テラーノベル
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規則正しい電子音が、遠くで鳴っている。
一花は重いまぶたをゆっくりと開いた。ぼやけた視界の向こうに広がっていたのは、見覚えのない白い天井だった。
ここは、どこだろう。
身体を起こそうとした瞬間、全身を引き裂かれるような激痛が走った。
「っ……!」
思わず息を詰める。それだけでも左頬から顎、首、腕へ焼けるような痛みが広がり、一花は動くことを諦めた。
視線だけを動かして自分の身体を見る。両腕には白い包帯が幾重にも巻かれ、左頬から首にかけても何かに覆われている感覚があった。
その光景を目にした途端、途切れていた記憶が一気に蘇る。
燃え盛る家。煙に覆われた廊下。炎の中で悠真を抱きしめていた春子。
自分の背中を押した母の手。そして、腕の中でぐったりとしていた息子。
「……悠真?」
喉から出たのは、自分でも驚くほど掠れた声だった。
悠真はどこにいるのか。春子はどうなったのか。不安が急速に膨らみ始めた、そのとき、病室の扉が開いた。
白衣を着た医師と看護師が入ってくる。一花が目を覚ましていることに気づくと、二人はすぐにベッドのそばまでやってきた。
「桜井さん、目が覚めたんですね。気分はいかがですか」
一花は答えられなかった。
医師の後ろへ目を向けても、春子も悠真もいない。見知らぬ病室の中に自分だけがいることが、急に恐ろしくなった。
「母は……?」
問いかけた瞬間、医師の表情がわずかに曇った。
すぐには答えず、一度視線を伏せる。その反応を見ただけで、一花の胸の奥が冷えていった。
「……残念ですが、お母様はお亡くなりになりました」
一花は瞬きすらできなかった。
言葉は聞こえているのに、その意味だけが頭の中へ入ってこない。
「……え?」
「最善は尽くしましたが……」
「うそ……」
震える声が零れた。
炎の中で見た春子の顔が、あまりにも鮮明に浮かぶ。
『悠真を守って』
そして――。
『そして……生きて』
あれが最後だった。
もう二度と、あの声を聞くことはできない。
その事実を理解した瞬間、堰を切ったように涙が溢れ出した。
「お母さん……?」
呼んでも、返事はない。
「嫌……そんなの、嫌……」
涙が左頬を伝うたび、傷ついた皮膚に鋭い痛みが走った。それでも止めることなどできなかった。
春子を置いて逃げたこと。絶対に助けに戻ると言ったこと。
燃え落ちていく家を目の前にしながら、何もできなかったこと。
すべてが一度に胸へ押し寄せてくる。
けれど次の瞬間、もう一人の大切な存在が頭をよぎった。
「悠真……!」
一花は痛みに顔を歪めながら身を起こそうとした。
「悠真は!? 悠真はどうなったんですか!」
「命は助かっています」
一花の動きが止まった。
生きている。その言葉だけで、一瞬、暗闇の中に光が差し込んだような気がした。
「ですが、身体の広い範囲に重い火傷を負っています。煙もかなり吸い込んでいて、現在は集中治療室で治療を続けています」
「……意識は?」
医師は静かに首を横へ振った。
「まだ戻っていません」
一花は震えながら目を閉じた。
生きている。悠真は生きている。
何度そう言い聞かせても、炎の中で抱き上げた小さな身体が脳裏から離れなかった。
「……悠真」
それからどれほど時間が経ったのか、一花には分からなかった。
泣き疲れてぼんやりと天井を見つめていると、病室の扉が勢いよく開いた。
「一花!」
聞き慣れた声に、ゆっくりと顔を向ける。
息を切らして立っていた俊介を見た瞬間、どうにか保っていたものが崩れた。
「俊介……」
唇が震える。
「お母さんが……お母さんが……!」
最後まで言葉にすることができなかった。
俊介はベッドへ駆け寄ると、傷に触れないよう気遣いながら一花の身体をそっと抱き寄せた。
一花はその胸に縋りつき、声を上げて泣いた。
