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キャスリンはゾルダークの庭を散歩するのが日課になっていた。ディーターも立派だがゾルダークは色で位置を替えている。濃い色から薄い色へまた濃い色へ。初めてのころは気づかなかった。散歩するにつれて発見していった。
庭師も面白いことを考えるわね。閣下もカイランも知らないのではないかしら。機嫌良く散歩をしていると、ダントルが私から離れていく。邸の方からハンクが向かってきていた。ハンクが庭にくるのは珍しい。何かあったのかと首を傾げる。
「こんにちは閣下。何かありまして?」
ハンクは私の傍まで近づくが何も言わない。それが答えかなと、何事もないなら別によいと微笑む。私はハンクを連れて歩き出す。
「ここのお庭が好きです。庭師に会ったらお礼を言いたいですわ」
それでも無言で傍にいる、それが嫌ではなく心地いいと感じていた。隣の大きな存在に安心する。
「シーズン最後の王宮の夜会には参加したいと思っておりますの。ゾルダーク小公爵夫人として初めて王宮へ行くのは少し緊張します。とても人が多いですし、以前迷ってしまいましたの。近くにいた近衛の方に助けていただきましたけど、恥ずかしかったです。もう迷いませんわ」
あの時はデビューして初めて王宮の夜会に参加しディーターの家族と共にいたのに人の流れに逆らえず、気づいたら人の少ない廊下近くに一人でいた。お兄様には怒られ呆れられた。その後はカイランの婚約者としての参加だったので彼の腕に触れ離れないようにしていた。今回もそうなるだろう。
「ドレスは?」
ハンクの言葉に振り仰ぐ。日傘を傾け顔を合わせ見つめ合う。
「マダム・オブレに頼んでおります。揃いではないですけど」
揃いの衣装を作った時、数着頼んでおいた。その中から選ぶつもりでいる。
「贈るから待っていろ」
驚いた。女性にドレスを贈るようには見えない。
「閣下が選んでくださるの?」
ソーマでなくマダム・オブレでもなく、ハンクが選んでくれるなら嬉しい。
「ああ」
「とても嬉しいですわ、楽しみにしています」
ハンクは頷いて私から離れていく。ドレスの話をするために庭に出たのかしら。ドレスをハンクから贈ってもらえるなんて嬉しいわ。婚約者時代にカイランも贈ってくれたけど、ここまで高揚しなかった。私は機嫌良く歩き出した。
ハンクは執務室に戻り、ソーマを呼ぶ。
「マダム・オブレからは?」
ソーマは頷き答える。
「順調に進んでいるようです、間に合いますよ」
ソーマは微笑ましくハンクを見る。この年になるまで女性にドレスなど贈ったことがない主が内密にマダム・オブレを呼ぶよう言った時は驚いた。流行の冊子を眺め、生地の見本やそれの色違いを選んで決める作業は大変なものなのに真剣に考え込んでいる主は面白い。呼び寄せた店員にあれこれと命令していた。カイラン様からはキャスリン様にドレスを贈るなど話は出ていない。もう夜会には参加しないと思っているのか。王宮の夜会は特別だ。普段辺境に籠る貴族もこの日のために王都へ出向く。そこで数日、面会や情報交換、買い物と動き回る。貴族の大切な夜会だ。不参加は体の不調以外あり得ない。少し前からキャスリン様は夕食を共にしている。夜会が近づいているからカイラン様に歩み寄ろうとしているのだろう。それを察し今からドレスを贈ろうとしても遅い。出来上がりに間に合わない。
「どうだった?」
「はい。死にそうでしたが辛うじて生きていました。金を握らせ人払いをし話をさせました。高齢でちぐはぐな部分があったようですが、探らせた者と会話ができたようです。こちらをお読みください」
ハンクは渡された報告書を読む。それほど長くはないが熟読していた。
「知っていたか?」
ハンクはソーマに問う。いいえと答える。事実知らない出来事だった。
「申し訳ございません。私の能力不足。斬られても文句は言えません」
ハンクはソーマを見つめ報告書を机に置く。
「過ぎたことだ」
執務室には静寂が訪れる。
「内密にトニーを連れてこい」
ソーマは頷き執務室から退室する。カイラン様に知られぬようトニーを主の元へ連れていかねばならない。夜中になる。
邸が静まり返る真夜中、ハンクの間諜の騎士が猿轡を噛まされたトニーを執務室へ連れてきた。ただの従者兼執事には騎士に対抗できる術はない。暴れることもなくソファへ座らせ、トニーの後ろに騎士が立つ。ハンクは手を振り猿轡を外させる。トニーは項垂れ声を発しない。
「で?」
ハンクはトニーに問う。こうなったのだから話せと、だがトニーは押し黙る。
「セシリスのメイド」
その言葉にトニーは顔を上げハンクを見る。
調べたのか十年以上も前のことを。
「生きておりましたか。よく見つけましたね」
トニーは開き直り答える。カイラン様が言わないでくれと頼んだことが知られてしまった。
