テラーノベル
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十月八日。
王都の喧騒が遠い記憶となり、復興の槌音が心地よいリズムへと変わった秋の日。
かつての王邸を模して建てられた小さな政務執務室の片隅で、元貴は必死に机の下へ「それ」を隠した。
「……元貴、何をしている」
低く、落ち着いた声が室内に響く。
振り返れば、そこにはかつての軍服を脱ぎ捨て、動きやすい黒の修練着を纏った滉斗が立っていた。手には二人の昼食代わりにするための、焼きたてのパンが握られている。
「な、なんでもないよ! ほら、今日は風が気持ちいいね、ひろぱ」
わざとらしく窓の外を指差す元貴だったが、その指先には赤や金色の細い糸が絡まり、机の上には彫刻刀と小さな木材の破片が散らばっている。
隠し事が致命的に下手なのは、幼い頃から変わらない彼の「弱点」だった。
「……隠さなくていい。翡翠の勾玉を彫っていたんだろう」
滉斗はため息をつきながら机に近づくと、元貴が隠していた手を取り、その掌を広げさせた。そこには、まだ形になりきっていない、歪な翡翠の原石が転がっていた。
「あ……。バレちゃったか」
元貴はバツが悪そうに頬を掻いた。
十五年前、別れの夜に渡したあの守り袋。逃避行を支え、今は滉斗の胸元にあるあの石。
元貴は、自分たちが本当の意味で「夫婦」となった証として、今の自分ができる精一杯の術を込めた新しい対の守り石を贈ろうとしていたのだ。
「十月八日……。今日、君の誕生日でしょ? 昔みたいに立派な儀式はできないけど、僕が直接作ったものをあげたくて」
元貴の指先には、慣れない彫刻でできた小さな傷が幾つも作られていた。
それを見た瞬間、滉斗の瞳に宿ったのは、かつての冷徹な「氷」ではなく、陽だまりのような深い情愛だった。
「……馬鹿だな、お前は。指を怪我してまで作ることか。術士にとって指先は命だろう」
滉斗は叱るような口調ながらも、元貴の傷ついた指を一本ずつ、愛おしそうに自分の唇に寄せた。冷たい術を操るはずの彼の唇は、驚くほど温かかった。
「だって、ひろぱはいつも僕を守ってくれるから。僕にできるのは、君の心が凍らないように、お守りを作ることくらいしかないから……」
元貴が少し俯いてそう言うと、滉斗はふっと低く笑い、彼を背後から包み込むように抱きしめた。
「お守りなら、もう間に合っている。……お前が隣にいることが、俺にとって最大の守護だ」
そう言って、滉斗は机の上に置かれた未完成の翡翠を手に取った。
「これは、二人で完成させよう。俺が形を整え、お前が術を込める。……それが一番、俺たちらしい」
窓からは、十月の柔らかな陽光が差し込み、二人の影を一つに重ねていた。
かつて琥珀の中に閉じ込められたと思っていた宝石は、今、二人の手の中で新しい輝きを放ち始めている。
「お誕生日おめでとう、ひろぱ」
「ああ。……生まれてきてよかったと、今、初めて思った」
二人の笑い声が、秋の清冽な風に乗って、新しく生まれ変わった街へと溶けていった。
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