テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
第十一章 月の故郷
第八話 月の巡り合わせ
部屋の中には暖炉の火が静かに揺れていた。
ぱちり、と薪が爆ぜる音。
温かな空気。
誰もしばらく言葉を発せなかった。
ジオはまだ手の中の割れた御守りを見つめている。
その様子をミレイアは静かに見守っていた。
だがやがて
「……お腹空いてないかい?」
唐突な一言だった。
「え?」
サフィアンが間の抜けた声を出す。
ミレイアは微笑みながら頷く。
「話ばかりしてたら疲れるだろう。若い子はちゃんと食べないとねぇ」
その瞬間
ぐぅぅぅ……
盛大な音が部屋に響いた。
全員の視線が、サフィアンへ集まる。
「…………」
サフィアンが固まる。
ラスタが吹き出した。
「サフィちゃん最高のタイミングやな」
「うぅ…、恥ずかし!!」
だがミレイアは楽しそうに笑った。
「ふふ、元気でよろしい」
緊張していた空気が柔らかくなる。
奥にいたセレネも、くすりと微笑んだ。
「すぐ準備しますね」
そう言って立ち上がる。
すると、建物のさらに奥から足音が聞こえてきた。
現れたのは三十代ほどの男性だった。
背が高く、無造作に伸びた金髪を後ろで束ねている。
月の一族らしい淡い瞳。
だが表情は無愛想で、どこか警戒心が強そうだった。
外套には夜露が付いている。
どうやら外へ出ていたらしい。
男は部屋へ入るなり、5人の姿を見て僅かに目を細めた。
そしてジオを見た瞬間、動きが止まる。
「……その子が」
低い声だった。
ミレイアが静かに頷く。
「そうだよ」
男はしばらくジオを見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……そうか」
それだけ言うと、壁際へ移動する。
かなり無口らしい。
サフィアンが小声でラスタへ囁く。
「怖そうな人来た」
「サフィちゃん声漏れとる」
男のこめかみがぴくっと動いた。
聞こえていたらしい。
「す、すいません」
サフィアンが慌てて姿勢を正す。
ラスタが肩を震わせて笑いを堪えている。
そしてさらに別の人物が奥から現れた。
今度は初老の男性だった。
白髪混じりの髪に丸眼鏡。
両腕いっぱいに古びた本を抱えている。
「おやおやおや……!」
5人を見るなり、目を丸くした。
「本当に来たんですねぇ!」
嬉しそうな声だった。
だが次の瞬間。
抱えていた本が崩れ落ちる。
「あっ」
バサバサバサッ!!
大量の紙束が床へ散乱した。
「うわっ!?」
サフィアンが慌てて避ける。
クロードが無言で一冊拾い上げた。
そこには古代文字が並んでいる。
「……古文書か」
「はいはい! 月の記録です!」
初老の男性は慌てて紙を集めながら答える。
「もう少し静かにできんのかい」
ミレイアが呆れたように言う。
「いやぁ、だってついに来たんですよ!? 月蝕の――」
「それ以上は後だよ」
ぴしゃりと止められる。
男性は「あっ、はい」と素直に引っ込んだ。
ミレイアが二人を紹介する。
「この無愛想な若いのがゼスト。こっちはパスカルだよ」
「無愛想は余計です」
壁際に立っていたゼストが低い声で返す。
サフィアンが小声で呟く。
「なんかこの里、変わった人多くない?」
「お前が言う?」
ラスタが即座に返す。
そのやり取りに、ジオは思わず小さく笑った。
そこでアクセルがふと姿勢を正す。
「申し遅れました。アクセルです」
軽く頭を下げる。
そして
「クロードです」
「ラスタやで」
「サフィアンです!」
順番に名乗っていく。
そして
「ジオ……です」
ミレイアは一人一人の顔をゆっくり見つめた。
その目が、とても優しい。
ゼストは表情を変えず軽く頷き、
パスカルは嬉しそうに、うんうんと首を縦に振る。
食事を運んでいたセレネも穏やかに微笑んでいた。
やがて温かな料理がテーブルに並べられた。
白い野菜のスープ。
焼きたての薄いパン。
香草の香りがする小さな肉料理。
どこかミストア村の料理にも似ていた。
「うまそう……!」
サフィアンの目が輝く。
