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五月十四日金曜日、十一時五分発の千歳空港行の便に、私と蒼は乗っていた。たった一時間半ほどのフライトなんだからと言ったのに、蒼は普通席をプレミアムクラスにグレードアップさせていた。
一緒に休暇を取ったら同じフロアの人たちに怪しまれるから、真が予約していた夜の便で来てくれればいいと話したけれど、蒼は一緒に出発すると言って譲らなかった。
千鶴の十三回忌法要は明日、私の誕生日当日で、千鶴の命日。毎年、お墓参りには帰って来ていた。
「樹梨は千鶴のお葬式に参列しなかったし、法事にも出席したこともないの。多分、お墓参りもしたことないと思う」
飛行機の中で、私は蒼に話した。
「だからね、毎年千鶴の命日の前日は樹梨と会うの……」
「そうか……。樹梨ちゃんは、今はどうしてるの?」
蒼が樹梨のことを『樹梨ちゃん』と、真と同じように呼んだ。
「去年会った時には、カウンセリングで知り合った人が興したネットショップの運営を手伝ってるって言ってた」
この数日、蒼に千鶴と樹梨の事件の話をしたことを後悔していた。あんな醜態を晒してしまったのだから、話さなければならないと思ったし、聞いてほしいとも思った。けれど、大切な人だからと、私の過去の重荷を背負わせてしまったのは、間違いだった。今更、許されたい、幸せになりたいなんて、私のエゴだ。
わかっているのに、私はまだ蒼の手を離せない……。
すべてを打ち明けることも出来ない……。
会社の問題も侑に任せっきりにして、蒼の優しさに甘えて、真に心配をかけて、今の私は何もかもが中途半端だった。
真には、蒼にすべてを話すように言われた。蒼なら、きっと受け止めてくれると。もしかしたら、蒼は真から聞いていて、私が話すのを待っているのかもしれない。真から聞いていなくても、蒼なら私がまだ話していないことがあると気付いているだろう。
東京に帰るまでに、蒼の手を離せるだろうか――。
私は涙を堪えながら、迫りくる札幌の地を眺めていた。
札幌駅直結のホテルにチェックインして、驚いた。三十四階まである客室の三十四階に案内されたのだ。ホテルの指定は私がしたけれど、予約は蒼がしてくれた。
「まさか、スイートルームじゃないよね?」と、私はエレベーターの中でベルパーソンに聞こえないように小声で聞いた。
「ああ。スイートは予約が入っていて、取れなかったんだ」
蒼は平然と言った。
蒼が予約したのは、スイートルームの一つ下のランクの部屋で、ホテル内に四部屋しかない絶景のコーナールームだった。
「あなたが社長令息だってこと、忘れてたわ」
ホテルや部屋の説明を終えてベルパーソンが部屋を出ると、私は呟いた。
「初めての旅行なんだから、これくらい普通だろ」
蒼は札幌の街並みを見下ろして、言った。
「課長クラスでこんなのは普通じゃないの」
「ま、いいだろ」
私はメッセージで樹梨に部屋の番号を伝えた。
毎年、私の宿泊するホテルで樹梨と会っている。近況を報告するにしても、千鶴の話をするにしても、他人の目が気になった。
樹梨との約束の時間は四時。あと一時間ちょっとある。私は備え付けのコーヒーメーカーのスイッチを入れた。バッグから礼服を出し、クローゼットに掛ける。
「あ、俺も」と言って、蒼がバッグからスーツを出した。
「なんで礼服?」
「千鶴ちゃんのお墓参り、俺も行こうと思って」
私は、何て言っていいのかわからなかった。
蒼が私を気遣ってくれていることはわかってる。けれど、蒼に優しくされればされるほど、罪悪感や後ろめたさに苦しかった。
「真さんなら一緒に行くんだろう?」
私の考えを察したのか、蒼は礼服をクローゼットに掛けながら、言った。
「今回は真さんの代理でもあるからさ。咲が嫌なら、そばにはいかないから、深く考えるな」
そう言って、蒼は私の頭を撫でた。