「何故報告しない」
「カイラン様が望まれました」
だろうな、とハンクは呟く。
「それでどうなった?あいつは満足か」
トニーは顔を上げていられずうつむく。握り締めた拳が震える。カイラン様は不幸になっている、悪夢を見て薬でどうにか眠れている。
「ディーターの娘と閨を共にできなかったな」
使用人の大部分が新婚夫婦を疑っていないのは、早くに閣下が動いたからなのは気づいていた。カイラン様は全員が知っていると思っているようだが、閣下が何もしなかったらディーターの耳にも入って、なんのための政略なのかと両家に亀裂が起こる。こうなるまで甘んじていたのは確かだ。こうなったのはもう待たないと閣下が判断しただけだ。しかしカイラン様はキャスリン様を少なからず想っている。隣で見ていればわかる。歩み寄ればうまくいくかもしれない。まだ新婚で二人とも若い。いくらでもやり直せる。
「今からでも遅くはないかと、カイラン様に時間をください。キャスリン様もわかってくれます」
トニーは頭を下げる。話し合えばわかり合える、キャスリン様は弱くない。
「悪夢に魘され薬に頼る男と夫婦か」
薬のことまで知られているとは。閣下は全て把握して俺を連れてきたんだ。
「眠りを深くするだけです。悪いことではないです」
悪夢を見ないための薬だ。体に悪い影響はない。
「もう少し時間をカイラン様に与えてください」
「時間はあった。ゾルダークには既に不要だ」
ハンクは言い放つ。
廃嫡する気なのか。ゾルダークのために必死に勉強して苦労してきた努力が無駄になる。親族から養子をとるのか。カイラン様を切り捨てるのか!
「もう一度カイラン様に機会をください」
トニーは懇願するがハンクは何も返さない。ただトニーを睨み付けている。
「カイラン様の努力が、ゾルダークの後継として頑張っていらしたんです。廃嫡など考え直してください」
「奴は弱すぎる。当主にはなれない」
もう閣下は決断している。ならば俺には何ができるんだ。
「廃嫡にするかしないかお前が決めろ」
トニーは顔を上げる。何を言ってる。俺が決められる話じゃないだろう。公爵家の未来を俺に選べとはなんなんだ。
「ディーターの娘は俺が貰った」
トニーはハンクの言葉が理解できずにいた。貰ったとはなんだ。カイラン様の廃嫡の話をしていたのに何故キャスリン様の話になる?
「ゾルダークの子をあれが産む」
いつの間に!キャスリン様を無理矢理に!トニーはハンクを睨み付け罵る。
「キャスリン様になんてことを!いくら閣下といえ!」
ハンクに掴みかかろうとするが、騎士がトニーを押さえつける。それでもトニーはハンクを睨み付けた。
「あれが俺を選んだ。お前達が選ばせたんだ」
キャスリン様が閣下を選んだ?初夜の日カイラン様に裏切られて、ゾルダークの子を産むために閣下の元へ行ったのか。
トニーは抵抗を止め崩れ落ちた。キャスリン様はとっくに見切りをつけていた。笑顔で過ごしていても許していなかった。なんてことだ、これではカイラン様は本当に不要になる。だが、さっき閣下は俺に決めろと何故そんなことを言う。
「何故私に決めさせるのですか?」
落ち着きを取り戻したトニーはハンクの言葉を思い出した。
「あれが俺の子を産むことに奴が邪魔をすれば廃嫡する。邪魔をしなければ中継ぎをさせる」
邪魔をすれば廃嫡。そんな危ないことを閣下はしないだろう。きっと消す。
「お前が奴を導け」
頷くしかない。俺はカイラン様の助け方を何度も間違えた。主に正しい忠言ができなかった。カイラン様が事態を把握した時、どうなっても抑えなければならない。できなければ消される。
「わかりました」
トニーはカイランの未来を選んだ。父親の子を生む妻と夫婦として生きる主。カイラン様は耐えられるだろうか。耐えて貰わねばならない。
トニーは執務室から解放された。燭台に灯された明かりを頼りに自室へ向かっている。
どこから間違えた?そんなの考えればわかる。カイラン様の不安を知った時の選択を間違えたんだ。守ろうとして守ってなかった。直ぐにソーマさんに相談していたらこうはなっていなかった。初夜ができなくてもキャスリン様は覚悟を持って嫁いだんだ。話せば理解してくれて良い方向に行ったはずなんだ。その場凌ぎの嘘で傷つけ、閣下の子を生む選択をさせてしまった。俺はそれを止められる立場にいたのに未熟だった。カイラン様には告げてはならない。指定日にカイラン様を外泊させるようにと閣下から指示を受けた。その時に子を授けるため閨を共にするのだろう。カイラン様が不安がっていた閨の痛みなどもうキャスリン様には無いだろう。体が小さくても閣下が怖くてもキャスリン様は嫌だとは言わなかったはずだ。もっと強引にカイラン様を諭していれば!悔やまれる。カイラン様の輝かしい未来を潰してしまった。キャスリン様にも謝りたい、だが遅い。せめてキャスリン様が閣下に手酷く扱われていなければいい。