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第八章 闇が還る月夜
第十五話 帰る場所
客間の扉が閉まる。
その瞬間、全員の力が一気に抜けた。
「はぁ〜〜〜……」
ラスタが大袈裟なくらい深いため息を吐き、近くの椅子に腰掛けた。
ジオはふらふらと歩き、綺麗に整えられたベッドへそのまま倒れ込んだ。
柔らかな布団へ顔を埋める。
「……ふか、ふか……」
小さな呟き。
その隣へ、サフィアンも同じように倒れ込む。
「疲れたぁ……」
天井を見上げながら、ぐったり力を抜いた。
ソファへ腰掛けたクロードも流石に疲労を隠し切れていない。
銀髪をかき上げながら、深く息を吐く。
そんな中。
ラスタが部屋を見回し、むくりと顔を上げた。
「なぁ、オレにもベッド使わせてぇや」
「は?」
サフィアンが即座に反応する。
「向こう側のベッドが空いてるだろ」
「え〜」
ラスタが不満そうに口を尖らせる。
「こっちがええもん」
「なんでだよ!」
「なんとなく」
「絶対なんとなくじゃないだろ!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人。
クロードは呆れたように小さく息を吐いた。
「お前達、元気だな……」
けれどその声には、ほんの少し笑いが混じっていた。
ふとラスタが気付く。
「……あれ?」
視線の先。
ジオはもう、静かな寝息を立てていた。
「寝るの早っ」
ラスタが思わず吹き出す。
サフィアンも隣を見て、小さく目を丸くした。
長い睫毛。
穏やかな寝顔。
ついさっきまで、帝都中の瘴気を受け止めていたとは思えないほど、静かな表情だった。
ラスタはそっと立ち上がる。
そして、ジオの傍へ歩み寄り、ベッドの端へ静かに腰掛けた。
その寝顔を見つめる。
しばらく無言だった。
やがてぽつりと呟く。
「……まだ信じられんなぁ」
静かな声。
「こんなか弱そうなジオが」
「この国救ったなんて」
そのまま自然に、そっとジオの髪へ触れる。
優しく撫でる指先。
「……綺麗な寝顔やな」
その瞬間、サフィアンの眉がぴくりと動いた。
「おい」
低い声。
ラスタは気にした様子もなく、ジオを眺めている。
すると次の瞬間、サフィアンがむくりと起き上がった。
そして無言でラスタとジオの間へ、ぐいっと身体を割り込ませる。
「うおっ」
「お前は向こうで寝ろ!!」
サフィアンが半ギレで叫ぶ。
ラスタは一瞬ぽかんとしたあと、堪えきれず吹き出した。
「はいはい」
「独占欲強すぎやろ」
「うるさい!!早く行け!!」
サフィアンが睨み返す。
ラスタは笑いながら立ち上がると、もう一つのベッドへごろんと横になった。
「は〜……もう動けん……」
そのまま布団へ埋もれる。
静かな空気。
その一連の様子を見ていたクロードも、ようやく肩の力を抜いた。
ソファへ深く腰掛ける。
そして静かに目を閉じた。
窓からは、柔らかな朝日が差し込んでいた。
長い夜を越えた光。
その温かな光の中で、穏やかな時間が、静かに流れていた。
目覚めた時にはもう日が傾いていた。
窓から差し込む夕陽が、客間を赤く染めている。
クロードはゆっくり目を開けた。
ぼんやりとした意識のまま、しばらく天井を見つめる。
静かだった。
あれほど長く過酷だった夜が、まるで遠い昔みたいに感じる。
やがて、規則正しい寝息が耳へ届き、クロードはゆっくり視線を向けた。
ベッドでは、ジオとサフィアンが相変わらず近い距離で眠っている。
サフィアンの腕が、無意識にジオの肩へ回っていた。
逃がさないみたいに。
守るみたいに。
反対側では、ラスタが見事に布団を蹴飛ばしている。
さらに体が半分以上、ベッドから落ちかけていた。
「……」
