テラーノベル
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朝。
カーテンの隙間から差し込む光で、雫は目を覚ました。
「……ん……」
ぼんやりとした頭が、ゆっくりと現実を思い出す。
蓮が死んだ。
葬儀の日の涙。
神様への懇願。
そして、あの日に戻った。
もう一度「転校初日」から。
――だけど、昨日は変えられた。
事故を回避できた。
彼を死なせなかった。
小さく息を吐く。
その胸の奥に、ひりひりする怖さと小さな希望が同居していた。
「……今日も、ちゃんと……」
まだ終わりじゃない。
油断したら、またあの光景を見てしまうかもしれない。
絶対に、繰り返させない。
制服を着て、髪を整え、スマホをポケットに滑り込ませる。
画面には、昨日の蓮からのLINE。
『なんか送られて恥ずかしかったけど、嬉しかった』
何度も読み返したその文章が、雫を支えていた。
「生きとる」
それを確かめたくて、泣きそうになる。
深呼吸をして家を出た。
東京の駅の人波は相変わらず多い。
けれど昨日よりも怖くない。
「蓮がおるけん」
その確信が、足を前に進めてくれる。
電車に揺られて学校へ。
見慣れない景色も、少しだけ自分のものになった気がした。
ガラスに映る自分の顔を見て、決意を新たにする。
教室に入ると、ちょうど蓮が笑っていた。
「おー、秋元さん!」
「おはよう」
自然に言えた。
でも心臓はドキドキしていた。
生きてる。
ちゃんと、ここにいてくれる。
その奇跡を噛み締めながら、でも気を抜くわけにはいかなかった。
「今日は、どんな風にしよ……」
心の中で呟いた。
昨日と同じように、事故を起こさせないように。
新しい行動を選ぶ。
「どしたの?」
「え?」
「顔、なんか難しい顔してる」
「……考え事」
「へー。真面目だな」
「そげなことなか」
「あるって」
屈託のない笑顔に、胸が締め付けられる。
この笑顔を守るためなら、何だってする。
そう決めた。
昼休み。
「秋元さん、一緒食べよーぜ!」
お決まりのセリフ。
けれど、雫は少し考えて頷いた。
(昨日と同じ流れに乗るだけじゃダメかもしれん)
未来を変えるために、ちょっとずつでも「違う選択」をする。
でも、急に避けたら変に思われる。
心の中で何度もシミュレーションしてから、蓮の机に向かった。
机をくっつけて弁当を開く。
周りに友達が集まってきて、わいわい騒ぐ。
蓮はみんなの中心で、けれど雫の方をちょくちょく気にしてくれる。
その優しさに、また涙が出そうになる。
(死なせん)
弁当を食べながら、心の中で誓う。
午後の授業。
蓮はノートをとりながら、時々後ろを振り返って「わかる?」と小声で聞いてくる。
雫は頷いて、それに応える。
(この時間も、全部、大事にせんと……)
事故が起きた後には、もう二度と戻らない時間。
だからこそ、全力で守る。
放課後。
「今日も帰る?」
蓮が当然のように誘ってくる。
雫は少し笑った。
「うん、一緒に」
「じゃあ駅まで?」
「今日は……もうちょっと遠回りせん?」
「お?」
「昨日行ったカフェの近く、他にもお店あったろ」
「行く?」
「うん」
未来を変える。
同じ道をなぞらない。
別の時間を過ごす。
蓮は嬉しそうに頷いた。
「なんかデートみたいだな」
「っ……!」
顔が真っ赤になった。
博多弁が飛び出しそうで、慌てて飲み込む。
蓮は大笑いして、「冗談だって」と肩を揺らした。
でもその笑顔が、心臓を撃ち抜いたみたいに眩しかった。
この笑顔を絶対に守る。
駅前の路地裏に小さなクレープ屋を見つけた。
「クレープ好き?」
「食べたこと、あんまなか……」
「じゃあ食おうぜ!」
二人でメニューを選んで、蓮が「俺おごる!」と強引に会計した。
甘い生クリームが口の端についたのを笑いながら拭ってくれる。
「東京も悪くないだろ?」
「……うん」
「よかった」
(こんな未来、初めて)
葬儀の日なんて嘘みたいだ。
けれど、まだ安心はできない。
少しでも油断したら、またあの夜に戻るかもしれない。
目の前の蓮の命が消えるかもしれない。
「蓮」
