呪われた土地にも生きる人々がいれば糧がある。植物や動物も元気はないが滅びてはおらず、農耕、牧畜が行われていた。光を感じていないのであって、光が無くなったわけではないからだ。痩せてはいるし清らかとも言えないが命脈を繋ぐ川もある。しかしそれだけではきっとずっと昔に飢えで全滅していただろう、とメグネイルの街の人々は信仰に身を寄せて感慨深げに語る。
ユカリの誘われた夕餉に供されたのは奇妙な形の白い茸だった。一本が丸々と太った兎ほどの大きさに成長するらしく、料理されるにあたっていくつかに切り分けられていて、その姿から元の形を推測するのは難しい。メグネイルの人々はその料理を指して、合掌茸の炒め物と称した。
確かに傘の部分は人の掌と指のように見えた。元の形は彼らシシュミス教団のする指の腹を合わせる合掌のようになるらしい。というより、この茸に倣ってあの奇妙な合掌が生まれたのかもしれない。
食卓につき、ユカリは失礼にならないように気を付けて尋ねる。「この種類は初めて見ました。メグネイルの特産物なんですか?」
少なくとも『我が奥義書』で新たに読めるようになった毒茸の見分け方の頁には記載されていない。
「ああ、まあ、そうですね」と大人たちは言葉を濁した。
隙を見て隣の席に座るドークが耳打ちをする。「この地が呪われた後に発見されたもんだ。俺たちは生まれた時から食わされているし、健康的には何も問題はない、と思う。けど正直言って気味が悪いだろ? 食べたふりするなら協力するぜ?」
ドークの厚意にユカリは少し迷ったが、覚悟を決める。間違いなく呪災に関わるものだろうが、ずっと食されてきたものだ。今更何かがあるはずもない。合切袋の保存食は一食にも満たない。全てはユビスのふかふかな背の上だ。
とはいえ、人々の痩せた姿を見るに大した滋養がないのは間違いない。
街の人々は、使い古され、修理を重ねた机を並べた広場に集まり、概ね年齢ごとに分かれて席についている。この街の人々は何をするにも共にするのだった。クヴラフワが呪われた後、当然ながらこの土地の古くから保たれてきた生活は失われ、苦労を重ねて新たな生活様式を構築している。シシュミス教団を中心とする集団は家族の絆に近い強固さで、お互いに助け合っている。夜の闇と獣の牙と蛇の毒に怯えていた、ずっと古い時代の再現だが、ここにそれを知る者はいない。
広場の中心で西を向いた神官が朗々と厳粛に唱え始める。食前の祈りだ。広場の全員が西を向いて目を閉じ、例の合掌をしている。ユカリも倣う。
「呪われた大地を穿ちし、我らが神、マルガ洞に感謝を。
多くの救いと絶えぬ喜びをもたらす深き穴に感謝を。
見捨てぬ神、死の大敵、輝けり命の主、シシュミスに感謝を。
その手の救いの業に、かの手を退けし業に、感謝を」
合掌茸の味は悪くなかった。かといって他の茸と比べて特筆すべきものもない、とユカリは舌の上で考えた。塩は十分でなく、香辛料など望むべくもない。とはいえ、これがラゴーラの麺麭であり、ラゴーラの血肉だ。わずかな野菜の切れ端と肉の欠片がこの無味乾燥な世界を少しばかり彩る。
「馬鹿々々しいよな」とドークが皮肉っぽい笑みを浮かべて神官に聞こえない声で当てこする。「洞窟が俺たちを救ってくれるんだとよ」
「ドークは信じてないの?」とユカリも声を潜める。
「まあね。老人たちに言わせればシシュミスなんてのは他所の神様だってよ。昔はマルガ洞だけを崇めてたんだって、こっそり聞いた。俺は洞窟のことも信仰してないけどな。まあ、中にはシシュミス神を信じている奴、信じつつある奴もいるけど。懐疑的ってやつだね」
「でもみんな、教団を受け入れている、ように見える。私の勘違いでなければ」
合掌茸の味わいを探すようにユカリは何度も咀嚼する。食感は糸を解きほぐすようで面白い。
「そりゃ受け入れるさ。奴らだけが、呪いを受けずに済んでる。それに一切の呪いがないって話のクヴラフワの中枢――奴らは聖地と呼んでるがね――と行き来できるんだからな。どうやってか? 敬虔故の加護とか言ってたけど、どうだか。奴らだけが色々と物資を運び込んでくれる。多少は奴らを通じて交易のようなものもしてる」
「そこに皆を連れて行くことはできない、と彼らに説明されてるってことだね」とユカリは確信的に断言する。
「その通り。俺たちの信心が足りないんだとさ。な? 仕方ないだろ? 信じてるふりくらい簡単なもんさ」
ユカリは合掌茸を呑み込んで頷く。「無下にはできないね」
「そうさ。首輪つけられてんだ。奴らはそれを救いだの施しだの言うがね」
支配者が被支配者の自由な移動を妨げるのはどこでも同じだ。ユカリたちの旅においてもまた関所をいかに通り抜けるかが重大事だった。
「クヴラフワでは元々マルガ洞が信仰されてたの?」
だとすればこのメグネイルの街こそが本来の聖地ということになる。