クロードはしばらく無言で見つめる。
そしてふっと、小さく笑みが零れた。
こんな風に誰かと同じ部屋で、安心して眠ったのはいつ以来だろう。
脳裏へ、白い毛並みが浮かぶ。
雪の中を駆ける白狼。
幼い日の記憶。
胸の奥が、少しだけ痛んだ。
けれど今は不思議と、あの頃ほど苦しくない。
クロードは静かに目を伏せる。
すると。
「んん……」
間の抜けた声が響いた。
ラスタだった。
布団に埋もれたまま、もぞもぞ動く。
「……めし……」
寝ぼけながらそんなことを呟いている。
クロードは思わず肩を震わせた。
その声で、サフィアンも薄く目を開ける。
「……んぁ?」
寝ぼけたまま、ぼんやり周囲を見回す。
そして隣で眠るジオを見た瞬間、
安心したように再び力を抜いた。
「……いた」
無意識の呟き。
クロードは小さく目を細める。
本当に、サフィアンはずっとジオだけを見ている。
その時。
コンコン、と。
静かなノック音が響いた。
クロードが顔を上げる。
「入るぞ」
聞こえてきたのは、低く落ち着いた声。
扉が開く。
そこには、アクセルが立っていた。
流石に疲れているのだろう。
金髪は少し乱れ、軍服にも戦闘と執務の跡が残っている。
けれど客間の様子を見た瞬間、黄金の瞳が、ふっと柔らかくなった。
「……なんだこの状況」
アクセルが思わず苦笑する。
ラスタはまだその体勢で寝ている。
サフィアンはジオを抱え込むみたいに眠っている。
そして当のジオは、全く起きる気配がない。
クロードが静かに答えた。
「平和だろう」
その返答に、アクセルは一瞬目を丸くする。
そして堪えきれなかったみたいに、小さく笑った。
その笑い声に反応して、ジオがうっすら目を開ける。
ぼんやりした黒い瞳が、アクセルを映した。
「……アクセル?」
寝起きの掠れた声。
アクセルは静かに頷く。
「ああ。戻った」
その言葉を聞いた瞬間
ジオの表情が、ふわりと緩む。
「……おかえり」
小さな声だった。
けれどその何気ない一言に、アクセルの胸が、じんわりと熱くなった。
ーーおかえり
その言葉は、今まで何度も口にしてきた。
そして、何度も誰かから向けられてきた言葉だった。
けれど今、この場所でジオから言われたその一言は、いつもとは違う温かさを持って、アクセルの中へ残った。
ーー帰る場所。
その言葉を、ふと意識してしまう。
するとラスタが、突然ガバッと起き上がった。
「飯!!?」
部屋の空気が止まる。
次の瞬間。
サフィアンが起きて吹き出した。
クロードも肩を震わせる。
アクセルは額へ手を当て、笑いながら深くため息を吐いた。
そして客間には、久しぶりに穏やかな笑い声が響いた。
「……じゃあ」
アクセルが小さく笑う。
「みんなで食事にするか」
その言葉にサフィアンがぱっと顔を上げた。
「そういや腹減ったなぁ」
腹を押さえながら、ぼんやり天井を見る。
「最後に食べたのって、昨日の昼だっけ?」
「うわ、そう考えたらやば……」
ラスタが顔を引き攣らせる。
「オレもうお腹ペコペコやわ〜……」
ベッドへ突っ伏しながら、力なく呻いた。
クロードも静かに頷く。
「確かに、食事など取る暇はなかったな」
満月の夜。
教会。
戦闘。
魔物。
帝都防衛。
思い返すだけで、濃すぎる一日だった。
ジオはそっと自分のお腹へ触れる。
不思議だった。
今、ちゃんと空腹を感じている。
久しぶりだった。
こんなにも自然に、何かを食べたいと思えたのは。
生きている。
そんな実感が胸へ広がる。
サフィアンが立ち上がり、大きく伸びをした。
「よっしゃ、着替えて行こうぜ!」
「オレもう限界や、倒れる前に食うで!」
「オレの方が絶対腹減ってるからな!」
「ダイちゃんよりいっぱい食ったる!!」
ラスタが謎の対抗心を燃やす。
