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「にく、にく、ひげ、ひげ!ひげ太郎ーー!」
お咲は、岩崎の膝の上で、あの桃太郎ばりのおかしな唄を口ずさみご機嫌だった。
月子の身支度が整うのを待ち、結局、男爵邸を後にする事にしたのだが、それを聞いた芳子が、今度は大泣きした。
自分のドレスを月子が気に入らなかったから出ていくのだと、これまた、あらぬ方向で騒ぎになった。
男爵は、岩崎の言わんとすることがなんとなく分かったようだが、それにしても、行ったり来たり何事かと攻め立てる。
いっそう騒ぎは大きくなり、吉田の、左様ですかの一言でどうしたことか話は収まった。
こうして、清子に、あの晩餐会で出されるはずだった料理を重箱に詰めてもらい、もう遅いからと三田の運転する車で岩崎達は神田旭町の家へ向かっている。
お咲は、座席から落ちないように岩崎の膝の上に座っているのだが、至近距離に髭のない岩崎の顔があるためか、ひげ太郎の唄を作り出したようだった。
それをまた、運転手の三田がからかい半分で誉めるものだから、車内は、お咲の唄声、それに反応する月子の笑い声、当然、岩崎のむっとした表情、ほのかに重箱から漂う肉の香りと、なんとも不思議な空間になっている。
「はい、はい、髭太郎ご一行様!到着ですよ!」
三田が速度を落としながら言う。
月子にも見覚えのある大通りの脇に車は止まった。
一体何度同じ道を通ったのだろう。流石に、月子もここまで来れば、少し行った所から脇道へ入り幾度か角を曲がると、岩崎の家へ着くことが容易に想像できた。
降りなければと思っていると……。
「三田の運転するおじさん!まだついてないよ!お家は、その先の道から、曲がるんだよ!」
お咲が三田に噛みついた。
どうやら、月子同様お咲も道順を覚えてしまったようで、家の前まで車で行くよう三田を急かした。
「いや、お咲坊。厳しいねぇー。三田のおじさんも、出来ることと出来ないことがあるのだよー。わかっておくれー」
三田は、よよよ、と、大袈裟に泣き真似をするが、岩崎は、もういいからと、お咲を抱いたまま車を降りた。月子も慌てて後を追う。
「月子、三田は運転が出来ない運転手なのだ。大きな道しか走れない。だから、すまんが、あと少しと思って歩いてくれ」
嘆き半分懇願半分の岩崎に、月子も素直に頷いて、重箱を抱え、歩んで行く岩崎について行く。
「あれ、完璧な家族の出来上がり」
くくくっと、笑いながら三田は帰りますと告げるようにクラクションを鳴らした。
そして……。
暫く一行が歩くと、懐かしのというべきなのか、岩崎の家に到着したのだが……。
「なんで、明かりがついている?!」
留守のはずの岩崎の家には電灯がともっている。
岩崎は、またか、と苛立ちを見せながら玄関のガラス戸を開けた。
案の定、弾けた声とドタバタと廊下を走る音がする。
「おお!京さん!ちょうどよかった!風呂沸いてるよっ!」
「……だから、二代目。なんでいるんだ」
「え?俺、大家だし。っていうより、お咲なんか抱いちゃって、京さん、違うだろ?!月子ちゃんじゃなきゃー。いや、これはこれで、家族の出来上がりでいいのかもなぁ」
あいかわらずの二代目に、岩崎は無言のままお咲を下ろし、何の様だとばかりに渋い顔をした。
「なんだよっ!留守番してたのにっ!暫く家を開けるからって、お隣に告げるなら、大家の俺にも言ってくれないとなぁー!そもそも、家ってもんは、人が住まなきゃ傷むもんだぜ?大家としちゃー手入れのひと手間みたいなもんで覗いてさっ、ついでに、風呂沸かしてた訳よ」
めちゃくちゃな理屈を突き付けてくる二代目へ、岩崎は呆れ果て、
「月子、すまんが、二代目にも、その重箱の中身、わけてやってくれ……」
どうせ、飯はまだなのだろうと、ぶつぶつ言いながら、岩崎は二代目を急かし居間へ入った。