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第280話 直せない副鍵
【異世界・王国警備局/結界検査室・午前】
リオは右腕の袖を肘までまくり上げていた。
手首には、副鍵。
以前なら均等に流れていた淡い光は、今は一部で途切れている。
細い亀裂。
そこから枝分かれするように伸びた、二本の傷。
ジャバに掴まれた時についたものだ。
アデルはリオの前に座り、手首へ直接触れないよう、指先を数センチ離した位置で止めた。
「動かすな」
「動かしてない」
「痛みは?」
「ない」
「魔力を流した時は」
「少し熱くなる」
アデルの目が細くなる。
「どの辺りだ」
リオが自分の右手首を指す。
「ここから、この辺まで」
亀裂の右側。
以前ノノが、
《出力経路一本・反応消失》と判定した場所だ。
検査室にはハレル、サキ、ダミエもいる。
ノノは隣の分析室。
副鍵そのものを見ることはできないが、リオの魔力反応と出力波形は向こうで測定している。
『今から一番弱い出力を流してみて』
ノノの声。
アデルがすぐに確認する。
「私が止めろと言ったら止めろ」
「分かった」
リオが目を閉じる。
副鍵へ。
ほんのわずかに魔力を流す。
淡い光。
左側。
中央。
そこまでは流れる。
だが右側の一本だけ。
やはり光が通らない。
アデルが言う。
「止めろ」
リオが魔力を切る。
ほぼ同時に、ノノの声が入った。
『前と同じ。右側の出力経路は戻ってない』
ハレルが尋ねる。
「ほかは?」
『動いてる。ただし、全部少しずつ負荷が上がってる』
「右側が使えない分?」
『たぶん』
ノノは波形を表示する。
副鍵内部。
本来なら複数の経路へ分散する出力が。
一本失われたことで。
残った経路へ余分に流れている。
サキが心配そうにリオを見る。
「このまま使ったら?」
ノノはすぐには答えなかった。
数値を確認してから。
『普通の魔術補助くらいなら、すぐ壊れるとは思わない』
少し間。
『でも、帰還みたいな大きい接続は別』
ハレルの表情が変わる。
高瀬。
悠真。
三浦。
これから。
何人もの人間を世界の向こうへ返さなければならない。
そのために副鍵は必要になる。
◆ ◆ ◆
ダミエがリオの前へ移動した。
「見せて」
リオが腕を差し出す。
ダミエは副鍵へ触れず周囲へ薄い結界膜を一枚張った。
「流して」
アデルが見る。
「またか」
「今度は鍵に流さない」
ダミエはリオを見る。
「手前まで」
リオが魔力を出す。
副鍵へ入る直前
ダミエの膜が反応。
光が、副鍵の外側をなぞる。
一周。
そして亀裂部分だけで揺れた。
ダミエが言う。
「外は壊れてる」
「中は?」
「もっと悪い」
リオが眉を寄せる。
「見えるのか」
「見えない」
ダミエは淡々と答えた。
「でも、外だけなら流れは戻る」
亀裂の周囲へ薄い光を当てる。
結界による補修。
表面の固定。
一時的に傷を押さえることはできる。
だが右側の経路には光が戻らない。
ダミエが膜を消した。
「中で切れてる」
アデルが聞く。
「繋ぎ直せるか」
「無理」
即答だった。
リオがダミエを見る。
「お前でも?」
「これは結界じゃない」
ダミエは副鍵を指す。
「結界に似てる。でも違う」
「何が違う」
「作った人しか分からない部分がある」
◆ ◆ ◆
ノノが分析室から構造図を開いた。
過去に記録した副鍵の反応。
アデルの左手首。
リオの右手首。
ハレルの主鍵。
三つを比較する。
『今使ってる“副鍵”は、最初から副鍵として別々に作られたものじゃないんだよ』
ハレルが表示を見る。
「どういうこと?」
『元は一つ。ハレルのお父さんと柏木先生が、主鍵をもとに作った複製観測鍵』
ノノが古い記録を表示する。
『それが壊れて、残った欠片を補正具として使えるようにしたのが、今のアデルとリオの腕輪』
ハレルは自分の胸元を見る。
主鍵。
そして。
そこから作られた、もう一つの鍵。
その壊れた欠片が。