「ん?」
「帰り、今日も送るけん」
「え、いいって!」
「よかけん」
「……なんか秋元さん、最近優しいっていうか、しっかりしてるよな」
「……」
「でも、そういうとこ好きだよ」
喉が詰まった。
好き、って言葉をそんな軽く言わんで。
そんなの、守りたくなるやん。
泣きたくなるやん。
「……ありがと」
精一杯、笑った。
帰りの電車まで、ずっとそばにいた。
同じ車両に乗って、ドアが閉まる瞬間まで手を振った。
事故があった交差点には近づかせなかった。
それだけで心臓がちぎれそうなくらい安堵した。
家に帰った。
机にノートを広げる。
事故の情報をネットで探した。
「高校生 事故 東京」
「駅前 交通事故」
曖昧なワードで必死に検索する。
いつ、どこで、どうやって。
蓮が死ぬ未来を避けるには、原因を潰さなければ。
けれど情報はぼやけたままだった。
結局わからず、スマホを握りしめて俯いた。
「うち、何も知らんままじゃ……また死なせてしまうかもしれん」
声が震えた。
でも泣いて終わりにはしない。
昨日は守れた。
今日も守れた。
なら、明日も。
明後日も。
何度だって。
翌朝。
雫は寝不足だった。
ネットで事故情報を探して、蓮のLINEを見返して、何度も計画を考えた。
どうしたら、彼を死なせない未来を作れるのか。
「事故を回避する」だけじゃ、また別の原因が出てくるかもしれん。
根本を変えんと、何度も繰り返す。
あの葬儀の未来に戻ってしまう。
それが、怖かった。
でも、絶対に諦めない。
「今日も守る」
そう心に決めて家を出た。
駅のホームでスマホを握りしめていた。
電車が来るたび、人が線路際に集まるたび、心臓が冷たくなる。
あの日、事故現場を見た記憶が鮮明によみがえる。
あの血の色、あのサイレン。
「もう見たくない」
唇を噛んだ。
学校。
蓮はいつも通りだった。
「秋元さーん、おはよ!」
「おはよう」
無理やり笑った。
昨日よりももっと自然に。
蓮は気づかない。
この笑顔を守るために、雫がどれだけ怖がってるかなんて。
でもそれでいい。
「全部、うちが背負うけん」
午前中の授業中、雫は必死に考えていた。
「なんで蓮は、あの日、あの時間に、あの交差点におったと?」
別れた後、急に用事を思い出したのか。
他の友達と約束したのか。
スマホをいじってたのか。
全部わからない。
本人に聞きたくても、どう言えばいいのか。
「なあ、あんた死ぬけん、気をつけろ」
そんなこと言えるわけがない。
(でも、うちが知らんままじゃ、何も変えられんやん……)
ペンを握る手が震えた。
ノートに文字が滲む。
昼休み。
「秋元さーん、今日も一緒に食おうぜ!」
蓮の声が教室に響いた瞬間、友達の笑い声が弾けた。
雫は頷いた。
昨日と同じように机をくっつける。
でも、心は別のことを考えていた。
「情報が要る」
どうやっても自然に、あの時の行動を聞き出さないと。
事故を避けるためには、何が原因だったのか突き止めなければ。
「秋元さん、なんか元気ない?」
「え?」
「今日ちょっと大人しいよな」
周りの友達も同意するように頷いた。
雫は慌てて笑った。
「……なんもなかよ」
「無理すんなって」
「大丈夫。ほんと」
「ならいいけど」
蓮が目を細めて笑う。
「お前、なんでも溜め込むタイプだろ?」
「……」
図星だった。
博多にいた頃もそうだった。
本音を言うのが怖かった。
人に迷惑をかけたくなかった。
「でもさ」
「ん?」
「話したい時は言えよ?」
「……うん」
泣きそうになるのを必死に堪えた。
「ありがと」
心の声は飲み込んだ。
(ほんとは全部話したい。助けたいって。死なせたくないって)
放課後。
「今日も寄り道する?」
「……うん」
「どこ行く?」
「昨日と違うとこ」
「いいねー!」
笑顔が無邪気で、心が痛かった。
未来を変える。
また新しい場所へ行く。
別のルートを選ぶ。
そうして事故を起こさせないようにする。
二人で商店街を歩いた。
小さな雑貨屋を覗いた。
駄菓子屋でお菓子を選んだ。
笑い声を交わした。
周りの人混みも、全部違う景色に変わっていく気がした。
