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若菜が原田を連れてここに来たなら、おじさんがそう思うのも無理はないけど、それは違う。
俺は「付き合ってないですよ」とすぐに言った。
俺がはっきり否定したからか、おじさんは「あー、やっぱりそうなんだ」と、苦笑いをこぼす。
「じゃあ、原田くんはお父さんにでも俺のことを聞いて見舞いにきてくれたのかな。
若菜に付き合ってるのか聞いても「付き合ってない」って言うんだけど、照れてるのかなんなのかわからなくて。
やっぱり……若菜の彼氏じゃなかったのか」
笑っていても、おじさんはがっかりしているようにも見えた。
そんなおじさんを見ていると、苦しくなってくる。
おじさんにとっては、若菜が原田と付き合ってるほうがよかったのかもしれないとも思った。
病気のことで弱気になってる部分もあるだろうけど、それ以前にも、おじさんは若菜の結婚を気にしていた。
(俺は……)
おじさんが倒れなければ、あの時コテージで、若菜に20歳の時の約束を実現させたいと告げるつもりだった。
でも、おばさんからの電話で、すべての歯車は狂ってしまった。
10年前に若菜と約束した時は、お互い30歳になった自分がなにをしているかや、環境がどうなっているのかなんて想像できなかった。
だから…あの約束を守れたら、俺たちは赤い糸でつながっていたと思えると思っていた。
でも……俺たちの糸はつながっているのかわからない。
異動を断り、仕事を辞めておじさんの店を継ぐと決められないなら、若菜に結婚の話を持ち出す資格はないだろう。
そして俺は、まだそんな覚悟ができていない。
そうなりたいかも考えられていない。
若菜との未来が結びついているかなんて、今の俺にわかるわけがなかった。
ベッド脇のテレビボードの上にある、小さな時計を見る。
店を出て一時間以上過ぎているから、そろそろ戻らないといけない。
俺は豆大福の入った箱をおじさんに返した。
「ありがとうございます、うまかったです。
じゃあ俺、そろそろ失礼しますね」
「あぁ、休憩中になんとか来てくれたんだろ、悪かったね。
仕事頑張ってな」
「はい」
軽く頭を下げて病室を出る。
駐車場へと歩きながら、さっきの話が頭を回って気分が沈んだ。
おじさんと話せたのはよかったけど……おじさんも俺も、これからどうするのか先が見通せない。
途中のコンビニでおにぎりとお茶を買い、食べながら店へ戻ると、店長にお礼を言って仕事に戻った。
夜、片付けを終えて着替えようとすると、スマホにメッセージが届いているのに気づいた。
――――――――――
今日お父さんのとこお見舞いに行ってくれたんだって?
ありがとう。わりと元気だったでしょ?
私は昨日原田くんとお見舞い行ったんだ。
原田くんが行きたいって言ってくれて、一緒に行ったの
――――――――――
若菜からのメッセージを見て、おじさんと話を終えた時の、なんとも言えない気分がよみがえる。
若菜は、原田の気持ちに気づいているんだろうか。
いや、でもまだ原田は告白もしていなさそうだし、どうなのかわからない。
なぁ若菜。
おじさん、お前らの仲を疑ってるんだぞ。
俺も疑うよ、なんか進展あったんじゃないかって。
――――――――――
今日お見舞い行った。遅くなって悪かったな。
おじさんとふつうに話せて安心したよ
――――――――――
おじさんから豆大福をもらったことや、それが原田からの差し入れで、もやっとしたこと。
おじさんがふたりが付き合っていたらいいなと思っているっぽいことにへこんだこととかも、頭に浮かんできたけど、言えばみっともないから言わなかった。
結局簡素なメッセージになったけど、若菜に言わないといけない、大事なことはまだある。
『俺、一か月後に異動になる。
○○県に新規出店することになって、その起ち上げにいくことになるんだ』
文章にしたメッセージを眺めるけど、送れない。
まだ自分の中でもきちんと受け入れられていないのに、異動のことを若菜に言ってしまえば、それは確実な未来になってしまうと思った。
会社として異動は決定しているし、異動がいやだと店長にもエリアマネージャーにも言っていない。
だけど心の隅で、若菜のおじさんの店を気にしているし、継ぐこともほんのすこしだけ考えているのも事実だった。
迷っているうちは、若菜に言えない。
異動に関するメッセージは消して、スマホはカバンにしまった。
翌日、休憩室兼事務所の壁に、辞令が貼り出された。
パートさんやバイトは俺の辞令に驚いて、バイトの水瀬は「あの幼なじみさんと離れ離れじゃないすか!」と大げさに目を丸くした。
これまでパートさんやバイトに慕われている感覚はなかったが、「寂しくなる」とみんなが言ってくれるのは嬉しい。
この店の社員は店長と俺を含めて5人で、俺が抜けても、アルバイトの人数は足りているから、なんとかやっていけるだろう。
そんなふうに自分がこの店をいなくなることを、どこか他人事のように思ったが、一か月後には別の場所で生活しているなんて想像つかなかった。
異動が発表された翌日の水曜日。
昼の12時を過ぎると、客が増えて慌ただしくなった。
バタバタとオーダーをこなしながらも、キッチンから入口のドアのほうを見てしまう。
水曜日のランチは、若菜が来る日。
その若菜が店に入ってきたのは、昼のピークを過ぎようかという頃だった。
いつも若菜は俺がいるか確認するから、俺が見ていれば自然と目は合う。
だから目があったけど、オーダーが途切れない今は、キッチンから出れる余裕はなく、若菜はほんのすこしだけ笑って、バイトのひとりが案内したを席に座った。
若菜のオーダーはいつもの日替わりランチだった。
今日の日替わりはチキンのディアボラ風で、ソース自体は玉ねぎベースであいつの嫌いな味じゃないし、よく焼き目をつけると、若菜はおいしいと言うだろうなと思った。
オーダーをどんどん仕上げていき、やっと注文が途切れると、俺はキッチンにいるバイトに声をかけて、ホールに出た。
若菜は付け合わせのほうれん草のソテーを食べているところで、俺に気づくと顔をあげて笑った。
「お疲れー。今日は忙しそうだったね」
「あー、まぁな。それどうだった?今日のランチ」
「おいしかったよ!私これは好きだなー。
って、こないだはありがとうね。
忙しい中お父さんのお見舞いに来てもらって」
若菜はナイフとフォークを置いて、俺に頭をさげた。
「いや、全然。
俺もずっと気になってたから行けてよかったよ」
「お父さん喜んでたよ。
あと渡した豆大福を食べてて、喉に詰まらせてたって言ってた。
聞いて笑っちゃったよ。そんなに急いで食べてたの?」
「あー……」
呆れたように笑う若菜に、俺はその時のことを思い出して、苦笑いしかできない。