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#大人ロマンス
#サレ妻
里奈のあの焦った顔を思い出すたびに、指先まで心地よい熱が広がる。
でも、これだけじゃ足りない。
健一が「こいつ、誰だ?」と震えるほどの、完璧な別人に化けなければ。
自室に戻った私は、さっそく古いタブレットを取り出した。
健一には存在すら教えていない、私だけの秘密の端末だ。
「……今日から、私はナオミになる」
新しく開設したSNSアカウント。
プロフィール写真は、今日百貨店で撮った、顔を半分ほど髪で隠したミステリアスな自撮り。
角度、光の加減、フィルター。
20代の時よりも研究し尽くした「最高の一枚」をアップする。
『新しい人生、スタート。』
その一言を添えて。
次に、健一の趣味を分析し始めた。
彼は見栄っ張りで、高級車や話題のレストラン、そして「自分を理解してくれる賢い美少女」に弱い。
私はナオミとして、健一がフォローしている経営者のアカウントや
彼が憧れている高級バーの投稿に、少しだけウィットに富んだコメントを残し始めた。
ただの美女ではない。
「知性」という、今の里奈には逆立ちしても真似できない武器をちらつかせるためだ。
すると、一時間もしないうちに、健一がナオミのアカウントに「いいね」をつけた。
(……早いわね、健一さん。本当に、単純な男)
スマホを見ながらニヤついている健一の姿が、壁一枚隔てたリビングから透けて見えるようだ。
彼は今、隣の部屋にいる「妻」が、自分の憧れる「ナオミ」と同一人物だとは夢にも思っていない。
カチャ、とドアが開く音がした。
ノックもせずに入ってきた健一は
私の姿を見て一瞬言葉を詰まらせた。
私はわざとらしく、タブレットの画面を消して隠す仕草をする。
「……何の用?」
「いや、お前、さっきから何してるんだよ。ずっと部屋にこもって」
「別に。私の勝手でしょう」
健一の視線は、私の隠したタブレットと、着替えるために脱ぎ捨てた上質なワンピースに向けられている。
「隠し事がある」という事実は、彼のような独占欲の強い男を狂わせるスパイスになる。
「……お前、金があるなら食費に入れろよ。コンビニ飯も飽きたんだよ」
「あら、家政婦は卒業したの。外に『刺激的な女性』がいるんでしょう? その子に作ってもらえばいいじゃない」
私の皮肉に、健一の顔が朱に染まる。
「ったく…可愛げのねえ女」
吐き捨てて出ていく健一。
でも、以前のような「冷めた怒り」じゃない。
そこには、無視できない存在への「苛立ち」が混じっている。
◆◇◆◇
その夜
リビングから、健一が誰かと電話で揉めている声が聞こえてきた。
「……だから、今日は疲れてるんだって。…里奈、わがまま言うなよ」
里奈との喧嘩。
私が綺麗になり、少しだけ冷たくしたことで、健一の心の余裕が削られ始めているのだ。
心の隙間が空けば空くほど、彼は「ナオミ」という救いを求めるようになる。
私はベッドの中で、ナオミのアカウントに届いた一通のDMを開いた。
送り主は───健一。
『素敵な写真ですね。もしよければ、今度お勧めのバーを教えていただけませんか?』
私は口角を上げ、返信を打たずにスマホを置いた。
獲物が罠の入り口に立った。
焦らすのは、これから。
「おやすみなさい、健一さん。……明日も、たくさん翻弄してあげる」
鏡に映る私の瞳は、20代の頃よりずっと、妖しく輝いていた。