「なあ、東京も慣れた?」
蓮が聞く。
「少し……かな」
「そっか」
「蓮がおるけん」
「……え?」
「……なんもなか」
顔が赤くなった。
蓮がびっくりして、それから嬉しそうに笑う。
「そっか、じゃあ俺も頑張らないとな」
「……うん」
胸が痛い。
好きって言いたくなる。
でも、言ったら終わる気がした。
今はまだ、その資格がない。
蓮を守れた時、初めて言おう。
帰りの駅前で、また改札まで送った。
昨日と同じように。
蓮が「また明日なー!」と手を振る。
それを見送って、電車のドアが閉まるまで目を逸らさなかった。
そのまま、崩れるように座り込む。
足が震えていた。
(守れた……今日も……)
涙が滲む。
喉が詰まる。
だけどまだ終わりじゃない。
「明日も、明後日も」
それを繰り返す。
家に帰ると、母親が心配そうに覗いた。
「しずく、大丈夫ね?」
「……うん、大丈夫」
「疲れとう顔しとるよ」
「ちょっとだけ……」
「無理せんでよかけんね」
「……うん」
お風呂で泣いた。
シャワーの音に紛れて嗚咽した。
守れてるはずなのに、怖くてたまらなかった。
また死んだらどうしよう。
次のタイミングが読めなかったら。
どうして事故が起きたのかわからないままだったら。
(でも、諦めん。絶対に)
夜、布団に潜り込む。
スマホを開く。
蓮からのLINE。
『今日はめっちゃ楽しかったな!』
『また明日もよろしくな』
指先が震えた。
(好き……)
胸が苦しかった。
返信を打つ。
『うちも楽しかった。ありがと。また明日』
送信した後、しばらく画面を見つめたまま泣いた。
「神様……」
声に出した。
「明日も……守らせて……」
両手を組む。
「蓮ば……死なせんけん」
博多弁が滲む。
祈る声がかすれていくまで、ずっと願い続けた。
翌朝。
同じ風景。
同じホーム。
同じ人混み。
「でも、今日はまた別のことをする」
自分に言い聞かせた。
油断しない。
観察する。
原因を探る。
情報を聞き出す。
学校。
「秋元さーん!」
「おはよう」
笑顔を作る。
その裏で計画を立てる。
昨日と同じルートは選ばない。
放課後は別の方向に誘う。
事故のタイミングを潰す。
「でも……根本を……」
ノートに小さくメモする。
『原因』『行動パターン』『友人関係』
全部書き出して、分析する。
蓮のことを知る。
もっと深く。
それが救う鍵になる。
授業が終わった後、声をかけた。
「蓮」
「お?」
「今日、話したいことあると」
「え、マジ? 珍しいな」
「……秘密の話」
「おお、気になる」
笑わせた。
でも目は真剣だった。
「今日、どこも寄らんと、公園で話そ」
「公園?」
「人少ないけん」
「へー、いいじゃん」
計画通り。
人混みを避ける。
安全な場所で、事故を起こさせないようにする。
同時に、情報を聞き出す。
昨日までの自分とは違う。
今日はもっと深く踏み込む。
夕暮れの公園。
二人きりのベンチ。
蝉の声が遠くで響く。
蓮は足をぶらぶらさせて笑っていた。
「なんだよ、秘密って」
「……蓮のこと、教えてほしか」
「お?」
「東京来て、うち、蓮のこといっぱい助けてもろうたけん」
「は?」
「もっと知りたかと」
「……」
蓮が不意に照れたように目を逸らす。
「なんだよそれ」
「教えて」
「……いいけど、何から?」
心臓がバクバクしていた。
これが未来を変える一歩。
彼を救うための質問。
雫は目を伏せて、小さな声で呟いた。
「……あの日、事故にあった時、なんであそこにおったと?」
空気が、一瞬止まった。
蓮が顔を上げた。
目が真剣だった。
「なんで、それ知ってる?」
「……」
喉が詰まった。
嘘はつけなかった。
「お願い、教えて」
「……」
蓮が視線を外して黙り込む。
蝉の声だけが聞こえた。
息が詰まるほどの沈黙。
雫は震える声で繰り返した。
「うちは、蓮を守りたかと」
「なんでそんなこと……」
「死なんでほしか」
涙が滲む。
ごまかせなかった。
言ってしまった。
本音がこぼれた。
蓮は何かを言いかけて、飲み込むように視線を落とした。
コメント
2件
うっわなんか凄い続き気になる......w