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せんたくのり
第5話▶︎重い想いはデリィツィオーゾ
翌日
舜太に昨日のことを話せないまま放課後を迎えたのは、期末考査前の慌ただしさのせいだけじゃない。
昨日の出来事を、ただの思い違いだとは思っていないけれど、あれを確かに“そういうこと”だったのだと決めつけるには、 気持ちが現実に追いついてくれなかった。
胸の奥がずっと落ち着かない。歩いていても地面をちゃんと踏めていないみたいに、心がふわふわとうわついている。今日はずっとそんな感じ。
昼休み、はやちゃんから届いたLINEには、
『放課後、生徒会室で待ってる。一緒に帰ろ』
とだけ書かれていた。
たったそれだけの文面なのに、見るたび頬が緩む。
帰り支度をしていた時には、とうとう舜太に
「柔、今日顔ずっとキモいわぁ。」
なんて笑われた。
けれど――待ち合わせ場所の生徒会室の前まで来た瞬間、その浮ついた気持ちは氷水を浴びせられたみたいに一気に冷えた。扉の向こうから聞こえてきた声に、足がぴたりと止まった。
胸の奥が、どくどくと嫌な音を立てる。生徒会室の中からは、楽しそうな笑い声が漏れていた。
思わず耳を澄ませば「それでさー、ほんまに勇ちゃんがさー」よく知った名前が聞こえ、息がひゅっと浅くなった。
中にいるのは生徒会の人だ。はやちゃんが誰かと話しているだけ。それ以上でも、それ以下でもない。
そんなこと、ちゃんと分かっているはずなのに。
胸の奥がざわついて、指先がじわりと冷えていく。さっきまで浮かれていた気持ちが、音を立てて崩れていった。
ドアノブに手をかけたまま、動けないままでいたら、急にドアが勢いよくスライドして、出てきた人物にぶつかりそうになった。
「わっ、びっくりしたぁ、ほんまにごめんね〜」
人の良さそうな彼は、とびきりの笑顔で頭を下げた。
「お、来た」開いたドアから、はやちゃんがいつもの調子で笑う。その顔を見た瞬間、張っていた気が少しだけ緩む、けど、ホッとしたのも束の間だった。
「いや佐野サンがおもろすぎるからやん!」
さっきの声の主は、そう言いながらはやちゃんの肩に両手を置いて、ぐいっと体を寄せた。なんだか距離が近い。ずいぶん仲がいいんだな、と胸の奥がまたざわつく。
「これ太智。んで、こっち柔太郎。2人ともクラス違うけど2年生同士だろ。」はやちゃんに紹介され、彼はぱっとこちらを振り向いた。
「柔ちゃん! 同じ学年なん?よろしくね〜!」人懐っこい笑顔だった。きらきらしていて、まっすぐで、思わずこっちまでつられて笑ってしまうような。
「ほな俺、先帰るわ。まったねー!」軽い調子で元気よく手を振りながら、彼は生徒会室を出ていった。
扉が閉まる音がして部屋の中には、静けさと俺とはやちゃんだけが残った。
「柔太郎、くるの遅くね?」軽く言われる。急に静かになった部屋だからかいつもと同じトーンなのにやけに響く。
「…別に」
自分でもわかるくらい、声が低くなる。一瞬だけ、はやちゃんの目がこっちを捉える。
「機嫌わる〜」小さく笑う声。それが、今は少しだけ引っかかる。
「なんかあった?」いつも通りの声。
なのにそれが、今は少しだけ苛立ちを感じる。
「あの人」
気づいたら、口に出てた。
「え?太智?」
「仲良いんだ」
言ったあとで、自分でも驚く。こんな言い方、するつもりなかったのに。
「ま、長い付き合いだし」
そりゃそうだ。はやちゃんにははやちゃんの歴史がある。笑うでもなく、流すでもなく。ちゃんと真っ向から受け止められた感じがして、引けなくなる。
「いつもあの距離感なの?」
心臓はうるさいままなのに、そのまま一歩近づく。
頭の中で、さっきの二人と昨日の俺たちが交互に渦を巻いている。もしかしたら、俺は一人でとんでもない勘違いをしていたのかもしれない。はやちゃんが俺を好きだ、なんて。
空気が、あきらかに変わって、はやちゃんの表情が、わずかに変わる。
「それ嫉妬?」
かすかに、声が揺れる、試すみたいな言い方でも、いつもの軽い調子でもない。
「昨日の今日でさ、なんか…」
言葉にした瞬間、息が詰まる。上手く次の言葉がでてこない。
「なん…か」小さく息を吐く。笑おうとして、できない。なかった事にしたいほど既に後悔していた。はやちゃんは俺に背中を向けて言う。
「太智は太智、お前はお前だろ」
背中から放たれた、その言葉に胸がざわつく。
俺は俺なら、俺ははやちゃんのなんだよ。
「逃げないでよ」以前言われた言葉を、そのまま返す。
一瞬、完全に動きが止まる。
「柔太郎、お前」
振り向いて、名前を呼ばれる。いつもより低くて、少しだけ必死な声。
「俺…」本当はわかってる。嫉妬したんだ。
「その顔さ」
その瞬間、荒い力で引き寄せられる。