「これセレネちゃんが作ったん!?」
ラスタがキラキラした顔で尋ねる。
「はい、簡単なものですが……」
「そんなことないで!!メッチャうまそうや!!」
「お前声でかいんだよ!」
「だって実際そうやろ!!」
そのやりとりにセレネがフフッと笑った。
暖炉の火が揺れる。
窓の外には静かな夜が広がっていた。
滅びた里。
崩れた建物。
長い年月の孤独。
けれどこの小さな部屋の中だけは、どこよりも温かかった。
ジオは湯気の立つ茶を両手で包み込む。
胸の奥に残っていた冷たさが、少しずつ溶けていく気がした。
温かな料理の香り。
時折聞こえる食器の触れ合う音。
廃墟のような里の中とは思えないほど、穏やかな空気。
しばらく静かに食事をしていた時だった。
「ここまで来るのは、大変だったろう」
ミレイアは静かに尋ねる。
そしてアクセル達を見て
「みんなが、ジオをここまで守ってくれたんだねぇ」
目尻を下げ、穏やかに微笑む。
サフィアンが胸を張った。
「俺なんて十二年もジオといるんだぜ!」
「めっちゃ威張るやん」
ラスタがすぐに突っ込む。
「いや大事なことだろ!?」
「まぁ、確かに大事だな」
クロードが真顔で頷く。
しばらくして、アクセルの表情が少し真面目になる。
「……聞きたいことが、沢山あります」
ミレイアはゆっくり頷いた。
「そうだろうねぇ」
暖炉の火を見つめながら、小さく息を吐く。
「さて……何から話そうかね」
少し考え込み、やがて静かに口を開いた。
「まずは、この里について教えてあげよう」
部屋が静まる。
「ここは、我々月の一族の里だ」
暖炉の火が、ぱちりと音を立てる。
「今はこんな姿になってしまったが……」
「昔は多い時で、五十人ほどの一族が暮らしていた」
ジオ達は来る時に見た廃墟を思い出す。
崩れた家。
草に覆われた石畳。
静まり返った集落。
あそこには確かに、人々の暮らしがあったのだ。
ミレイアは続ける。
「月の一族は、遥か昔……帝国の皇室と共に、世界の均衡を守る役目を担っていたと伝えられている」
アクセルの瞳が見開かれる。
「皇室と……?」
「そうだよ」
ミレイアは頷く。
「だが、今から約三百年前……月蝕の子を巡り、人々の考えは大きく分かれてしまった」
「月蝕の子を守るべき存在と考える者」
「そして、その力を恐れる者」
静かな声だった。
「恐れは、やがて排除や迫害へ変わった」
「その前から、月の一族の力は異端だと教会から敵視されていたことも原因のようだが……」
悲しげに視線を落とす。
「それで我々の先祖は帝国から逃れ、月蝕の子を見守るため、この地へ移り住んだと聞いている」
誰も言葉を挟まない。
「それから長い年月、次に現れる月蝕の子のために……我々は言い伝えを守りながら、ひっそりと暮らしてきた」
そこでミレイアの表情が曇る。
「……しかし」
暖炉の火が揺れる。
「十年ほど前、この里へ魔物の大群が押し寄せた」
セレネの肩が小さく震える。
「結界は破られ……我々には、もう抗う力が残っていなかった」
ミレイアは苦しそうに目を伏せる。
そして静かにセレネを見る。
「その時、この子の両親も……」
セレネは俯いたまま唇を噛み締めた。
ゼストとパスカルも、固い表情で俯いている。
部屋が静寂に包まれる。
やがてミレイアは、ジオを見る。
「ジオ……」
「お前の両親も、その戦いで命を落とした」
ジオの瞳が大きく揺れる。
ミレイアの瞳の奥には、十年前の光景が浮かんでいるようだった。
燃える里。
崩れ落ちる結界。
月夜を埋め尽くす魔物達。
失われていく命。
「それから、生き残った者達も病に倒れたり、少しずつ里を離れていったり……」
ミレイアは静かに周囲を見る。
「そして今、ここに残っているのが……私達四人というわけだよ」
深く、長い息を吐く。
暖炉の火が静かに揺れる中、ミレイアはゆっくりと茶を口にした。
重苦しい空気が流れる。
そこには、決して消えない悲しみと苦しみが色濃く残されていた。
「……そういえば」
その空気を変えるように、ふとミレイアが口を開く。
「お前達、白霧山を越えて来たんだろう?」
アクセル達が頷く。
