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「……ねえ、ユイス」
「うん」
「この塔、高すぎない?」
午後の日差しが、石壁の狭いスリットから斜めに差し込んでいる。 埃が光の粒となって舞う、静かな昼下がり。 ソラスは、果てしなく続く螺旋階段の途中で、完全に液状化していた。
上を見上げれば、首が痛くなるほど遠い天井。
下を覗き込めば、目が回るような石の渦。
ここはちょうど中腹あたり。進む気力も、戻る体力も、綺麗に使い果たした絶望の座標である。
「もう三往復目だよね、今日」
「四往復目だね。朝の水汲み、昼の買い出し、洗濯物干し、そして今の」
「……嘘でしょ」
ソラスは膝を抱え、石段に額をごとりと押し付けた。ひんやりとした石の冷たさが、運動不足の火照った肌に心地いい。
「なんでこんなに階段あるの?」
「尖塔だからね」
「理由になってない」
一段下に立ったまま、ユイスは涼しい顔で腕を組んでいる。息ひとつ乱れていないのが、ソラスにはいっそ憎らしい。
「上で編み物して、下でご飯食べて、また上で裁縫して、また下で水汲んで……」
「うん」
「住む場所、間違えたかも」
「今さらだね」
ぐったりと背中を丸めるソラス。その姿は、可憐な乙女というより、日向で行き倒れた猫に近い。
「ここに住もうかな」
「階段に?」
「うん。ここ、ちょうどいいよ。風通しもいいし、景色も……壁だけど」
言った側から、ひゅう、と隙間風が吹き抜けた。
汗ばんだ首筋を冷たい空気が撫でていく。
「寒いけど」
「……毛布、持ってくるよ」
ユイスは呆れたように溜息をつき、無言で階段を下りていった。こつ、こつ、 と足音が遠ざかり、しばらくしてまた近づいてくる。 戻ってきた彼の手には、厚手の毛布と、水筒、そして齧りかけのような硬いパン。
「はい、遭難者」
「ありがと……」
ソラスは毛布にみのむしのようにくるまり、小さな口でパンをかじった。 咀嚼するたびに、少しだけ生気が戻ってくる。
「ねえ」
「うん」
「ここ、意外と悪くないね」
「ただの通路だよ」
「誰も来ないし、静かだし」
ユイスは、パンを頬張る彼女の横顔を少しだけ見て、視線を外した。
「来るよ」
「え?」
「僕が」
当たり前のように落ちた言葉。 ソラスは一瞬きょとんとして、それからふにゃりと笑った。
「そっか。じゃあ、やっぱりここでいいや」
それから二人は、言葉もなく並んで座っていた。
乾いた石の匂い。
塔を撫でていく風の音。
遠くで聞こえる、名前も知らない鳥の声。
世界から切り離された、二人だけの踊り場。
「……ご飯、下だよね」
「うん」
「寝るの、上だよね」
「うん」
「……行くか」
どちらからともなく、よっこらしょ、と立ち上がる。 重力に逆らって、数段上り――そこで、ソラスがまた立ち止まった。
「やっぱり高すぎるよ、この塔!」
その日の夜。
寝支度を整えながら、ソラスは真顔で提案した。
「ユイス。明日から、生活のすべてを下の階で完結させようと思うの」
「上の部屋は?」
「……気が向いたら行く、別荘にする」
しかし翌朝、彼女は当然のように、最上階のベッドで目を覚ました。 そして、朝食のためにまた長い長い階段を下りながら、手すりにしがみついて高々叫ぶのだった。
「やっぱり、この塔、高すぎない!?」
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