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護女など辞めてしまうように、と説得しに来たつもりだったが、むしろ応援するようなことを言ってしまった。自身を卑下するノンネットを見ていられなかったのだ。
ノンネットの懐の中で、手紙のグリュエーは悶々と考える。グリュエーがロガットの街に来て、明くる朝のことだ。ノンネットは護女の勤め、また修行の一環として、僧兵たちやロガットの街の信徒のために癒しの魔術を行使していた。城壁に併設された治療院の病床から病床へと行き来している。昨日の落ち込みようなど嘘のように、患者たちの前では明るく振る舞い、時に励ましている。
ノンネットに伝えるべきことは全て伝えた。その後どのように決断するかはノンネットの領分だと言える。だが、だからといってこのまま帰っては、何か見捨てたような気分になるのでは、と感じている。それに運ぶ者を失って、得たものは何もない。このままでは苦労してやってきた甲斐がない。
「魔導書について知ってること教えてくれない? あの侍る者さんのこととか」
自室で休憩――と称しつつも次の勤めの準備を――しているノンネットに囁きかけた。
「魔法少女の一味に救済機構の僧侶が教えるべきことなどありませんが」とあえなく突き放される。そして、「最も聖女に近い護女が魔法少女に与して、拙僧のような落ちこぼれが護女にしがみつく。おかしな話ですね」と自虐的に笑う。
「あのねえ。逃げる気がないなら救済機構で頑張るしかないでしょ」とグリュエーは苛立ちを隠さずに言う。「まさか黙って魂を抜かれるつもりじゃないよね?」
ノンネットは素朴な小箱の中の様々な道具、蝋燭や小皿、様々な液体に粉体が揃っていることを確認している。
「もちろん。真相を探るつもりです。言っておきますが貴女の言い分を頭から信じているわけではありません。特に、聖女様が嘘をついているという部分に関しては」
「まあ、確かにそこに関しては推測の域を出ないけど」
「さあ、話は終わりです。さっさとお帰りください。この手紙をどこかに捨て置いて欲しいならそう言ってください」
「もうちょっと待って!」
実際のところどのように脱出するかも問題だ。運ぶ者はいない。手紙から風に憑依することもできる。しかしグリュエーがシグニカを脱出するため、助けを呼ぶために四方に放った魂はユカリやソラマリアを連れてくるのに一年近くかかり、うち一つは未だに北から戻って来ない。グリュエーはこれが風の性質、その気まぐれさに起因しているのではないかと考えている。魂を憑依させ、支配しているつもりで相互に影響を及ぼしている可能性はある。
「そもそもその手紙を寄越す魔術は何なのです? 貴女と遠隔会話しているわけではありませんよね?」自室を出て、冷たい石の通廊を行きながらノンネットは囁く。
「うん。まあ、ちょっと特殊な魔術で。あ、知りたい? それなら魔導書の情報と交換っていうのはどう?」
「そこまで気にならないです」とむべなく突き放される。「ああ、でも魔術はともかく、貴女の過去なら少し興味ありますね」
「魔導書の情報と交換でも良いの?」
「もしくは貴女の身の安全と。別に手紙を突き出しても構わないんですよ」
ノンネットが次にやって来たのは大きな広間だった。壁際には固定された棚が並び、多くの羊皮紙が詰め込まれている。また図書館にも引けを取らない書物の量だが、そのぞんざいな扱いを見るにそれほど価値のあるものではないようだ。中央には大きな円卓があり、ガレイン半島の地図が広げられている。
そこで見聞きした内容からグリュエーにもその広間の役割が推察できる。そこでは魔導書の探索が行われているようだった。もちろん魔導書そのものを直接補足する魔術など発明も発見もされていない。しかし魔導書の残す痕跡に関してはその限りではない。特に条件付きだが自立的に動く使い魔は多くの魔術的痕跡を残してしまうのだ。
そこで立ち働く多くの魔術師たちと同様にノンネットも霊的素質を活かした魔術で魔導書の探索を行い、随時記録し、報告書を記す。
改めてグリュエーはノンネットへの敬意を固める。どれもこれもグリュエーにはできないことばかりだ。反意から護女としての教育を拒んでいたが、きちんと学んでいれば、それこそ救済機構への反撃に役立つこともあっただろう。今更後悔しても遅いが、あの数年間の拒絶が今では怠慢のように感じられた。