「もっと見たくなる」耳元で落ちる声が、少しだけ熱を帯びてる。そのまま、強く引き寄せられて。唇が重なる。立場が完全に逆転してた。
「柔太郎」離れた唇から漏れた声は、呼ぶというより、引き寄せるような声だった。そのまま逃げ場ごと奪われる。壁に押さえつけられて、背中に伝わる冷たさと、目の前の熱の差にくらくらする。
「そんな顔してるの、自分でわかってる?」
どんな顔だよ、低く落ちる声が近すぎて、うまく息ができない。否定しようと口を開いた瞬間、そのまま塞がれた。最初から、深い。
遠慮なんてないキスに、思考が一気に白くなる。角度を変えられて、逃げる余裕も与えられないまま、何度も重ねられる。
「……ん、っ」こぼれた息さえ拾われるみたいに、さらに引き寄せられる。背中に回された腕が強くて、体の距離がゼロになる。触れているところ全部が熱を持って、どこに意識を向ければいいのか分からなくなる。
少し唇が離れたと思えば、息つく間もなくまた奪われる。
じらすみたいにゆっくりな動きとは対照的に、息はどんどん荒くなっていく。
「ほら、力抜けって」囁きと一緒に、また唇が重なる。
逃がす気はまるでない繰り返されるキスに、抵抗する感覚さえ薄れていく。舌をむさぼるみたいなキスに、呼吸が乱れて、相手に預けるしかなくなる。
——唇が離れる。お互い、呼吸が荒いまま。
「…やば」
先に口を開いたのは、はやちゃんだった。
「なに、が…」
乱れた呼吸のまま返す。さっきまでの余裕はどこいった、ってくらいの反応に、思わず少しだけ力が抜ける。
「こんな姿誰にも見せらんねえ」
少し笑いながら言ったはやちゃんに
「じゃあ、俺だけ?」
つい口が先に動いた。言ってから、あ、ってなる。
また余計なこと。
「ごめん」小さく付け足すと、はやちゃんが手を外して、こっちを見る。
「なんで謝んの」
「なんか…今の、ちょっと重かった、かな」
でも、言い直すのも違う気がして一拍置いてから
「でも、言えてよかった」
顔を上げて、まっすぐ見つめた。
「ちゃんと返してくれて、ありがとう」
言えば、空気が、一瞬止まる。
はやちゃんが、完全に言葉を失ったみたいに黙る。
「……お前さ」
少し遅れて、声が落ちてくる。
「ほんとさ〜」
「え」
「そういうとこ」
ため息混じりに笑う。でも、さっきまでと違って、少し力が抜けてる。
「普通、あの流れで礼言う?」
「だめだった?」
「だめじゃねえけど」
一歩近づいて、そのまま、軽く額が触れそうな位置で止まる。「俺が責める側だったのに」小さく笑う声。
言葉を探すみたいに少し止まる。
「お前だけだよ」
その一言に、胸と目尻が少しだけ熱くなる。
「やった」ぽつっと返すと、
「やってねぇよ」即答される。でも、顔は少し笑っている。生徒会室に流れる、さっきより静かで落ち着いた空気の中でふたり笑いあった。
「てか」はやちゃんがふっと笑う。
「さっきの、お前やばかったな」
「なにが」
「“逃げないで”って」
ふざける様に真似されるて、一気に顔が熱くなる。
「やめろ」言いながら、さっきよりずっと弱い声になる。笑うはやちゃんから、思わず顔を逸らすと
「なんで逸らすの」
目の前に飛び込む様に覗き込まれて、思わず
「恥ず…」と正直に打ち明けた。
「はは」また、笑われて、でもそのあと、
「でもさ」少しだけ真面目な声。
「ちゃんと言えよ、これからも」視線がまっすぐ向く。
「黙って我慢される方が無理」
「うん」
素直に頷いた俺に、まだはやちゃんは疑う顔。
「我慢しない!」
「ほんとか〜?」
「ちゃんと言う!」
それを聞いて、やっと満足そうに頷く。
「よし、かわいっ」
はやちゃんは凄い。佐野勇斗の一挙手一投足が俺にとって特別になっていく。
「帰るか」
「うん」
またふたり、並んで歩き出す。
ドアに向かう途中、軽く、手の甲が触れる。
「……はやちゃん」
小さく呼ぶ。
「ん?」あ、優しい目だ。この表情、大好きだな。
「さっきの」
照れくさいけど、ちゃんと伝えたかった。
「ちゃんと受け止めてくれて、ありがとう」
また言ってしまう。何度でもいいたくなるから。
「だからそれさ〜〜〜」
はやちゃんが困ったみたいに笑う。
その声と一緒に、大きな手がそっと俺の手を包み込んだ。指先までじわりと熱が移ってくる、自分が大切にされているみたいに。
「こっちこそ、ありがとな柔太郎」
さっきより軽くて、でもちゃんと繋がってる距離で、たぶん同じ気持ちで。
さっきまで胸につかえていた気持ちも、気づけば、ほどける様に軽くなっていた。
柔ちゃんと呼んでくれた、 あの人懐っこい彼に今度会ったら自分から、ちゃんと挨拶をしよう。 そんで、俺も「だいちゃん」って呼んでみたいな。
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