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#BL
#ヒューマンドラマ
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帝辛は、目の前の人間を「ただの歯車」として見ていない。その者の背景、生活、その根底にあるものを知ろうとしている。
「冬の風は、骨まで冷えます。ですが、倉の火を守る者がいれば、米は守れます」
縫季が用意していた答えを返すと、帝辛の口元が、ふっと緩んだ。
それは朝の公的な笑みではなく、清朗と話していたときに見せた、年相応の柔らかな笑みに近かった。
――その瞬間。縫季の胸が、騒がしく跳ねた。
(……だめだ。思い出すな)
市場で見た、あの無防備な笑顔。
それが目の前の本物と重なり、縫季の視界を狂わせる。
だが、同時に。
(……完璧すぎる)
縫季の心の奥で、冷たい針がちくりと刺さった。
帝辛の笑みは、確かに温かい。しかし、そこには寸分の狂いもない「整い」があった。
民を安心させるため。相手の心をほどくため。彼が王太子として、自分に課してきた「正解の笑み」が、無意識の所作にまで染み付いている。
(この人……無理をしていないか?)
帝辛の眼差しは穏やかだが、その奥底に、本人さえ気づいていないほど深い疲労が沈殿しているように見えた。
誰かのために笑い、誰かのために正しくあり続けようとする。その献身が、彼自身の魂を摩耗させているのではないか。
「よく見ている。内庫司に、良い者が入った」
それは最上級の褒め言葉だったが、縫季には「王による鑑定」のようにも聞こえた。
「恐れ入ります」
「帳は、嘘をつかぬ。だが、人は嘘をつく」
帝辛の声が続く。
「何か気づいたことがあれば、内庫司の上にだけでなく、私にも直接伝えよ」
釘を刺されたのか、あるいは誘いか。
縫季は「承知いたしました」とだけ答え、深く頭を下げて退出した。
重い扉が閉まり、廊下の風が頬を打つ。
縫季はそこで初めて、自分が呼吸を忘れていたことに気づいた。肺に溜まった熱を吐き出し、代わりに廊下の冷えた空気を吸い込む。
(任務は歪の修正。それだけだ)
自分に言い聞かせるが、帝辛の最後の笑みが、網膜に焼き付いて離れない。
誰かに安心を与えるために、完璧に調律された、痛々しいほどに美しい笑み。
(……俺は、本当に、この笑顔を『歪み』として折るために来たのか?)
答えは決まっているはずなのに、喉の奥が苦い。
縫季は内庫司へと戻る足を早めた。
帳を精査する。この違和感の正体を、確かめる。
そう決めたはずなのに。
胸の奥では、あの「完璧すぎる笑み」が、救いを求める叫びのように脈打ち続けていた。
◆
内庫司へ戻ると、先ほどまでの静寂が嘘のように、役人たちが慌ただしく動き回っていた。
「柳渓村への追加配給、急ぎで手配を!」「倉の印、まだ揃ってないぞ!」
縫季は卓に戻り、帳を広げた。
「監査吏」
不意に声をかけられ、縫季は顔を上げた。
上役の老官――先ほど摘要を届けろと命じた男だ。年齢は六十を過ぎているだろうか。髪は白く、背中は少し丸まっているが、目はまだ鋭い。
「はい」
「殿下は、何か仰っていたか?」
「『よく見ている』と。……それだけです」
老官は満足げに頷いた。
「それは良かった。殿下は、細かいところまでよくご覧になる」
老官は縫季の隣に腰を下ろし、帳を覗き込んだ。
「柳渓村への配給、無事に届いたようだな」
「はい。運び筋を北の街道へ切り替えたことで、遅れは解消されたようです」
「そうか」
老官は目を細めた。
「殿下は、陛下の血を引いておられる。民を想い、国を信じる。その心は、陛下と同じだ」
縫季は黙って頷いた。
老官は少しの間、帳を見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……ただ、陛下は最近、少しお疲れのようだ」
縫季の手が、一瞬止まった。
「お疲れ、ですか?」
「ああ。……病ではない、と信じたいがな」
老官の声が、わずかに沈む。
「先月から、咳が増えた。謁見の間でも、時折、お体を支えられる。医官は『疲労』と仰るが……」
コメント
1件
うわあ、この回、重かった……。帝辛の「整った笑み」の描写が本当に痛くて、縫季が「この人、無理してないか?」って気づくシーンで息が止まったよ。誰かを安心させるために完璧に調律された笑顔って、そりゃ魂摩耗するわ……。しかも陛下の体調不良と「黒闢」の話が出てきて、これからますます展開が気になる。老官の「殿下は人の善意を退けられない」って台詞も、すごく核心を突いててゾクッとした。続き、早く読みたいな。