「そもそも何で匿ってくれるの?」とグリュエーは控えめに問う。「それこそすぐに突き出してもよかったでしょ?」
昼休みのことだ。いつもなら加護官たちと食事を摂っているらしい。グリュエーがやってきてからは何かと理由を付けて一人になっている。
「何故って。お話したかったからですよ」
「そっか。まあ、確かに三か月とちょっとぶりだもんね。この少しの間に語り尽くせないくらい色んな出来事があったよ」
「違いますよ」とノンネットは昼食の麺麭の端を千切って言う。「この三年間です。貴女がジンテラに来てからの三年間ですよ。貴女はきっと十分に話しているつもりだったのでしょうけれど。拙僧は貴女の過去どころか出身すら知りません」
それは結局の所反意があったからだ。幼いグリュエーを攫ってきた救済機構、そしてその教えに従う護女、そこに大きな違いはないとグリュエーは考えていた。
「あまり気持ちの良い話ではないからね」とグリュエーは嘘ではないが本意を隠す。「それにノンネットにとっても受け入れ難い話だと思うし」
「護女の抜け殻を使うような?」
「まあ、似たような感じかな」
「聞かせてください。あまり時間もないことですし」
「時間? 何かあるの?」
「だって貴女、使い魔を回収されたじゃないですか。何があったか命令されればすぐに白状しますよ」
そうだった。そういうものだった。心臓は高鳴らず、冷や汗をかくこともないがグリュエーは焦り、冷静であろうと努める。
「でもそれにしては、逆に、遅くない? もう一晩経っちゃってるけど」
「魔導書に関われるのは上位の僧侶だけですし、それなりに面倒な手続きがありますからね」麺麭の咀嚼の合間にノンネットは喋っている。「あれって札を貼って命令しないと聞き出せないらしいじゃないですか。そうなると公的な魔導書の使用ですから、それはもう煩雑で無意味なやり取りを重ねなくてはならないんですよ。この城壁にいる使い魔たちは必ず一日の終わりに一室に集まって、眠るわけでもなくただじっと黙って夜明けを待ってるそうですよ。それを見た拙僧の加護官が驚いて……」
話過ぎたことに気づいたらしい。ノンネットは口を噤み、思い出したように咀嚼を再開する。
「その部屋、どこにあるの?」
「拙僧と貴女は敵同士です」
「場所だけ教えて。一人で行くから」
結局場所は教えてはくれなかったのだが、必ず就寝前に侍る者がノンネットの元へ挨拶に来てくれるのだということを教えてくれた。つまり後は後をついていくだけだ。
そうして手紙のグリュエーは今、城壁内部の隅の隅、埃っぽい一角までやってきた。侍る者はある古びた扉の向こうへ入って行った。錠はかかっていない。まだ中に人がいるのか、これから誰かが鍵をかけに来るのかもしれない。一見不用心だが、中の使い魔たち自身に身を守るように命令すれば十分なのだろう。
扉の向こうへ行こうと意を決したその時、扉の向こうから話し声が聞こえ、押し留まる。グリュエーは慎重に近づき、その声に集中する。
「こいつが中々気持ちいいらしいですよ。今度試してみますか?」それはモディーハンナの声だった。
「まあ、機会があればな。私は君と違って忙しいからさ」その声は聖女アルメノンだった。
グリュエーは話を聞き逃すまいと扉の方に近づく。
「私だって忙しいですよ」とモディーハンナは負けずに言い返す。「護女エーミ探しは捗ってます?」
「何にも捗っていないな。クヴラフワにばら撒いていたらしい魂を回収させてるが、そもそもどれだけ失ってるのか分からん。魔導書探しより大変なんじゃないか?」
「実際のところ、どれくらい魂を失ってるんですかね?」
「さあ。分からんが、万が一があってはいけないんだろう? 虱潰しだよ」
自分のことを話しているらしいとグリュエーは気づく。失われた魂とはクヴラフワの呪いを受ける身代わりに切り離した微小な魂だ。アルメノンが回収しているとは想像だにしていなかった。そしてグリュエーの魂の一片も逃さず手に入れたいのだというアルメノンの執念を知る。
そしてモディーハンナとアルメノンらしき足音が扉の方へ近づいてきた。グリュエーは軽率な自分を呪いつつ這うようにして扉から離れるが、手紙の体では到底間に合わない。そして扉が開かれた。
「おや、どうしたのですか? 護女ノンネットさん」とモディーハンナが言った。
間一髪のところでグリュエーはノンネットに拾い上げられ、懐に隠されたのだった。