客間へ、小さな笑いが広がった。
着替えを済ませた二人は、再び昨日と同じ部屋へ案内される。
扉が開く。
中には既に、ラフな格好をしたアクセル達三人が着席していた。
「お、来た来た」
ラスタがひらひら手を振る。
その瞬間、サフィアンとジオの目が同時に料理へ向いた。
「うっわ……」
思わずサフィアンが声を漏らす。
長いテーブルの上には、豪華な料理がずらりと並んでいた。
香草の香りが漂うスープ。
焼き立ての肉料理。
色鮮やかな野菜。
ふわふわの白いパン。
甘い果実。
そして温かな飲み物。
昨日の朝食にも驚いたが、今日はさらに豪華だった。
「……すご」
ジオも大きな目をさらに丸くする。
その反応へアクセルが少し笑った。
「今日は特別らしい」
「昨夜を乗り越えた祝いも兼ねているそうだ」
「うわ〜……帝国最高やん……」
ラスタが早速パンへ手を伸ばす。
サフィアンも目を輝かせながら席へ着いた。
「いただきまっす!」
「お前は本当に元気だな」
クロードが呆れながらも、どこか楽しそうに呟く。
食事が始まる。
温かな料理が、疲れ切った身体へ染み渡っていく。
しばらくは皆、夢中で食べていた。
やがて少し落ち着いた頃。
アクセルが静かに口を開く。
「……帝都の状況だが」
自然と、全員の視線が向く。
黄金の瞳は、静かに五人を見渡した。
「あれだけの規模の災害だったが」
「幸い、騎士団にも民衆にも死者は出なかった」
サフィアンが安堵したように息を吐く。
ラスタも、ほっと肩の力を抜いた。
けれどアクセルは少しだけ目を伏せる。
「……ただ一人」
「教会の神官を除いては」
その瞬間、部屋の空気が静かに沈む。
ジオの指先が小さく震えた。
脳裏へ浮かぶ、影に飲まれていった神官。
助けを求める声。
そして、救い切れなかった事実。
すると
「ジオ」
低く穏やかな声。
顔を上げる。
アクセルが真っ直ぐこちらを見ていた。
「お前は、十分やった」
静かな言葉。
「確実にこの国は、お前に救われた」
ジオは言葉を失う。
まだ、実感なんてない。
ただ必死だった。
苦しそうだったから。
放っておけなかったから。
自分ができることをしただけだ。
アクセルは続ける。
「……そして同時に」
「お前の存在が、これから世界を揺るがすのも確かだ」
部屋が静まり返る。
月蝕の子。
帝都を救った存在。
教会。
禁書。
真実。
全てが、少しずつ動き始めている。
アクセルは静かに息を吐いた。
その声は穏やかだったが、強い意志が滲んでいた。
「俺たちは、これからどうするべきなのか」
「道を探さなければならない」
黄金の瞳が、一人一人を見つめる。
「これからまた、情報を集めよう」
「みんなで見つけるんだ」
「俺たちの世界と」
そして。
「ジオの未来を照らす道を」
静かな沈黙。
けれど誰も目を逸らさなかった。
部屋の中には、暖かな空気が静かに流れていた。
窓の外では、すっかり日が暮れ夕闇が帝都を覆う。
でも昨夜とはまるで違う。
空気は澄み渡り
街の灯りが眩しく輝いている。
夜空には、ほんの僅かに欠けた月。
その光は、今はただ穏やかに、辺りを明るく照らすだけだった。
第八章 完
コメント
1件
ああ……もう、この回、本当に好きです。長くて過酷だった夜のあとの、この何気ない朝の空気がたまらなかったです。ラスタの「飯!」で一気に笑いに持っていくところ、サフィアンが無意識にジオを守るように腕を回して寝てるところ、クロードがほんの少し昔を思い出すところ……全員の“帰る場所”がここにあるんだなって、じんわり来ました。 アクセルが「おかえり」の一言で温かくなるシーンは反則です。泣きそうになりました。 co-miさん、この温かい時間を描いてくれてありがとうございます。次の章も楽しみにしてますね🌷