-–
簡単な朝食を済ませ、荷物をまとめる。
消えかけた焚き火へ土をかける。
森を抜ける頃には、太陽は高く昇っていた。
二人は街道を歩く。
「次の目的地は、ソレイユ帝国やな」
ダイチが前を見ながら言った。
大陸の中心。
太陽神の加護を受ける巨大な帝国。
多くの人と情報が集まる場所。
「……あそこなら、何かわかるかもしれない」
ジントが呟く。
自分の力。
魔物を引き寄せる体質。
そして、月蝕記に記された存在。
ダイチは隣で笑った。
「まあ、せっかく行くんやし市場とか色々見たいけどな」
「観光じゃないよ」
「分かっとるって」
いつもの会話。
いつもの距離。
けれど、ジントの胸の奥には、誰にも言えないものが残っていた。
-–
夜。
二人は森の中で足を止めた。
焚き火を起こし、静かな時間が流れる。
空には、満月へ向かう途中の月が浮かんでいた。
「もう少しで帝国やな」
ダイチが炎を見ながら言う。
「うん」
ジントは短く答えた。
その時。
ふっと。
森の音が消えた。
虫の声。
風の音。
全部が止まる。
ジントの表情が変わる。
「……来る」
ダイチも立ち上がる。
夜、瘴気が蠢く時間。
森の奥から、低い唸り声が響いた。
次の瞬間、巨大な影が木々を薙ぎ倒しながら現れる。
魔物。
黒い瘴気を纏った獣のような姿。
赤黒い瞳が、ジントを捉える。
「……」
ジントは静かに息を吐いた。
怖い。
けれど、もう昔のようにただ怯えているだけではない。
自分の中へ流れ込もうとするもの。
それを受け止めるために、心を落ち着ける。
「ジント」
ダイチの声。
「任せろ!」
その瞬間、ダイチが駆け出した。
二年前、ダイチは剣を使っていた。
けれど旅の中で変わった。
雷、水。
自分の中に眠っていた二つの魔力。
それを扱えるようになってから、ダイチの戦い方は変わった。
剣ではなく、自分自身を武器にする。
水の流れで身体を加速させ。雷を拳と脚へ纏わせる。
「はぁっ!!」
地面を蹴る。
一瞬で距離を詰める。
魔物の腕が振り下ろされる。
それを水流で滑るように避ける。
次の瞬間、拳が叩き込まれる。
雷光が弾けた。
「グァァア!!」
魔物の巨体が吹き飛ぶ。
だが、まだ倒れない。
咆哮。
大量の瘴気が周囲へ広がる。
ジントは目を閉じた。
来る。
身体の奥が反応する。
闇が、瘴気が、自分を呼んでいる。
冷たい、苦しい。
それでも、拒まない。
ジントはゆっくり呼吸する。
受け止めるために。
これはただ消すためじゃない。
還すため。
魔物の中で濁ったものを。
本来あるべき場所へ戻すため。
黒い瘴気が、少しずつジントへ集まっていく。
怒り。
恐怖。
悲しみ。
孤独。
様々な感情が流れ込む。
ジントの表情が苦しげに歪む。
それでも立ち続ける。
ダイチは振り返らない。
もう分かっている。
ジントが何をしているのか。
全部理解しているわけじゃない。
それでも、信じている。
「終わらせるぞ、ジント」
「……うん」
ダイチが最後の一撃へ踏み込む。
雷を纏った拳。
水の流れを乗せた一撃。
魔物の身体へ叩き込まれる。
黒い瘴気が大きく揺らぐ。
ダイチは荒い息を吐く。
そして、静かに、
ジントは目を閉じたまま、その瘴気を受け止めていた。
森に静寂が戻る。
やがて、ゆっくり目を開ける。
「……終わった」
その声は少しだけ疲れていた。
ダイチは眉を寄せる。
「大丈夫か?」
「……うん」
「顔、白いで」
ジントは少し目を逸らす。
「ダイチが心配しすぎ」
「心配するやろ」
即答だった。
ジントは一瞬黙る。
そして、小さく視線を落とした。
夜風が二人の間を抜けていった。
月明かりだけが、静かに二人を照らしていた。
コメント
3件
2人が2年間の間で成長して強くなったことがよくわかるお話でした!2人くっついて寝てるのが可愛くて可愛くて(*^^*) 続きも楽しみにしてます!
読み終えました。第三話、めちゃくちゃ良かったです……! 朝のくっつき寝起きのシーン、二人の距離感が二年分の信頼で縮まってるのがじんわり伝わってきて。まだちょっと照れてるジントと、悪びれず笑うダイチの空気感がもう、たまらなかったです。 後半の戦闘も熱かった。ジントが瘴気を「還す」って捉えてるところ、世界観の設計がしっかり感じられて好きです。ダイチが信じて振り返らないのもグッときた。 続き、帝国編がすごく気になります!