「いや、元々は八つの諸侯国で八柱の神がそれぞれに信仰されてたんだよ。シシュミス神はその一柱に過ぎなかったってことだ。衝突前の昔から他の七柱よりも人気はあったらしいけどな。老人は皆過去に背を向けて、なかったことにしてる。シシュミス教団の説教じゃないが、人の積み重ねた罪のせいでクヴラフワは呪われたんだと思ってる奴もいる。せっかく遺ってる記録や何年か前にシシュミス教団のお偉い巫女さんが持ってきた本を誰も読まない。そのうち燃料として燃やされちまうかも。それ迄には全部読んでおきたいところだが」
「……本? その本はどこに隠してるの? マルガ洞とか?」
まさか魔導書だということもないだろうけれど、ユカリは尋ねておいた。
「え? 何のために? 別に隠してないぞ。燃料ってのは冗談で、いや、ありえなくもないけど、別にすぐに燃やされるわけじゃない」
「そうだよね。ちょっと気になっただけ。本もそうだけど、あの洞窟に何があるのかなって」
茸を食べるユカリの横顔をドークがじっと見つめていることに気づく。が、気づかないふりをする。何かまずいことを言っただろうか。
まるで宝蔵を前に相棒に耳打ちする盗人のように、ドークは一層声を潜める。
「ユカリはあそこに何かがあると思うのか?」
「そりゃあ信仰対象だもの。偶像とか、何か崇拝物があるのかなって」
「ああ、そういうことか」ドークはようやく自分の皿に視線を戻し、食事を再開する。「それはないよ。洞窟そのものを崇拝してるんだからな。特に何か特別なものがあるわけじゃない。どこまでも続く真っ暗闇と風の反響だけさ。古い言い伝え、いや、噂によればどこか遠くに繋がってるらしいけどな。俺の推測ではクヴラフワの外へと繋がってるんじゃないかって」
「だったら皆そこから出て行くでしょ」
「そう簡単にはいかないよ」
ドークに多くのことを教わって、ユカリはまず『這い闇の奇計』を何とかできないだろうか、と考えることにした。シシュミス教団という存在はメグネイルの街の人々にとっても賛否両論あるようだが、『這い闇の奇計』は百害あって一利なしだ。
そして街の人々もおそらくユカリと同じように考えていることが、言葉の端々から察せられた。『這い闇の奇計』はマルガ洞からやってきているのではないか、と。もしそうだとすれば洞窟に侵入する邪魔になるかもしれない。魔法少女自身が呪われることはないとしても、洞窟の闇に包まれながら物を探すのは難しい。
ふとユカリの皿の上に合掌茸が増えていることに気づく。そしてドークの皿からは無くなっている。
「ドーク?」
「良い食いっぷりだったからさ」ドークは悪戯がばれた子供のように笑う。「こんなんじゃ足りないだろ? 育ち盛りなんだから」
「足りてるし育ち盛りはお互い様でしょ。ドークこそもっと食べなよ」
「俺はいいよ。元々食が細いし、普段から食えない分はひとの皿に移してるんだ」ドークは悪戯に成功した子供のように笑う。「それに命の恩人で、しかもクヴラフワを解呪してくれるんだろ? 力をつけてくれなきゃこっちが困るってもんだぜ」
ユカリは根負けして合掌茸を残さず食べた。譲られた食事は初めよりも味わい深く感じる。
昼食を終えるとほとんどの者は特に何かをするでもなく街に散った。十分な仕事がないので時間を潰す他ないのだ。
メグネイルの民からは『這い闇の奇計』に対する警戒感をまるで感じない。死が間近に存在するにも関わらず、逃げる手段も抵抗する手段もないからか、生きることそのものに対して無気力なように、ユカリには思えた。
神官たちは、少しはましな廃墟を事務所にしてクヴラフワ中枢との交易にまつわる仕事や物資の配分、いわゆる配給を管理する仕事に勤しんでいる。農産物や家畜の面倒は人手が足りなくなるほどではないらしい。
ユカリ同様に闇を見通しているらしい神官にしかできない仕事は沢山あるだろう。
「ユカリはなんで故郷を旅立ったんだ?」食卓の片づけを手伝っているとドークに尋ねられる。「ミーチオンだっけ? 遠いんだろ? 田舎者の俺は聞いたこともないくらいだ。まさかクヴラフワを解呪するためじゃないんだろ?」
「うん。探し物があってね。グリシアン大陸を巡る必要がある」
「グリシアン全土を!? すげえな。俺なんてグリシアンどころか、クヴラフワどころか、ラゴーラどころか、メグネイルから出たことすらないのに」
「ドークも旅をしたいの?」とユカリは一年前の自分を思い返して尋ねる。
「旅、というか。旅も良いけど。とにかく出て行きたいよ、俺は。こんな所に閉じ込められて人生を終えるなんて真っ平御免だ」
そう言うドークの視線は遥か西へ、マルガ洞のある方へ向けられていた。
もしもここに生まれていたなら自分もそう思っただろう、とユカリは確信を持っていた。
片付けを終えるとドークは用事があると一人去って行った。
少し迷ったがユカリは、日が暮れる前にもう一度洞窟へ向かうことに決めた。
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