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(さて――)
ここまで他人事のように江根見親子や風見斗利彦が追い詰められる様をすました顔で見詰めている横野博視をちらりと見て、尽は机の下でグッとこぶしを握り締めた。
天莉を散々傷つけたこの男のみお咎めなしだなんて、有っていいはずがないではないか。
「桃坂先生、彼と隣にいる女性にも書類を渡して頂けますか?」
則夫や風見よりは罪状が軽くなってしまうけれど、尽は横野が天莉にしたことだってきっちり清算させるつもりだ。
「はっ? 何で俺にもあるんですかっ。俺は何も罪なんか犯してない!」
桃坂弁護士から数枚の紙片を目の前に置かれた博視が、心外だと言わんばかりの表情をする。
紗英は思考回路が停止したようにぼんやりと机上の書類を眺めていた。
「何も? 横野さん。貴方は天莉をそこにおられる婚約者の江根見紗英さんと二人、強姦未遂の現場になった個室まで運びましたよね?」
「なっ⁉︎ 何でそんなことまで!」
「ホテル内の防犯カメラにバッチリ映っていましたのでね」
桃坂弁護士の力を借りて、ホテルから開示してもらった会場へ設置された防犯カメラの映像には、会場内からぐったりした天莉を運び出す二人の姿があって……。
廊下へ設置されたカメラには、問題の個室へ天莉を連れ込む姿も映っていた。
そうしてその続きとでも言おうか。
直樹が則夫に渡る前に回収してくれた隠し撮り映像にも、天莉が博視と紗英によって、会場そばの個室でベッドへ寝かされる様が録画されていた。
天莉のため、表へ出すつもりはない映像だが、江根見則夫の仕掛けていた卑劣な罠が、逆に娘とその婚約者の犯行を裏付ける証拠になるだなんて、皮肉な話だ。
「加えて、貴方は沖村と伊崎がその個室へ入る様子を確認しておきながら止めなかった……。ばかりか、邪魔が入らぬよう見張り役まで務めていますよね?」
「そ、それは全部紗英に頼まれてっ」
「博視、酷いっ。みんな紗英のせいにするのぉっ⁉︎」
「ほぉ、江根見紗英さんはずっと貴方の行動を監視していたのですか? ――違いますよね?」
「そうよ、そうよっ! 紗英、お腹空いてたから会場にすぐ戻ったもんっ! 博視の監視なんてしてないじゃない! だからあれは博視が勝手に……」
「うるさい、バカ女っ。お前、少し黙ってろっ!」
「酷いっ!」
バカ女呼ばわりされて、紗英が一瞬助けを求めるように父親を見遣ったけれど、則夫は自分のことで手一杯なのか、その視線に気付かなかった。
「お二人とも罪をなすり合おうとなさっているようですが、どちらも仲良く強制性交等罪幇助の罪に問われる案件です。こちらに関してもしっかり問題にさせて頂くつもりですので、そのつもりでいらしてください」
「だっ、だったらパパも!」
「それは当たり前ですね。あの部屋を押さえていらしたのは貴女のお父様だということは分かっていますから」
「紗英、お前っ! この期に及んでわしを売る気か! 親不孝者が!」
「パパが最初に紗英のこと、突き放したんじゃないっ!」
先ほど父親に冷たくあしらわれたことが我慢ならなかったんだろう。
博視が今し方自分をバカにした時だって、いつもの則夫ならすぐさま博視にモノ申してくれるはずなのに、それもなかったから。
紗英は紗英なりに、きっとそのことを根に持っている。
(まぁ、俺にはどうでもいいことだがな。せいぜい醜く罵り合うがいい)
それで父子関係が徹底的に破綻しようと、尽の知ったことではない。
尽は口汚く罪の擦り付け合いを始めた面々を汚いものを見るみたいに一瞥すると、静かに言い放った。
「申し開きは各々警察官や検察官にされるがよろしかろう! とりあえずこちらの用件は全て済みましたので……」
そこで直樹に視線を流すと、尽の優秀な片腕がコクッと頷いて――。
「これ以上の長居は高嶺常務の業務妨害になります。皆さん、早々にお引き取り下さい。……あ、もちろん――」
そこで一旦言葉を止めると、
「そのまま仕事に戻られては他の社員たちの士気にかかわります。早急に荷物をまとめて退社なさって下さい。明日以降も、そのまま何か沙汰があるまで出社される必要はありませんのでそのつもりで」
言って、静かに執務室の扉を全開にすると、有無を言わせず皆の退室を促した。
しん……と静まり返った室内で、尽は改めて桃坂正二郎弁護士に向き直ると、
「桃坂先生、これからもしばらくはごたつくと思いますので、色々とご助力頂ければ幸いです」
言って、深々と頭を下げた。
桃坂はそんな尽を保護者のような優しいまなざしで見つめると、「もちろんだよ、尽ちゃん。お父さんからも頼まれているからね」と微笑んだ。
それを聞いて尽は思わず苦笑する。
「ああ、あの人は死ぬほど過保護ですから」