「その頂上にある石碑を見たかい?」
ジオが静かに答える。
「……月の下で光る石碑……古代文字が書かれてた」
「この里の入り口にも、同じものがあったな」
クロードが付け加える。
ミレイアは小さく目を細めた。
そして静かにその文言を口にする。
『銀月、天を満たす時
闇を宿す者、現れん』
『その身に全てを受け
やがて月へ還る』
『それは終わりにあらず』
『世界の巡りを戻すための
始まりなり』
部屋の空気が僅かに張り詰める。
暖炉の火が、ぱちりと音を立てた。
「あの石碑はねぇ……遥か昔から、月の一族が守ってきたものなんだよ」
ミレイアは遠い過去を見るように語る。
「ただ……正直に言えば、我々にも全てが分かっているわけではない」
その言葉に、アクセルが少し意外そうな顔をする。
「月の一族でも、ですか?」
ミレイアは静かに頷いた。
「長い年月の中で、失われた記録は多いからねぇ」
「この里が襲われた時も、多くの書物や記録が失われました」
パスカルが静かに視線を落とす。
彼にとって、それはきっと何よりも辛いことなのだろう。
「ただ……古くから伝わる話では」
ミレイアは続ける。
「月蝕の子は最後、白霧山へ向かい……その頂から月へ還ると言われている」
その言葉に、ジオの胸がざわりと揺れた。
白霧山。
雲を抜けた頂。
石碑。
月光。
全てが、静かに繋がっていくようだった。
その時
「あっ」
アクセルが声を上げる。
何かを思い出したように鞄を探り、一冊の本を取り出した。
古びた黒い本。
『月蝕記』。
それを見て、ジオもはっとする。
同じように自分の鞄から本を取り出した。
二冊の『月蝕記』。
ミレイアの瞳が大きく見開かれる。
「……月蝕記……」
すると奥にいたパスカルが勢いよく身を乗り出す。
「えっ!? 月蝕記ですって!?」
慌てて席を立ちこちらに駆け寄ると、二冊を凝視する。
「少し……少しだけ確認させていただいても!?」
先ほどまでの落ち着いた様子とは違う、珍しいほどの食いつきだった。
アクセルとジオが顔を見合わせる。
そして、二冊の本を差し出した。
パスカルは慎重に受け取り、メガネをクイッと掛け直す。
表紙を撫でる。
ページをめくる。
古代文字を指でなぞる。
その表情は真剣そのものだった。
やがて
「……間違いありません」
パスカルが小さく呟く。
ジオの持つ本を見る。
「こちらは……この里に残されていた“原本”でしょう」
ジオの瞳が揺れる。
パスカルは次に、ハヤトの本を見る。
「そしてこちらは……複製」
ページをめくりながら続ける。
「ですが、こちらもかなり古い。少なくとも数百年前には存在していたものだと思われます」
アクセルが静かに口を開く。
「この複製は帝国の教会地下禁書庫にあった」
そしてジオを見る。
「ジオの原本は……ラディスの薬屋にあった」
「……うん」
ジオが小さく頷く。
パスカルは腕を組み、考え込む。
「不思議ですね……」
「原本が外へ持ち出された経緯は、ほとんどわかっていません」
「そしてなぜ、誰が複製を作ったのか、そして教会へ渡った経緯も分からない」
静かな沈黙が落ちる。
長い年月。
失われた記録。
途切れた歴史。
それらが今、この場所で少しずつ明るみに出ようとしている。
やがてミレイアが、優しく微笑む。
「……不思議な巡り合わせだねぇ」
暖炉の火が静かに揺れる。
「失われたものが、必要な時に戻ってきたのかもしれない」
その言葉に、ジオはそっと自分の『月蝕記』を見つめた。
何百年もの間、誰かが守り続けてきたもの。
そして今、自分の手元にあるもの。
まるで長い眠りから、何かが目を覚まそうとしているようだった。
ばたっちゅ
20,265
コメント
1件
うわあ、今回めっちゃ良かったですね…! 温かい料理と厳しい過去が混ざり合って、胸がぎゅっとなりました。特にパスカルが「月蝕記」を見た時のあの興奮、古書研究者的にすごく共感できました。「間違いありません」の一言に歴史の重みが詰まってて、ゾクゾクしましたね。サフィアンのお腹の音で空気が和らぐのも、co-miさんの緩急の付け方が絶妙だなあと。