今も二人の手首に残っている。
『だから二つの副鍵は、別々に一から設計されたものじゃない。同じ複製鍵から分かれた“兄弟”なんだよ』
主鍵。
世界間の中心座標。
帰還経路を固定する柱。
副鍵。
主鍵から分かれた接続を支え。
片側の揺れを吸収し。
別方向へ逃がす。
単純な補助装置ではない。
『だから壊れた場所だけ繋げば直る、って構造じゃない』
ノノが続ける。
『一か所を変えたら、別の経路の流れまで変わる』
アデルが自分の左手首を見る。
「なら、私の副鍵の反応をそのまま写せばいいのではないか」
ノノが首を振る。
『たぶん、それも危ない』
「なぜだ」
『元は同じ鍵の欠片。でも、ずっと別々に使われてきたから』
ノノは二つの波形を重ねる。
『アデルの方はアデルの魔力と使い方に、
リオの方はリオの魔力と使い方に合わせて、それぞれ補正の波形が変わってる』
二つの波形。
基本の形は似ている。
だが、細部は違う。
『今のアデルの状態をそのままリオへ写したら、
“元のリオ側の状態”へ戻すんじゃなくて、アデル側の波形を無理に押し付けることになる』
ダミエが短く言った。
「残ってる流れまで壊れる」
『うん』
リオ。右手首。
アデル。左手首。
元は同じ複製鍵から分かれた欠片。
だが長く別々に使われてきたことで、今では魔力の流れも、主鍵への反応も少しずつ違っている。
同じ副鍵でも内部の固定位置。
出力方向。
主鍵との反応。
わずかに違う。
ノノが言う。
『これを作った人じゃないと、どこまで戻せば“元のリオの副鍵”になるか分からない』
ハレルは、すぐに一人の名前を思い浮かべた。
「父さん」
誰も否定しなかった。
◆ ◆ ◆
【異世界・王国警備局/通信室】
匠との接続は長くは保てない。
湾岸旧研究施設に残る身体側固定点。
補助層にいる匠。
そして、ハレルの主鍵。
ノノが最低限の回線だけを繋ぐ。
雑音。
数秒。
その向こうから匠の声が届いた。
『……聞こえる』
「父さん」
『どうした』
ハレルが説明する前にノノが副鍵の解析結果を送る。
『リオの右側経路が一本死んでる』
『表面亀裂は固定できる。でも内部経路は触れない』
『直す方法、分かる?』
しばらく返事がなかった。
匠が送られた波形を見ている。
やがて
『直せる』
リオの表情が変わる。
「本当か?」
『ただし、今は無理だ』
ハレルが尋ねる。
「父さんじゃないと無理?」
『少なくとも、今残っている人間の中ではな』
匠は送られた波形を確認する。
『あれは柏木と俺が、主鍵を基に作った複製だ。
壊れたあとに欠片を補正具として使うことまでは想定していなかった』
ハレルは胸元のネックレスへ触れる。
『直すなら、今の亀裂だけを継ぎ足すんじゃない。
主鍵の基準波形と、複製鍵を作った時の調整値、
それにリオ側の過去の反応を照合して、壊される前の安定状態まで戻す必要がある』
ノノが聞く。
『アデルの副鍵を基準にするのは?』
『参考にはなる。でも、それだけじゃ足りない』
「何が必要なんだ」
リオが聞く。
『元の複製鍵を作った時の調整値だ』
一拍。
『柏木はもういない。今それを復元できるのは、俺しかいない』
リオが腕を下ろす。
「なら、今はこのままか」
『そうなる』
「使える範囲は?」
匠は数秒黙った。
『低出力』
『短時間』
『連続使用は避けろ』
ノノの見立てと同じ。
さらに。
『帰還接続に使うなら、全部をリオへ通すな』
アデルが聞く。
「分散するのか」
『そうだ』
匠は続ける。
『主鍵』
『アデルの副鍵』
『リオの残っている経路』
『結界固定』
『案内層』
それぞれへ負担を分ける。
『リオの副鍵は、道を作る中心にするな』
『残った経路の補正だけに使え。出力は最低限だ』
リオが少し顔をしかめる。
「ずいぶん役割が減ったな」
『壊すよりいい』
「それはそうだ」
匠は続けた。
『それと』
『一度に何人も帰そうとするな』
ハレルが聞く。
「一人ずつ?」
『一人ずつだ』
『一人返す』
『全部閉じる』