「尽ちゃん、お父さんのことをそんな風に言わないであげて? 親というのはね、我が子のことはいつまでも心配なモノなんだよ。実際、僕も小さい頃から知ってるからかな。尽ちゃんとナオちゃんのことは気になって仕方がないからね」
目尻にくしゃっとしわを寄せて微笑まれて、それ以上悪態を付けなかった尽だ。
「……有難う、ございます」
仕方なく素直に礼を述べたら、ちょいちょいっと手招きされて。
顔の位置を低くするように誘われるままそうしたら、頭をポンポンと優しく撫でられた。
「ホント昔はこんなにちっこかったのに二人とも大きくなって……。頭を撫でるのも一苦労だ」
自分の膝頭辺りに手のひらを翳す桃坂に、「いつの話ですか……」と苦笑したら「ほんの三十年ほど前だね」と目を細められて。
尽は、目の前の弁護士先生と自分とは、時の流れ方が違うんだなと苦笑する。
「まぁ冗談はさておき。――色々落ち着いたら僕にも紹介してね?」
「え?」
「ほら、尽ちゃんが夢中になってる女の子。今回のこと、もちろんアスマモルや、一緒に頑張ってくれた開発スタッフらのためって言うのもあるだろうけど……その子のためっていうのも多分にあったでしょう?」
桃坂の声に、尽が小さく息を呑んで――。
代わりに今まで黙って二人のやり取りを見詰めていた直樹が、「やっと落ち着いてくれたようでわたくしもホッとしているところです」と合いの手を入れた。
「ナオちゃんもそう思う? 僕も会うたびに尽ちゃんのお父さんから相談されていたからねぇ。ホント嬉しいよ」
「お察しいたします」
二人から生暖かい目で見詰められて、尽は早く天莉の待つ家へ帰って癒されたいと思った。
***
「――というわけですので営業部長と総務課長、それから営業社員が一名と、総務課社員が一名不在になります」
株式会社ミライの社長室――。
尽が人払いをしてもらった社長室でエグゼクティブデスク越し。重厚な椅子に腰かけたままの社長相手に一連の報告を済ませると、先ほど別れたばかりの桃坂弁護士と同年代くらいの男が静かにうなずいた。
「お疲れ様。今の件については事前に田母神社長からも話は来ていたし、こちらもそれに備えて新体制を整える準備は出来ているから安心して?」
言われて、尽は眼鏡の奥の瞳をスッと細めた。
「では、私の席がじき空席になることも……?」
「その辺も織り込み済みだから安心してくれて構わない。ところで――」
そこで椅子からスッと立ち上がると、社長が尽にソファへ座るよう勧めてくる。
今、尽は社長室に直樹を伴ってきていない。
報告内容がアスマモル薬品の内情にも関わることゆえ、社長秘書らにも退室してもらっている。結果的に尽は社長と差しで座る形になったのだが。
「――尽ちゃん、長いこと、本当にお疲れ様だったね」
ふっと微笑む気配とともに、桃坂弁護士の再来ですか?という言葉が投げかけられた。
尽は小さく吐息を落とすと、「その呼び方はやめて下さい、雄太郎おじさん」と目の前の男を渋い顔で見つめる。
「えー? それは無理だよ。だってキミのことは赤ん坊の頃から知っているんだもの。……周りに人がいないときくらいは……、ね? ――ところでいつも傍らにぴったりくっついているうちのコバンザメくんはどこかな?」
「ここへ来ると話したら逃げました」
「ああ。だろうねぇ。ホントあの子は……」
「優秀な俺の片腕です」
「うん。目に入れても痛くない僕の息子だから当然だね」
ふっと目尻を下げた伊藤雄太郎の甘いマスクは、目元などが本当に直樹とよく似ていて。
血は争えないな、と思った尽だ。
「で、僕の予想では空席はもう二つ増えるかな?って思ってるんだけど、……どう? ビンゴ?」
こういう察しの良いところも直樹にそっくりで、嫌になるな……と尽は溜め息を落とさずにはいられない。
「……お察しの通りです。二人とも俺があちらへ連れて行って構いませんか?」
「もし駄目だと言ったら?」
「その場合は雄太郎おじさんに恨まれてでも連れて行きます」
「じゃあ聞かないで?」
クスクス笑う雄太郎に、尽が「まぁ……でも、一応穏便にはいきたいな?と思っているので」と言ったら、雄太郎が「うーん。そう言われたら仕方ないなぁ。――嫌だけど許可しよう」と言ってくれた。
「でもさ、そのかわり――」
そこでこちらへ身を乗り出してきた雄太郎から、桃坂にされたようにポンポンと頭を撫でられてから、
「今度僕にもちゃんとフィアンセを紹介して? 僕は社員としての玉木天莉さんは知っているけれど、プライベートの顔はほとんど知らないから」
さっき桃坂弁護士からも似たようなことを言われたな?というセリフを告げられた。
尽は心の中、面倒くさいので、みんなひとところに集まってもらってから紹介するんでもいいですかね?と思ったのだが、文句を言われそうなので言わずにおいた。
(直樹、お前来なくて正解だったぞ)
そんな思いとともに――。