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「まだ怒ってんの?」
四人で二時間ほど居酒屋で飲み、俺は咲の部屋に帰ってきた。
「満井も春田さんも口外しないって言ってたし、大丈夫だろ?」
「そうじゃないでしょ! 小松原さんにあんな――」
俺は咲の唇に蓋をして、彼女を抱き上げた。少し乱暴に彼女をベッドに放り投げ、俺はジャケットを脱いだ。
「ホントに気付いてなかったの? 小松原が咲を狙ってたこと」
「狙ってたなんて……」
ネクタイを外して咲の目が隠れるように巻き付けた。
「ちょ、なに――」
「俺がどうしてイベントに参加したか、わかんないの?」
苛立ち半分と悪ふざけ半分に酔いが後押しして、強引に咲の身体に触れた。
「わかんな……。これ、外して」
「ダメ」
ネクタイを外そうとする咲の両手を彼女の頭の上で押さえつけ、前戯もそこそこに彼女の中に攻め挿入った。
咲の過去とか寂しさとか、俺の嫉妬とか全部、この一時でいいから忘れられたらいいと思った――。
翌日は日曜日で、俺は目が覚めても咲をベッドから出さなかった。目隠しをしたまま問答無用で身体を弄ばれた咲は、怒るというよりは恥ずかしかったようで、俺に背を向けて眠った。目隠しされて、彼女がいつもより感じていたことはわかったが、口に出したら本気で怒られそうでやめた。
「誕生日のことだけど……」
咲は俺の胸にしがみついて、顔を合わせないようにして言った。
「……怒ってる?」
「いや? 怒ってないよ」と言って、俺は咲を抱く腕に力を込めた。
「蒼、あたしね……」
無理に話さなくてもいい、と咲の言葉を遮ろうかとも思ったが、咲の意思に任せようと、俺は口を閉じた。
「『誕生日おめでとう』って言われると……」
咲の身体が小さく震えた。
「死にたくなるの――」
死――?
「親友がね、飛び降りる前にそう言ったの」
咲の声が消え入りそうで、俺は怖くなった。過呼吸で倒れた時の、青ざめた咲の顔が思い出される。
「咲、言わなくていい」
「ううん、聞いてほしいの」
「だけど……」
「高校三年になる少し前に、親友の千鶴に大学生の彼氏が出来たの」と話し始めた咲の声は落ち着いていた。
「初めての彼氏に千鶴は毎日幸せそうで、私と樹梨も嬉しかった。三年になってすぐに、千鶴の彼氏が友達を紹介してくれるって、合コンに誘われたの。私も樹梨も乗り気じゃなかったんだけど、彼氏もいなかったし、セッティングしてくれた千鶴と千鶴の彼氏にも申し訳ないからって、行くことにした。だけど、当日に真にバレて、私は行かせてもらえなかったの」
なんとなく話の先に察しがついた。咲は俺が真さんから聞いて知っていると思って、話しているようにも感じた。
「行けないって千鶴に電話した時、『じゃあ、また今度にしよう』って言われたから、私はてっきり千鶴と樹梨も行くのをやめたんだと思った。だから、真に『危ないから二人にも行かないように伝えろ』って言われたのに、私は言わなかったの……」
咲の声が震えて、泣いているように感じた。
「咲、もう……」
咲は小さく首を振って、話を続けた。
「夜になって、樹梨のお母さんから電話がかかってきた。樹梨が帰って来てなくて、電話も繋がらないって。私も千鶴と樹梨に電話したけど繋がらなくて、真と叔父さんが合コンするはずだった店に行ったの。そしたら……」
俺には、咲を抱き締めていることしかできなかった。
「千鶴と樹梨は……男たちに――」
少しでも咲の身体が温まるように……。
「酒を飲まされて……」
少しでも咲の心が寂しくないように……。
「薬を打たれて……」
ひとりじゃないことを忘れてしまわないように……。
「レイプされてたの――」
ただ、俺は彼女をきつく抱きしめた――。
思い出すのが、よほど苦しかったのだろう。
話し終えた咲は静かに泣いて、眠ってしまった。
咲の親友は酒と薬でほとんど意識もないままに、複数の男たちに何度も何度も犯されて、真さんが見つけた時には瀕死の状態だった。千鶴と樹梨の親が娘を心配して、咲以外の友達にも電話をかけていたことが仇となって、二人の事件は学校にも生徒にも知れるところとなり、樹梨を巻き込んでしまった千鶴は自責の念から、事件の現場となったビルから飛び降りた。咲の誕生日に、『おめでとう』の言葉を遺して――。
なんとなくだが、これがすべてではないと思う。侑が言っていた『男たちを社会的に葬った』という話は出てこなかった。
俺はベッドを出て服を着ると、着替えに帰るとメモを残して、咲の部屋を出た。
マンションに帰り、シャワーを浴びて、手早く身なりを整える。近所のカフェでサンドイッチやベーグルを少し多めにテイクアウトし、スーパーでイチゴを二パック買って、咲の部屋に戻った。
