その頃、都大路を行き交う人々は、再び、驚きざわめきあった。
男二人を乗せた、牛が全速力で、駆けている。
モォーモォー鳴いて牛は、前からやって来る者達と、ぶつからないように危険回避しているように見えた。
「よし、髭モジャよ、子細は、よくわからぬが、大方の事はわかった!」
「なんじゃそりゃ、崇高《むねたか》よ、分かったのか、分からぬのか」
「牛に、股がっておるのじゃ、振り落とされぬかと、心配で、主の、話しも耳に入らぬわっ!だが、あの、新《あらた》の名前が、挙がったとなると、これは、たしかに、一大事!」
検非違使、崇高《むねたか》は、うんと、大きく頷き、髭モジャに、しがみついた。
「おわっ、崇高、お前の体に押し潰されそうじゃ!」
「仕方あるまいて!主は、牛の首に捕まっておれるが、我は、主、髭モジャを、掴むしかないのだからの!」
あー、そうじゃのぉ、すまんすまん、と、髭モジャは、謝りつつも、一大事とは、どうゆうことかと、問いただした。
「つまり、息子の、八原《やはら》が、小悪党と、組んでいたのだぞ?その、親なら、大悪党と、組むだろう」
「あー、たしかに、新は、若い時から、手を焼いた。なんとか、落ち着いたかと、思えば、やはり……ん?!いかんぞ!女童児が、新と対決しておるのじゃ!こりゃー、危なすぎるぞ!!」
「髭モジャよ!まずすぎる!牛、走れっ!!」
答えるように、牛の若は、モォー、と、鳴くと、更に、速度をあげた。
そして、その、新と対決する紗奈は……。
「へえ、こんなところに。知らなかったなぁ。こりゃー、気がつかねぇーや」
目的の、使われていない塗篭《ぬりごめ》の前に来て、新が言った何気ない言葉に、違和感を抱いていた。
「あー、今は、使われていないというか、いっぱいになったからって、新しく塗篭を造って使ってるらしいの」
ふうーん、さすがだねぇ、大納言様の御屋敷は、と、感心しつつ、新は、使わなくなった事から、たて付けの悪くなっている開き戸を難なく開けた。
「新、すごいね!簡単に、開けちゃうなんて!」
「おお、庶民を、馬鹿にすんなよぉ、立て付けの悪さには、慣れっこよ!」
はははっと、笑っているが、紗奈には、どうしても、素直に受け止める事ができなかった。
「……で?こりゃ、どういうことだ?」
戸口に立つ、新は、紗奈を見た。
「えーとー、それは、鍾馗《しょうき》が、もう、荷物を運びだしちゃたとか?」
塗篭《ぬりごめ》は、がらんとしていた。納まっているはずの、荷物は、何一つなかった。
新しい塗篭へ、貴重な物は移し、さほどたいした値打ちのない物は、処分したり、下げ渡したりと、とにかく、とっくの昔に、ここは、空き房《へや》に、なっていた。
紗奈が、女童児として、仕えていた頃には、すでに空いており、そして、閉じ込め房《へや》として、使われていたのだ。
「あ、上野様!荷物はどちらに?」
先に来ていた鍾馗が、紗奈に、声をかけてきた。
「おー、そーそー、荷物は、どちらでしょうか?」
新も、しらじらしく言うと、
「おい、犬!何、たくらんでんだ!正直に言ったら、干魚やるぞ?」
何故か、タマを手懐けようとした。
「え?!タマ、知りませんよ!」
「おっかしいなぁ、タマ、お前ほどの、犬なら、知ってると思ったんだがなぁー」
と、新は、タマへ手招きしている。
「鍾馗!新を、捕まえてっ!」
紗奈が、叫んだ。
タマなら、干魚欲しさに、いや、新の、かまかけに、引っ掛かってしまうだろう。ならば、先に!
「んな、ことだろうと、思っていたわっ!!」
言うと、同時に、新は、鍾馗の、みぞおちへ蹴りを入れた。
不意打ちされた鍾馗は、うっと、呻くと、そのまま崩れ混んでしまう。
「えっ!鍾馗!」
「ほんとだ、橘様の言う通り、鍾馗様は、肝心な時に、役に立たないんだ」
タマが、呑気に言っている。
「犬よ、お前、喋り過ぎなんだよっ!」
有無を言わさず、新は、タマも、蹴り飛ばす。
ぎゃん!と、タマの鳴き声が響いた後、柱に、ゴンと、打ち付けられる音がして、タマも、床にのびてしまった。
「えー!!タマ!!うそっ!!」
「うそじゃねぇーよ、紗奈、お前が、こそこそ動くから、仲間が、やられちまったんだろ?」
ニタリと、笑う新の顔が、紗奈へ迫って来た。