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社務所、ここで普段は暮らすことになる。静かな場所で、春の訪れを感じさせるような風の音が窓から流れてくる、私の肌を優しく包み込むような、優しい風だった。
ここでさっきの猫のことを思い出す、あの黄金の三毛猫。白、薄みがかかった茶色、そして金色のような美しい黄色。あの猫は祖父の時からいたのでしょうか。まだ全然若いようにも見えるし、成人した猫だったかもしれない。
でも、今はそんなことを考えている余裕はない。私の手にあるのは辞令…
菊紋の透かしが入った1枚の厚い和紙。そこに記されている文字は形式的な事務文書ではなく、『宮司に補する』。ただその数文字が、私を恐怖という深い沼に容赦なく突き落としてくる。これを持つだけで、自分にものすごい圧がかかって、手が震えて落としてしまいそうな状態になる。
代々血縁関係により、神社は九条家の人間しか管理することは許されない。ここの神が機嫌を悪くするだけで、自然災害、つまり温暖化も、雨が降らないことも、農作物が育たなくなることも、その気になれば津波や台風が易々と起きてしまう歴史的大災害になってしまう。
そのために、神が暴れることのないよう器となるよう代々九条家の男性がこの神社を継いできた。
気が重いですが、早く着替えて就任奉告祭に行かなければ…
まず足元、白足袋を履く。白衣を着て、腰紐を留める、差袴を履いて、単を重ねる、袍を羽織り、首のボタンを留める。上帯で袍を体に固定して、石帯を後ろから留める。冠を被り、紐を顎の下で結ぶ、笏を持ち、帖紙を胸元に入れる。最後に浅沓を履く。
重い、…重くないか、?
元々あまり力がないからか、この服を着るまでで体力が半分以上削られた。
拝殿に入る前、手水をする。水面に映る私の首元。覚悟を決めなければ。
大幣で左、右、左と肩に当て、報告祭に向けての準備をした後。
深くお辞儀_
お供え物、そして__
祝詞。ゆっくりと広げ、静かな部屋に紙の音だけが響く。
背筋を伸ばし__
「この度、神社庁よりこの神社の宮司に任ぜられました。九条怜でございます。未熟者ではありますが、先代の跡を継ぎ、この神域を清め、隠り世との境界を厳かにお守りいたします。どうかお見守りくださり、神様の広大なるお力をお貸しください。」
何度も噛みそうになった。心臓の音しか聞こえない。耳鳴りで頭が痛い。
二礼二拍手一礼、最後の礼_
深く頭を下げたその瞬間__
顔を上げた。
目の前には見たこともないほど美しい男が立っている。
髪は少し長く、首の位置まで綺麗な白と青の髪が垂れている。身長は私より大きい、彼の指先が、私の白い襟を撫でる。
その指先が触れた場所から白衣の襟部分が朱色に染まり変わっていく。
あぁ、契約か。
彼は微笑み消えた、瞬きの間に。
表情を崩さず、儀式を終え、社務所に戻ったそのときに。影からぬるりと現れた。
彼だ。儀式の時にいた存在、どうして気づかなかったのだろうか。
彼は私の髪に触れる、一瞬だった。
「空の色だ。私は好きだ、この色が」__
#オリジナル
363
200
私の頭に浮かんだ最初の文字は?マークだ。この美しい美少年、いや、美男子なのか。美しい男はなんなのか。
頭は考えることを止めた。ただ固まることしかできない自分が少し恥ずかしい。
「何を固まっている、お前は怜と言ったな」
ニヤリと、まるで悪巧みするような笑みを浮かべた彼は、そのまま私の体を触ってくる。
意味がわからない。身長差があるし、体格差も激しい。
私の手に持っていた大幣を取り上げたあと、彼が私の顎をくいと持ち上げ、私の瞳をじっと覗き込む。
その瞬間、私の視界が一度真っ暗になり、次に光が戻った時には、見たこともない世界が広がっていた。
祖父に教えてもらったことがある。隠り世について。
隠り世の影が、私の足元でうごめいている。
「その朱衿で命令しろ」
彼はさっきの儀式中に触れたように、朱色の朱衿を指さす。いつの間に朱衿になったのか。あの時は白衣が赤く変化しただけだったというのに。
「命令、ですか」
「ああ、お前には私の主となってもらうからな、器とも言うが」
彼はふっと笑い、揶揄うような目で私を見てくる。よく見ると、私も朱衿は彼の手首に繋がっている。
「怜、君が私を飼うんだぞ。命令くらいできるだろう」
この状態ではまるで私が飼われているようにみえるが…。
「はっ、まさか命令の仕方もしらんのか?」
私は彼が話して油断している時に__
__ぐいっと、自分の朱衿を引っ張り、彼の手首に巻きついている朱衿のようなもやで、彼のバランスを崩させる。
「私を神社に返してください」
声のトーンも変わらない。いつも通りの私。
彼は一瞬驚いた表情をしたあと、何故か顔を寄せてきて、「おっけー、今すぐに」と元気良さそうに返事をした。
そのときの笑顔ときたら、興奮を隠しきれていない笑みで、私の事を見つめていた。
背中に悪寒が走る、これから私は彼と話さなくてはならないことが沢山ある。
誰なのか、ここはどこなのか。さっきの猫についても。神についても。
それを聞こうと口を開いた瞬間、彼は私の背中を擦り、おやすみ怜とだけ呟き、私を無理やり眠らせた。
朱衿、朱襟/しゅきん、しゅえり
簡単に言うと赤い色の着物の襟(えり)のこと