咲がまだ眠っているかもしれないと思い、持って出た鍵で静かに部屋に入ると、リビングから咲が飛び出してきた。
驚いた。
咲はいつでも身だしなみには気を付けていた。俺がいたからかもしれないが、深夜でも寝起きでも、起きている間はいつでも人前に出られる格好でいた。
その咲が、かろうじて下着が隠れている程度の丈のパーカー一枚を着て、寝起きのまま髪も整えずに、青ざめた顔で、俺の顔を見るなり抱きついてきた。
「どうしたっ⁉」
咲は何も言わずに、ただ俺にしがみついて、声もなく泣き出した。
しばらく、咲が泣き止むのを待っていたが、彼女の身体がやけに冷たいことに気が付いて、俺は彼女を抱き上げてベッドに移動させた。彼女の身体を布団でくるみ、俺は風呂の準備をした。
咲が風呂に入っている間に、コーヒーメーカーのスイッチを入れ、買ってきたサンドイッチとベーグルを袋から出して皿にのせた。イチゴを洗って、適当な食器を探している時、棚の手前にペアのマグカップを見つけた。
棚には皿もカップも白一色で、グラスもデザインは入っていても色のついたものはない。だから、白と黒の配色のカップと、白と黄色の配色のカップは目を引いた。
俺と咲のだなとわかった。
自分が咲の生活の一部になれたようで、嬉しかった。
同時に、一昨日の夜はこのカップを用意して俺を待っていてくれたのかと想像して、顔が熱くなった。
すげー、嬉しすぎる――。
二つのカップを手に取り、コポコポと音を立てて働くコーヒーメーカーの横に置いた。
やりすぎかなと思いつつ、寝室のチェストから咲の着替えを出して、風呂場の前の籠に入れた。風呂からは何の音も聞こえない。俺は心配になって、声をかけた。
「咲?」
返事がない。
俺はドアを開けた。
咲はバスタブの淵にもたれかかって、目を閉じていた。
「咲!」
呼ぶと、咲は目を開けて、俺を見た。ホッとして、俺は彼女から目を逸らした。
「寝るなよ、のぼせるぞ」
「ん……」
不謹慎にも、濡れた咲の姿に見惚れてしまった。
すぐに咲が出てきて、食事の前に彼女の髪を丁寧に乾かして、一つに束ねた。俺に身を委ねて甘えてくる咲が、可愛くて仕方がなかった。
遅い朝食のつもりが、すっかり昼を過ぎていた。
「カップ、ありがとな」
サンドイッチを食べながら言うと、咲が穏やかに微笑んだ。
咲はサンドイッチやベーグルよりも、イチゴを食べていた。
「イチゴ、好きか?」
「うん、好き……」
「そうか、良かった」
俺たちはお互いに知らないことがたくさんある。知り合って間もないし、仕方のないことだ。そもそも、俺が今まで付き合った女のことをよく知っていたかは疑問だ。けれど、咲のことは知りたいと思うし、咲にも俺のことを知ってほしいと思う。
だから、咲がイチゴを好きだとわかって、嬉しかった。もっと、咲のことを知りたいと思った。
「ゲームをしようか」
「え?」
「質問に交互に答えて、答えられなかった方が負け。負けたら勝った方の願いをきく。質問は交互で、パスは三回まで。俺の質問で、咲が俺の答えを聞きたくない場合でもパスしてOK。願いは無理のない程度のものを一つだけ。じゃ、俺からね」
咲に返事をする間を与えず、俺は続けた。
「飼うなら犬と猫どっち?」
「犬」
「俺も犬。はい、咲の番」
「じゃあ……、一番好きな映画は?」
「ス〇ーウォーズ」
「風の〇のナウシカ」
「ファーストキスの年齢」
お互いのことをもっと知りたくて思いついたゲームだったけど、思っていた以上に楽しめた。子供頃の咲はアイドルが好きだったとか、恋愛小説よりもミステリー小説が好きだとか、泳げないから海が嫌いだとか、こんなゲームでもしなければ知ることはなかったかもしれない咲のことを知れて、嬉しかった。
気落ちして情緒不安定気味だった咲も、途中からはムキになって答えていたし、気が紛れたようだった。
結局、咲がパス三回を使い切って、俺が勝った。咲がパスしたのは、初恋の相手、ファーストキスの相手、過去の恋人の人数で、負けが決まった質問は、一番感じる体位、だった。
勝つためとはいえ、えげつない質問をしたと反省しつつ、俺は咲への願いを口にした。
「週末の里帰り、俺も一緒に行きたい」
「え……」
最期の質問でふくれっ面をしていた咲の表情が凍り付いた。
「どう……して……」
「一人で行く予定だった?」
「まこ……と……と……」
見る見る間に咲の瞳に涙が浮かんできた。
「真さんの代わりに、俺が一緒に行く」
わざと、『行ってもいいか』ではなく『行く』と断言した。
「だけど……」
「『おめでとう』なんて言わないから、咲の誕生日に一緒にいさせて欲しい」
俺は力いっぱい咲を抱き締めた――。