春子が死んだことも、悠真が目を覚まさないことも、自分たちの家が燃えてしまったことも、まだ何ひとつ現実だと思えない。
ただ俊介の温もりに触れている間だけは、一人ではないと思えた。
火災から数日が過ぎても、一花の身体には絶えず痛みがあった。
包帯を交換するたびに傷へ鋭い痛みが走り、眠りにつけば炎の中にいる春子が夢に現れる。
何度目を覚ましても、現実は変わらなかった。
それでも自分で動けるようになると、一花は許される限り悠真のもとへ通った。
集中治療室で眠る息子は、小さな身体の大部分を包帯に覆われ、いくつもの管につながれている。
その姿を見るたび胸が締めつけられたが、一花は毎日欠かさず声をかけた。
「おはよう、悠真」
返事はない。
「今日はね、窓から見える雲がすごく大きいの。悠真が見たら、絶対ソフトクリームみたいって言うと思う」
聞こえているかどうかは分からない。
それでも、目を覚ましたときに一人ではなかったと思ってほしかった。
家へ帰れるようになったら何をしようか。何が食べたいか。どこへ遊びに行こうか。
一花は未来の話をし続けた。そうしなければ、自分まで希望を失ってしまいそうだった。
その日の午前、一花の病室に見知らぬ男性医師が訪れた。
年齢は自分より少し上くらいだろうか。すっと通った鼻筋に切れ長の目元。
整った顔立ちではあるものの、静かな眼差しにはどこか近寄りがたい印象があった。
男性医師はベッドのそばまで来ると、軽く頭を下げた。
「初めまして。形成外科の神崎です」
一花が視線を落とすと、首から下げられた職員証に、神崎蓮と記されていた。
「これから、一花さんと悠真くんの火傷の治療を担当します」
悠真の名前を聞いた途端、一花の胸がぎゅっと締めつけられた。
「悠真は……まだ、目を覚まさないんですか」
蓮はすぐには答えず、手元のカルテへ視線を落とした。
「今も集中治療室で治療を続けています。煙を吸い込んだ影響もありますし、火傷の範囲も広い。今はまず、全身の状態を安定させることが最優先です」
「……目を覚ましますよね?」
縋るように尋ねる一花に、蓮は安易に頷かなかった。
「今の段階で、はっきりしたことは言えません。ただ、私たちもできる限りのことをします」
簡単に「大丈夫」と言ってもらえないことが、何より恐ろしかった。
一花は膝の上で両手を握りしめる。ガラス越しに見た、包帯に覆われた悠真の小さな身体が頭から離れなかった。
一花が俯いたままでいると、蓮はそれ以上言葉を重ねることはしなかった。
「何か不安なことがあれば、いつでも聞いてください」
「……はい」
短く答えるのが精一杯だった。
蓮が病室を出ていったあとも、一花はしばらく動けずにいた。頭の中を占めているのは、春子と悠真のことばかりだった。
その日の午後、一花の病室を二人の刑事が訪ねてきた。
警察だと名乗った二人を見た途端、胸の奥に嫌な予感が広がる。
「桜井さん。お身体が辛いところ申し訳ありません」
一花は緊張したまま、刑事の言葉を待った。
「先日の火災について、お話ししたいおきたいことがあります」
コメント
1件
うん、読んだよ……。めちゃくちゃ重かった。 母・春子さんを失って、悠真くんも意識戻らなくて、一花ちゃんの心がどんどん抉られていく感じが辛かった……。それでも悠真くんに話しかけ続ける姿、めちゃくちゃ胸に来た。みぅはああいう「失ってもなお、手を伸ばし続ける強さ」に弱いです🖤 形成外科の神崎先生も、なんかただの医者じゃない雰囲気あるよね……。次、警察が何を聞いてくるのか、すごく気になる。続き、ちゃんと読ませてもらうね🌙
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きなこもち
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