「こんばんは。モディーハンナ総長。実は侍る者さんに聞きたいことがあるのです。部屋にあったはずの羽根筆が一本無くなっていまして」
「魔導書の運用の厳格さは貴女もご存じでしょう?」とモディーハンナは幼い子供を窘めるように言う。「また明日にしてください」
「はい。失礼しました。あ、聖女様、も」部屋の中から聖女が少し顔を出していることにノンネットもようやく気づいたのだった。「夜分遅くに失礼いたしました。おやすみなさいませ」
「今、何か拾ったな」とアルメノンが指摘する。「見せてみろ」
アルメノンの青い瞳がじっとノンネットを見つめている。
「これ、ですか?」そう言ってノンネットは右手を開く。そこには小石があった。「使い魔がこの城塞の掃除を始めてからこういうことは無かったのですが」
「確かに。彼がこんな失敗をするとは珍しい。とすると【命令】そのものを見直す必要がありますね」とモディーハンナが呟く。
アルメノンがモディーハンナの脇を抜けて出てくる。
「いや、懐に入れたように見えた、私には」とアルメノンは食い下がる。
「懐には、手紙が入っているだけです」とノンネットは答える。「今拾ったわけではありませんが」
「手紙? 何の手紙です?」とモディーハンナ。
「ご報告すべきだとは思っていたのですが……」
「いいですよ。今聞きます」とモディーハンナが近づいて来て、ノンネットが観念した様子で手紙を渡す。
「こんな時のために偽の手紙を用意していたってこと?」とグリュエーが暗闇の中、ノンネットの寝台の枕の下で囁く。
すっかり日が暮れ、ノンネットの無骨な自室も無機質な暗闇に覆われている。寝る前に炊いた香の薫りだけが僅かに存在を主張していた。
「言ったでしょう? いずれ運ぶ者を通じてばれるのだから、と」
「感謝してもしきれないよ」とグリュエーは身じろぎして答える。
「それで、魂がどうのこうのというのは何の話ですか?」とノンネットが問う。
モディーハンナとアルメノンの会話だ。
「そんなところから聞いてたの?」
「良いから教えなさい。随分危ない行為をしているように聞こえましたが。まさか匿ってくれている恩人に話せないなんてことはないですよね? ついでにこれまでのことも全部ね」
「分かったよ。話すよ。えっと、まず、妖術って知ってる?」
「肉体そのものが魔法道具のような力を持っている魔術の一種でしょう? 時に行為者の意図に関係なく発動することもあるとか」
そうしてグリュエーは洗いざらい告白する。魂を切り分ける妖術を使えること。その力でもってクヴラフワを救うために奔走したこと。成し遂げられず救済機構に攫われたこと。魂を風に乗せて、救いを求めたこと。総本山ジンテラから逃げてクヴラフワに戻り、ユカリによって救われたこと。
「それで?」とノンネットに求められる。
「え? いや、これで全部だよ」
「ユカリさんについていく理由は何ですか?」
「ああ、まだ回収してない魂があるんだよ。北に放った魂が戻って来なくて、それでガレインまで来た。一人じゃ大変だからユカリたちと旅してるってわけ」
それにクヴラフワで失った魂を救済機構が回収しているというのなら、いずれ取り戻さなくてはならない。
「それでは、魂を回収したなら戻って来てもいいのではありませんか?」
「救済機構に!? ……ああ、クヴラフワに、か。いや、救済機構に戻りたくないから、魂を取り戻した後も救済機構の追跡が無くなるまではユカリたちに身を寄せ続けることになると思うよ」
「そうですか。そうですよね。危険な旅でしょうに」
「ノンネットだってさっき危険を冒したばかりじゃない?」
ノンネットは夜に消え入るような声で密やかに笑う。
「失礼するよ」
唐突な声にノンネットは飛び起きる。見れば、音もなく開けられたらしい扉の前に泥に覆われた何かが立ち尽くしている。
「こんな時間に一体何ですか?」とノンネットは鋭く問い質す。「扉も叩かず、女性の部屋に。不躾に過ぎるのでは?」
「掃除をさせてもらう。知っての通り、そう命令されれば僕らは逆らえないからさ。不躾なのはごめんね」
すると泥まみれの使い魔は泥まみれの手を空中にかざす。途端に部屋中から細かな塵芥が引き寄せられ、枕の下の手紙も例外ではなかった。
「終わり。それじゃあお休みなさい」
そう言って使い魔はノンネットの部屋を出て行く。
「待ってください」とそれが無駄だと知っているはずだがノンネットは追いすがるように言った。「少し待ってください! 除く者さん!」