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第9話「見るなと言った夢」/販売者:セイゴ
小橋セイゴ(こばし・せいご)、26歳。
黒髪短髪、細い目元と痩せた輪郭。
くたびれたグレーのパーカーにジーンズ、左腕には古びた赤いミサンガ。
ずっと、誰かを思い出さないように、思い出に囲まれて暮らしていた。
彼は最近、部屋からほとんど出ていない。
コンビニのバイトも辞めて半年が過ぎた。
毎日、寝る前に《メイセキム。》のページだけを眺める。
自分が登録した、たったひとつの明晰夢――
【夢名:雨の坂道】/価格:300円/ジャンル:記憶型】
「……売らなきゃよかったって、思うことってあるよな」
夢の中で、彼はいつも同じ道を歩く。
石畳の坂道、雨がしとしと降っていて、傘は持っていない。
前を歩くのは、背中の小さい少女。
紺のカーディガンに、薄い水色のワンピース。
彼女の名前は──あかね。
もう二度と会えない人だった。
販売を決めたのは、ほんの出来心だった。
夢を売ればいくらかお金になる、そう聞いたからだ。
でも、彼の夢は売れなかった。
「暗い」「救いがない」「後味が悪い」とレビューも少ない。
それでいいと思っていた。
誰にも、あの夢を見てほしくなかった。
だがある日、画面に表示された。
【購入通知:1件/ユーザーID:不明】
その夜、夢に異変が起きた。
いつも通りの雨の坂道。
いつも通り、あかねが前を歩いている。
でも、その後ろに――もうひとり、知らない誰かが立っていた。
目元だけがぼんやりして見えない。
だが、スニーカーの音が、坂を登ってくる。
「……誰だ、お前」
セイゴが思わず声をかけると、その人影は、静かに答えた。
「……“あなたの夢”、借りました」
翌朝、セイゴは《メイセキム。》のDMを確認した。
届いていたのは、たった一通の短いメッセージ。
> 「あなたの夢に、救われました」
「私の妹と、よく似ていて。……名前まで、同じで」
セイゴはスマホを落としそうになった。
その日、彼はもう一度だけ夢に入った。
坂の上で、あかねが振り返る。
雨は止んで、空が少し明るい。
「……もう、大丈夫だよ。誰かが、泣いてくれたから」
それだけ言って、彼女は坂の上へと歩いていった。
《メイセキム。》注釈:
販売された明晰夢が、他人の記憶・感情と共鳴する現象が報告されています
記憶型夢は、内容に個人の過去体験が強く含まれ、感情伝播が起こる場合があります
感情共鳴の強い夢は、体験者の“深層補完”に寄与するケースがあります
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