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アパートの中に入る。
「座ってて?」
上着を脱いだ彼と一緒にベッドの上に座る。
「とりあえず、お疲れ様。これから新生活だな」
新生活……。そうだ。
「孝介から五百万円、慰謝料として振り込んでもらったの。迅くん、私たちのことでいろいろ費用がかかったと思うし。興信所への依頼とか、今私が泊まっているホテルとか……。だからできるだけ迅くんに渡したいって……」
「要らないって言っただろ?今まで我慢してた分、自分が欲しい物とか買って」
渡したいって思っていると伝えようとしたが、言葉途中で彼に遮られた。
「私の欲しいものは、全部迅くんがくれたから。迅くんが居てくれれば、もう何も要らない」
何事にも縛られない、暴力に怯えることない自由な生活を迅くんが与えてくれた。迅くんが居てくれれば、もう何も要らないよ。
「あー。マジヤバい。そんなこと言われると――」
「キャッ……」
彼に押し倒された。
「迅……くんッ?」
「前に言ったよね?俺も美月が居れば、それだけで何も要らないって。美月にそんなこと言われたら、もう我慢できない」
彼の唇が耳朶に触れる。
「ひゃぁっ……」
吐息が伝わって、ゾクゾクする。
「ねぇ。覚えてる?美月が俺のモノになったら、身体で返してもらうから覚悟しとけよって言ったの?」
耳元で囁かれる。
「覚えて……る」
私が返事をすると
「んぁっ……」
彼は、耳朶を甘噛みした。
その後、首筋を優しく吸われる。
「んんっ……。迅くん、イヤ……。くすぐったい」
彼にここまで求められるのは久しぶりだ。
「あと、嫌だって言うくらい、美月のこと愛したいって言ったよね?」
彼は私の洋服に手をかけた。
「うん……。あっ、ちょっ……!まだダメ!!」
彼の指先が直接、私の肌に触れようとしたのを止めた。
「私、迅くんのこと好き。でもごめん。離婚したばかりだし、もうちょっと心が落ち着いてから……」
「わかった」
彼はあっさり引いてくれた。
「俺も片づけなきゃいけないことがまだ残ってるし……」
そう言うと彼は思い出したかのように、遠くを一瞬見つめた。
「そうそう。美月、今度デートしよ?」
「デート?」
迅くんとデート?
「当たり前だけど、普通の男女がするようなデート、まだしたことないじゃん。美月とデートしたい!」
なんか急に迅くんが子どもっぽくなった気がした。
「三日後、空けといて?いろいろあったし、気分転換にどこかに行こう」
そう言えば、迅くんのラフな私服とか見たことがないかも。
いつもスーツのイメージだし。
彼って休みとか何をしているんだろう。
そう言えば、私、彼の趣味とか何も知らない。
「うん。行きたい」
「じゃ、決まりだな」
私は迅くんのことが好き。
少しずつ、普通のカップルみたいに彼のことを知っていきたい。
「ああ、あと……」
なんだろう。
「美月、俺と一緒に住まない?」
「えっ!ここで?」
急な彼の提案、何も考えず、木造アパート《ここ》で住むのかと思い、聞き返してしまった。
「もちろん、ここじゃない。さすがに二人じゃ狭いだろ?」
ハハっと彼は笑った。
彼と一緒に過ごせる時間が増えるのは嬉しい。
「迅くんと一緒に居れるのは嬉しい。だけど、これで迅くんと一緒に住んだら、なんか甘えちゃいそうな気がして。迅くんの相手として、相応しいって自分が自信を持って言えるように、もう一回、いろんなこと勉強したい。それからじゃダメかな」
素直な気持ちを彼に伝えた。
「なんだよ、それ」
私の返事を聞いて、少し機嫌が悪くなったようだった。
「でもこうして居られるのも、迅くんのおかげだから。だからできるだけ早く――」
「じゃ、隣に引っ越してきて?」
「はいっ?」
彼は私の上に再び跨り
「隣の部屋、空いてるから?」
私の顔を見てそう言った。
目線を逸らすことができない。
「えっと、大家さんとか管理会社に聞いてから――?」
「じゃあ、そこがOK出したらいいの?」
何これ、また完全に彼のペースだ。
「えっと……。うん。敷金とか礼金とか聞いてみて。あと家賃とか初期費用とか、私が払えそうだったらいいよ?」
仕事でいない時とかも多いと思うけど、隣が迅くんだったらなんとなく安心だし。
「わかった。じゃあ、俺と契約をしよう?」
俺と契約とは……。
そうだ。もともとの契約は「身体を預けてしまった動画を孝介とかにバラされたくなかったら俺のいうことを聞け」っていう約束だったけど、結局どうなるんだろ?
