テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
#ファンタジー
KEY-STU
26,399
都築七美
1,141
「現場の状況を詳しく調べた結果、今回の火災は事故ではなく、放火によるものとみています」
「……放火?」
刑事から告げられたその言葉を、思わず聞き返した。
あの炎は偶然起きたものではない。誰かが意図的に、春子と悠真と自分がいる家へ火をつけた。
その事実を理解した途端、背筋を冷たいものが這っていった。
「それと、すでに容疑者を逮捕しています」
「……え?」
刑事は一枚の写真を取り出し、一花へ差し出した。
そこに写っていた男の顔を見た瞬間、一花の呼吸が止まる。
フードこそ被っていない。それでも忘れるはずがなかった。
自宅の前でこちらを見つめていた男。
職場の外に立ち、帰り道までついてきた男だった。
「この人……」
指先が震える。
「この人です。私をずっとつけてた……」
「水野翼。現在、この男を放火の疑いで取り調べています」
「水野……翼」
初めて知った名前を、一花は小さく繰り返した。
「あなたの自宅や勤務先の周辺へ何度も行っていたこと、それから郵便受けへ手紙を入れたことについても本人が認めています」
やっぱり、あの手紙もこの男だった。
恐怖と怒りがない交ぜになり、一花は写真から目を離せなかった。
けれど、その怒りはやがて目の前の刑事たちにも向かっていく。
「どうして……」
一花の声が震えた。
「どうして、もっと早く動いてくれなかったんですか」
刑事はすぐには答えなかった。
「私、あの人につけられてるって相談しましたよね。怖い、どうにかしてほしいって……!」
「桜井さん……」
「もっと早く何とかしてくれていたら、お母さんは……悠真は……!」
声を荒らげた途端、火傷した身体に鋭い痛みが走った。一花は思わず顔を歪めたが、胸の奥から溢れ出した感情は止められなかった。
春子は死んだ。悠真は今も目を覚まさない。
自分たちの家も、それまでの暮らしも、あの夜にすべて壊されてしまったのだ。
「……申し訳ありません」
刑事は静かに頭を下げた。
「当時の状況では、すぐに身柄を拘束できるだけの材料がありませんでした。ですが、結果として桜井さんとご家族を守れなかったことは――」
「もう、いいです……」
一花は掠れた声で遮った。
誰かを責めたところで、春子が帰ってくるわけではない。
それが分かっているからこそ、行き場のない怒りがますます苦しかった。
震える息を吐いてから、一花はもう一度写真を見る。
「……どうして、この人はこんなことをしたんですか?」
刑事たちが顔を見合わせる。
その反応に、一花は眉を寄せた。
「犯行の動機については、まだはっきりした供述が得られていません」
「どういうことですか?」
「水野は取り調べの中で、同じようなことを何度も繰り返しています」
刑事は手元の資料へ視線を落とした。
「『一花ちゃんを助けた』」
一花の表情が強張る。
「『自由にしてあげた』。それから――『これで幸せになれる』と」
「……私を、助けた?」
何を言っているのか分からなかった。
春子を奪い、悠真をこんな目に遭わせ、自分たちの家まで焼いた男が。
(——私を、助けた?)
「現時点では、水野が単独で犯行に及んだものとみて捜査を進めています。ただ、供述が要領を得ない部分も多いため、引き続き詳しく調べます」
刑事たちはそう告げると、一花へ一礼して病室を出ていった。
扉が閉まり、静けさが戻る。
『一花ちゃんを助けた』
『これで幸せになれる』
先ほど見せられた水野の顔が、頭から離れなかった。
「……どういう、ことなの?」
声にした途端、胸の奥に押し込めていたものが一気に溢れ出した。
「これの……どこが幸せなの……」
水野が逮捕されたと聞いても、心は少しも軽くならなかった。
失ったものは、何ひとつ戻ってこないのだから。
「お母さん……」
一花は俯き、震える手で顔を覆った。
夜になると、俊介が紙袋を手に病室へやってきた。
「何か食べられそう?」
「……ありがとう」
中には、一花でも食べやすそうなゼリーやスープが入っていた。
ここ数日、俊介は仕事を終えると毎日のように病院へ顔を出している。
一花は少しだけ食事を口にすると、疲れ切った身体をベッドへ横たえた。
「俊介……」
「ん?」
一花はしばらく夫の顔を見つめたあと、かすかに笑った。
「いてくれて……よかった」
それだけを口にすると、安心したように目を閉じる。
ほどなくして静かな寝息が聞こえ始めた。
俊介は何も言わず、眠る一花を見つめていた。
包帯に覆われた左頬と首。火傷を負った腕。眠っていても、ときおり痛みに眉を寄せる姿を見るたびに、胸の奥が締めつけられる。
あの夜、一花が炎の中で悠真と春子を助けようとしていた時、自分は妻のそばにいなかった。
仕事をしていたわけでもない。
——別の女の部屋にいた。
一花が家族を守るために命を懸けていたその時間、自分は妻を裏切っていたのだ。
俊介は俯き、膝の上で拳を強く握った。
そのとき、病室の扉が静かにノックされた。
「一花……?」
聞き覚えのある声に、俊介が顔を上げる。
扉の前に立っていたのは、奈緒だった。
「奈緒……」
一花も目を覚まし、驚いたように友人を見る。
奈緒はベッドへ近づきかけ、一花の姿を目にした瞬間——ぴたりと足を止めた。
包帯に覆われた左頬。傷ついた腕。
奈緒の顔が、泣き出しそうに歪む。
「……ごめん」
一花は目を瞬かせた。
「え……?」
奈緒は唇を震わせたまま、一花を見つめていた。
「ごめん……一花」
コメント
1件
うわあ……胸がぎゅっとなりました。 一花が刑事に「もっと早く動いてくれなかったんですか」と食い下がる場面、切実で苦しかったです。そして水野が「一花ちゃんを助けた」と言う狂気——それが一花にとってどれだけ残酷か。被害者の感情を完全に無視した加害者の論理、ゾッとしました。 ラストの奈緒の「ごめん」も気になります。これまでの関係がどう繋がるんだろう……。 包帯姿の一花が「いてくれてよかった」と言ったの、沁みました。早く悠真が目を覚ましてほしいです😢