「悪いけどさぁ、先に、一杯やってるよぉ。何しろ、中村の兄さんが、血相変えてやって来たもんだから、んじゃあ、ちょいと、熱いのを、なーんて、盛り上がっちまってねぇ。まあ、突っ立てるのもなんだ。京さんも、あがりなよ!」
呂律が回らない状態で、二代目は言ってくれた。
「あがりな、も、何も、ここは、私の家だ。それに、彼女を休ませてやらねばならん!」
「あのさぁ、私の家ってーのは、元々、俺の店のものだよ?大家だからねぇ」
二代目は、岩崎へ悪態をつくと、玄関先から部屋へ戻ろうとする。
おーいと、これまた、酔っていると思われる男の呼び声に反応して。
はいはい、ちょいと、お待ちをなどと、二代目は、よたよたしながら、向かって行った。
「吉田!これは!なんだ!」
「はい、中村様が、血相を変えて来られましたので」
「吉田!だから、その、なんだ!血相を変えてというのは、で、どうして、酒の席になるのか説明してみろ!」
岩崎は、吉田に噛みついた。
「まあ、長い話になりますので、ひとまず、月子様をお部屋へ御案内してから……。月子様、お召しかえをどうぞ……」
吉田は、噛みつかれようが、淡々と自身の役目を果たし、聞く耳を持たず、お咲に月子を案内所するよう申し付けている。
「月子様、お咲、女中だから、部屋もしってる!」
岩崎と月子が、西条家へ出向いている間に、お咲は、家の間取りも吉田に教わったのだろう、えらく張り切っていた。
「……そうだな、君は、一休みしていればいい」
岩崎は、月子を下ろすと、吉田をじろりと見る。
どうやら、長い話をするつもりらしい。
「あのな、吉田。客といえど、訪ねて来たのは、中村だろうがっ?!」
「はい、左様で。中村様が、まさに、この玄関へ転がり込むように、来られたのです」
吉田の、あっけらこんとした物言いに、岩崎は、我慢ならんと眉をしかめきっている。
「あー、なんでまた。おれの話題で、立ち話もなんですねぇ。しっかし、さすがは、筆頭執事吉田さんだわ。気くばり万全だよ」
二代目と入れ替わるように、人懐っこそうな、若者が現れた。もちろん、いい具合に酔っぱらっている。
「あーー!で!月子ちゃんな訳ね!なるほど!!」
ははは、と、洒落者らしく、髪をきっちりとかしつけ、シャツと吊りバンドのズボン姿の、岩崎より、やや若い男は、廊下に座り込んだ。
酔いが回っているようなのだが、物珍しそうに、月子を見上げている。
「中村!じろじろ見るな!」
「やや、どうしたことか、ご立腹だねぇ、岩崎よ!」
「当たり前だろうがっ!一体、何しに来た!」
若者に、岩崎は、怒鳴り付けているが、
「あー!月子ちゃん!おれね、おれ、岩崎の音楽仲間の、中村ってーの。正しくは、講師と生徒なんだけど、岩崎とは、気があって、友達になってんだわ」
よろしくと、中村と名乗った若者は、月子へ頭を下げるが、酒が回っているからか、そのまま廊下に転がってしまう。
「ははは、すまない、すまない。酔っぱらっちまったわ。でもねえ、月子ちゃん!あの、岩崎が、やっと、結婚するんだよ!飲まずにいられるかって、だろう?ははは」
「中村、何が、そんなにおかしい。というより、何を、一人で喋っている?!」
怒鳴りつける岩崎に、中村は、顔色一つ変えるわけでもなく、ははは、と、笑い続けていた。
「中村様は、笑い上戸のようで、ございますね」
では、と、吉田は言うと、転がっている中村を起こして、部屋へ向かった。
「お咲、月子様へ手を貸しなさい」
足がまだ痛かろうと、吉田は理解しているようで、お咲へ命じた。
「はい。お咲は、女中です!」
それなりの覚悟というべきか、言い付けられてと言うべきか、お咲も、女中として働くつもりで、ここに来た。が、一連の騒ぎで、追い返されそうになっていた。
そんな事情からか、女中として、ここにいれるのだと、お咲は、嬉しそうだった。
月子は、そんなお咲と自分を重ねた。月子も、ここに来るまては、先行きが見えない、不安を抱えていたのだ。
それが、まだ、小さな子供なら、さぞかし、どうしようもなく、恐ろしかったことだろうに……。
「お咲ちゃん、じゃあ、案内たのめるかな?」
月子の一言に、お咲は、嬉しそうに笑うと、手を差し出してくる。
「お部屋はね、お咲と一緒なんだよ!」
「まあ!そうなんだ!仲良くしようね、お咲ちゃん」
差し出された手を握り、月子は、ゆっくり歩いて行く。
「あっ、すまん。部屋数が少なくて……」
岩崎が、はっとした面持ちで声をかけて来た。
ここには、居間兼客間に、岩崎の書斎を兼ねた部屋。そして、納戸がわりにしている、小部屋と台所しかない。
もっとも、神田という場所なら、それだけの間取りで、上等というべきだろうし、そもそも、岩崎一人で暮らしていたのだ。十分すぎる部屋数だった。
が、今や、月子との新居になり、お咲という、一応、女中まで住み込むことになった。
わああ!と、居間から、二代目と中村の酔った叫びが、聞こえて来るが、岩崎は、それどころかと、ひとまず、月子へ、お咲と同室になる事を詫びた。
「あっ、そんな、岩崎様。私は、気にしておりませんから!」
余りにも、真剣な様子の岩崎に、月子は慌てた。
そもそも、贅沢を言える立場ではない。それに、お咲は、まだ小さい。一人で寝起きさせるのも、心もとないと言う思いと、誰か一緒にいる方が、月子も、逆に落ち着いていられた。
「……そ、そうか。ならば、辛抱してもらうということで……だ。そ、そして、そ、その、君の、その、岩崎様、というのは、どうにかならんだろうか?様をつけるのも……妙だと思うのだよ……共に住む訳だから……」
岩崎は、言うと、月子から視線を逸らす。
「あっ……!」
確かに、言われて見れば。
「……は、はい……そう、ですね」
「う、うん……」
岩崎と月子は、共に、頷き合う。しかし、それから先の言葉が出て来ないまま、二人して、うつむいた。
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