『鍵の状態を確認する』
『それから次』
効率は悪い。
時間もかかる。
だが、今の副鍵で全員を安全に帰すなら。
それしかない。
◆ ◆ ◆
通信が切れたあと。
検査室へ戻る。
ノノが新しい帰還構成を作った。
中央。
《主鍵・ハレル》
異世界側支点。
《副鍵・アデル》
補助。
《副鍵・リオ/低出力限定》
外周。
《ダミエ・結界固定》
経路選択。
《エリウス案内層》
《re・安全経路補助》
そして。
現実側。
《日下部・本人情報/現実側座標照合》
《城ヶ峰・受入地点固定》
複数の役割が一つの図へまとまる。
アデルが言う。
「これなら高瀬を帰せるのか」
ノノはしばらく画面を見る。
『理論上は』
リオが聞く。
「成功率は?」
『数字にはできない』
「そうか」
『でも』
ノノは高瀬の記録を開く。
《高瀬直人》
《名前・確認》
《身体・確認》
《本人選択・帰還》
《帰還先・現実世界/自宅》
『条件は、今までで一番揃ってる』
ハレルが高瀬の名前を見る。
高瀬自身も待っている。
帰りたいと言った。
だから道を作る。
ただしその前に一つ確認しておかなければならない。
「リオ」
ハレルが見る。
「何だ」
「もし途中で副鍵が危なくなったら、止めるから」
リオが少し眉を寄せる。
「高瀬を途中で?」
「違う」
ハレルは首を振った。
「危なくなる前に、接続そのものを始めない」
リオは黙った。
「リオの鍵を壊してまで帰す方法は使わない」
「でも、この鍵を使わないと帰せないんだろ」
「使う」
ハレルは答える。
「壊さないように使う」
リオはしばらくハレルを見ていた。
それから。
「分かった」
短く答えた。
◆ ◆ ◆
【王国警備局/帰還準備室・午後】
まだ誰も入っていなかった部屋に初めて
帰還用の結界が作られ始めた。
床の中央。
主鍵用の位置。
その左右。
副鍵の支点。
外周をダミエの結界が囲む。
ノノが遠隔で数値を確認する。
イデールの治療班も。
異常が起きた時に備えて待機する。
ハレルは準備されていく部屋を見ていた。
ここから本当に誰かが現実へ戻る。
高瀬。
その次。
悠真。
三浦。
そしてまだ答えを出していない人たちも
いつか本人が決めた時に。
アデルがハレルの横へ立つ。
「急に現実味が出てきたな」
「うん」
「怖いか」
ハレルは少し考えた。
「怖い」
アデルが見る。
「でも」
ハレルは床の結界を見る。
「今までみたいに、何も分からないまま飛ぶわけじゃない」
名前を確認した。
身体を確認した。
本人の意思を聞いた。
帰還先も決めた。
そして壊れた鍵を
壊れたまま無理に使わない方法も考えた。
「だから、やる」
アデルが小さく頷く。
その時、廊下側で警報が鳴った。
一度。
二度。
赤い光。
アデルが振り返る。
ノノの声がイヤーカフから入る。
『アデル!』
『南棟の外周結界に反応!』
リオが立ち上がる。
「敵か」
『まだ分からない。でも――』
一瞬。
大きな衝撃音。
帰還保護区画全体が揺れた。
壁の向こうで何かが
結界へ叩きつけられる。
ヴェルニの声が遠くから響いた。
「全員、中へ下がれ!」
アデルが剣を抜く。
「ハレル、サキを連れて保護区画へ!」
「はい!」
リオも走り出す。
だがアデルが呼び止めた。
「リオ!」
振り向く。
アデルは右手首を見る。
「副鍵は使うな」
リオは一度だけ自分の手首へ目を落とした。
そして
「ああ」
と答えた。
帰還の準備が整い始めた。
その場所を。
敵も見逃してはいなかった。
コメント
1件
うわあ、副鍵の傷がちゃんと“直せない”形で描かれてて、設定の重みがすごいですね…。匠さんが「今は無理」と言った時のリオの「そうか」の返しが渋くて好きです。ハレルの「壊さないように使う」って言葉、あの子の成長を感じますね。最後の警報、めっちゃ嫌なタイミングで震えました…。続きが気になる!
夕凪ゆな
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