「契約の更新。美月はあいつと離婚したわけだし、前の約束はもう意味がない。あれは美月を繋ぎとめておきたい一心だったから、咄嗟に交わした契約だったし。次の契約は――」
契約は更新されるんだ。
もう「必要ない」とかって言ってくれるかと思ったのに。
変なこと言わないよね……。
「俺が帰ってくる時は、毎日飯を作ってほしい」
ご飯を作る?
好きな人のためなら、ご飯を作るのは苦じゃない。
それだけでいいの?
「それが《《契約》》だなんて、大げさだよ。迅くんにはすごくお世話になってるし、私で良かったらご飯くらい毎日作るよ?もともと作るのは好きだったし、一人分も二人分も変わらないから」
「マジ?じゃあ、美月が隣に引っ越してくるってことでいいの?」
「うん。部屋は空いてそうだけど、大家さんに費用について聞いてみないと……」
「あっ、ちなみにここの大家、俺だから?」
「へっ?」
どういうこと?
「大家っていうか、このアパート全部買い取ったんだ。気に入った時に。六戸部屋があると思うけど、隣は俺の洋服とか荷物とか置いてある。一階は全部空室だから、部屋に入らないような美月の荷物を置けばいい。まぁ、ボロボロアパートだからセキュリティが甘いし、気をつけた方がいい。俺も美月が居てくれれば、このアパートに未練はないし、もっと広い綺麗なところに引っ越してもいいんだけどなって思ったんだけど。美月がそう言うなら、しばらくは自由に空いている部屋使えばいいよ?」
迅くん、アパートまで持っているんだ。
「えっと、家賃とか初期費用は……?」
「俺の隣に引っ越してくれるのなら無料」
それはさすがにダメだ。
「それはダメ……」
「美月ならそう言うと思った。じゃあ、家賃は一万円。他に電気代とかガス代とかもかかるだろうし。初期費用は要らない。敷金、礼金とかも。その変わり、俺の飯作って?食材の費用は払うから。これから帰ってくるのが楽しみだな」
完全に彼のペースに巻き込まれてしまった。
ニコッと笑う彼は、このやり取りについてはもう引かないだろう。
「じゃあ、約束。美月の部屋のクリーニングを頼んでおくから。もうちょっとホテルに泊ってて?部屋の準備ができたら連絡するよ。とりあえず三日後はデートな?」
いろいろ詰め込まれてしまった。
「はい。あの、カフェ《ベガ》はどうなるの?」
ベガでの料理の監修、結局は中途半端になってしまっているけど。
「美月が続けてくれるなら続けてほしい。ま、ベガへの出勤は、引っ越しして落ち着いてからにしようか?離婚したことで、美月にだってやらなきゃいけないこと、あるだろ?」
ベガの仕事は最後まで責任を持ってやりたい。
「ベガの仕事、メニューの監修は最後までやり通したい。落ち着いたらまた通っていいかな?」
藤原さんはきっと嫌な顔をする。陰口を言われそうなのもなんとなく予想できるけど、依頼された仕事はやり通したいから。
「ああ。ベガについては調整しとく。美月が離婚したってことは、スタッフの間でたぶん噂が立つ。それでも大丈夫か?」
「うん。本当のことだし。大丈夫だよ」
迅くんは「わかった」とだけ返事をしてくれた。