この手を、離せるだろうか……。
「蒼、私――」
言いかけた時、ドアベルが鳴った。
前にもこんなことがあったな。
「はい」と言いながら、私はドアを開けた。
「久しぶり、咲」
一年ぶりに会う、樹梨がいた。一緒に男性がいた。私はこの男性を知っている。
「樹梨」
「ごめんね、時間より早く来ちゃって」
「ううん。入って」
私は樹梨を招き入れながら、コーヒーを淹れている蒼を見た。樹梨が来ている間、蒼は部屋を出ていることになっていた。
「じゃあ、俺は出てるから」と言って、蒼はソファに掛けてあったジャケットを取った。五月の中旬、札幌の風は急に冷たくなる。
「咲、彼にもいてもらって?」
樹梨の申し出に、驚いた。
「咲と一緒に来たってことは、千鶴のことを話したんでしょう?」
「う……ん」
「一緒に来たのが真さんなら、同席してもらいたかったの。私も彼を咲に紹介したかったし」
とても穏やかな表情で男性を見て、樹梨が微笑んだ。
「咲、彼は日高英樹さん。私の上司」
「日高です」と会釈して、彼は私と蒼に名刺を差し出した。
「築島蒼です」
蒼も樹梨と日高さんに名刺を渡す。
「成瀬咲です。すみません、私は名刺を持っていなくて……」
「ふふっ。名刺があっても、女はプライベートで持ち歩かないわよね」と樹梨が笑った。
「あ、すみません。職業病で……」
日高さんが恐縮して言った。
「いえ、私も名刺を持ち歩くのは習慣ですから」と、蒼が同調した。
「どうぞ、座ってください」
私に代わって、蒼が樹梨と日高さんに促し、二人は窓際のソファに並んで座った。コーヒーを淹れようとする私をソファに座らせて、蒼がカップにコーヒーを注ぐ。
ドアベルが鳴り、蒼がドアを開けた。ワゴンを押したスタッフが入ってきて、テーブルにフルーツの盛り合わせとティーカップを二セット、ティーポットを並べた。
蒼が二人に好みを聞いて、樹梨に紅茶、日高さんにコーヒーを用意してくれた。
「築島さん、お気遣いありがとうございます。咲の友人の及川樹梨です」
「いえ、こちらこそお会いできて良かったです」と、蒼が返す。
蒼と樹梨が言葉を交わしてることに、現実味を感じなかった。
どこからが夢だろう。
そう思うのは、私が未だに過去に向き合う勇気が持てないからかもしれない。
「私も嬉しいです。真さんから聞いて、楽しみにしてたの。とても素敵な方でびっくり」
「真から……?」
「うん。咲の恋人に会いたかったら、時間より早く押し掛けた方がいいって言われて」
「そう……」
『俺からってことで、樹梨ちゃんと千鶴ちゃんに東京土産買っていってくれ』
今朝、出勤途中の真から電話があって、そう言われた。樹梨が日高さんを連れてくることを知っていたから、多めにお土産を用意するように言ったのだろう。
「安心した」
「え?」
「幸せそうで」
幸せ……そう……?
樹梨に言われて、私の心臓が早鳴り出す。
樹梨がバッグから箱を出して、私の前に置いた。
「咲、誕生日おめでとう……」
ドクン――、と大きな音を立てて、私の心臓が飛び跳ねた。
千鶴の声が聞こえる。
『咲、誕生日おめでとう。バイバイ……』
私は全身が凍りついたように、動けなくなっていた。自分が息をしているのかもわからない。
ただ、とても寒かった。
「咲、これね……」
遠くで樹梨の声が聞こえる。
「私と千鶴からのプレゼント」
急に指先に温度を感じてハッとした。樹梨が跪いて、私の手を握っていた。
「千鶴から……?」
「うん。開けてみて?」
樹梨に箱を手渡されて、私は箱の封を解いた。中にはブレスレットが入っていた。
シルバーのチェーンに薄い緑の石が一つ。
「これ……」
「覚えてる? あの頃の私たち、三人で誕生石のブレスレットを交換しようって約束してたでしょう?」
私の手を握っている樹梨の右手首に、同じデザインのブレスレットがあった。石の色は青にも緑にも見える。十二月の誕生石、ターコイズ。