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やばい…天才的…小説に出版出来るよこれ最高に好き
「…何でこんな事に」
下を向いたまま独り言をつぶやく。
父が何も言わず、俺の頭をくしゃりと撫でた。
「っ…」
涙が溢れ嗚咽が漏れる。
弟が目を覚まさなくなって、1ヶ月が経った。
俺は弟が高熱にうなされているのを看病していたのだが、 気づいたら寝てしまっていて起きたときそこにあったはずの弟の姿はなかった。
家中探しても見つからなかったが、玄関には靴が残っている。流石に、とは思いつつ玄関のドアに手をかけると、鍵がかかっていなかった。
その瞬間、どっと不安が押し寄せた。
弟は熱で理性を失い、裸足で外に出たんだろうか。それって、どれくらい前の事だ?
冷や汗が頬を伝う。 着の身着のまま家を飛び出した。
「あやくん!」
大声で名前を呼んでも夜の静けさに覆われるだけで、 月明かりを頼りに辺りを見回すがそれらしい姿はない。
その時、とん、と肩に手が触れた。
「どうした?」
振り向けば、カイの姿があった。
「あやくんが、どこにいるか知ってる?」
声が震えた。
「何かあったのか?」
「気づいたら、居なくなってたんだ」
カイが目を見開く。
「もしかしたら、危険な目に」
「分かった。俺が探しにいくから、まずは少し落ち着け」
「できるわけ、な」
カイが着ていたコートを脱ぎ、俺に被せた。
「え…」
じんわりと熱が伝わり、自分の体が冷えきっている事に気がついた。
やっと、冷静になれたかもしれない。このまま闇雲に探しても見つかるか分からないし、こんな状態で外をうろついていたら危険でしかないのだ。
まずは、警察を呼んだ方がいいだろう。
「ありがとう…」
そう言ったが返事はなくカイは何かに気を取られているようだった。途端に海の方へと走り出す。
あやくんを見つけたのだろうか。俺もすぐに その後を追った。
「はぁ、はっ…」
体力には少し自信があったのだが、全力で走っても追いつけない。
少し遅れて何とか辿り着けた時には、膝から崩れ落ちそうになった。
「っ綾、綾!!」
「…」
波のさざめき、必死に名前を呼ぶ声。
2人とも全身すぶ濡れで、多分海に入ったんだろう。
「綾が、息、してな……」
俺に気がついたカイが呆然としたように、そう言った。
「まだだ、まだ助かる!」
大丈夫だと自分に言い聞かせ、 記憶を頼りにあやくんの心肺蘇生をする。
それからはとにかく無我夢中で、あまり覚えていない。
あやくんは、白いベッドの上で眠っていた。
何とか一命は取り留めたものの、もう二度と目を覚まさないかもしれないと言われた。
ずっと後悔している。あの時外に出ようとするあやくんを止める事ができていたら、俺が眠ったりしなければ。
どれだけ泣いても、あやくんは目を覚まさない。
病室を訪れては、ただひたすらそんなことを考え時間が過ぎていく。
アイドルや俳優としての活動は休止した。辞めると言ったのだが、周りから猛反対され無期限休止という形になった。
眠り続ける寝顔を眺める。前はあんなに小さかったのに、なんて思って目を伏せる。
今は1日中傍にいるのに、前は5年という月日を疎遠になっていた。
怖かったんだ。もし、綾くんに本気で嫌いだと思われていたら。会ってしまえば嫌な思いをさせるんじゃないかと臆病になっていた。
両親は笑って大丈夫だと言ってくれていたが、勇気が出なかった。
それでもずっと気がかりで、いつの間にか弟の事ばかり考えるようになった。
やんちゃで甘えん坊だった弟は、いつも両親の関心を引いていた。
「綾はいい子にしてた?玲がいれば安心ね」
そんな言葉、聞き飽きた。
「にいちゃん、」
俺の後ろに隠れ、 泣きそうな顔した弟をそっと抱きしめる。
「大丈夫」
弟には、寂しい思いをさせたくなかった。両親は仕事が忙しく、俺が見ていなきゃと、守らなくちゃとずっと思っていた。
でも、そんな弟が羨ましくもあった。両親に頭を撫でられ笑う姿を俺は眺めるだけだった。
俺は、弟じゃないから。
俺が、しっかりしなきゃいけないから。
両親にとって相応しく、弟にとっていい兄にならなきゃいけないから。 そうやって自分を追い詰めてばかりいた。
夜遅くまで勉強をしていると、枕を持った弟がノックもなしにドアを開けて入ってきた。
「あやくん?」
なんとなく分かっていた。一緒に寝たいんだろう。勉強を途中で切り上げ、ノートを閉じる。続きはあやくんが寝た後にしよう。
「一緒に寝よっか、おいで」
「うん!」
嬉しそうな顔に、俺も微笑んでしまった。
ベッドに2人並んで横になると、あやくんは1秒で眠りについた。
俺いらなくない?
毎回そう思うが、ただ単純に俺と一緒に寝たいと思ってくれている弟が可愛いくてしょうがなかった。
俺の、俺だけの弟。本当に大好きだったんだ。
「おやすみ」
そう呟き、額にキスをした。
その時は、ずっとこんな関係でいられると思っていた。
俺が、いい兄であれば。弟の才能に嫉妬なんかしなければ、兄弟の時間を楽しく過ごせていたんだろうか。
「あやくん…」
失った弟との時間を、ようやく取り戻せると思ったらこんな事になってしまった。
まだ何もできていないのに。話したい事が沢山あるのに。
「…目を、覚ましてよ」
俺の気持ちなんから露知らず、あやくんは死んだように眠り続けている。
その頬に触れて、少し長い前髪をそっと流し、額に唇を当てる。
きっと戻ってきてくれると、そう願う事しか出来なかった。
破り捨てられた紙が床一面に散らばった部屋。
1枚、また1枚と増えていく。
結局、納得のいけるものが出来るはずもなく壁に鉛筆を投げつけ、そのまま床に倒れこむ。
ドサッ、倒れた勢いで床の紙が宙に舞う。
「…」
そういえば、もう何日も寝ていなかった。
寝ても寝なくても変わらないが。
ふと視線を向けた先に、1枚の絵が写りこんだ。
絵の中で笑うその姿に、心臓がどくん と跳ねる。
手を伸ばしても、届かない。
あの時は確かに届いたはずなのに、目が覚めたらどこにもいなかった。
いくら探しても、見つからなかった。
あの人が俺に残してくれたのは、自由と、この胸の痛みだけだ。
こんなの、いらない。
もうとっくに涙は枯れたと思っていたが、頬を濡らすこれは紛れもなく涙だろう。
「…」
綾が死んだ。あの時確かに、心臓は止まっていた。
玲は、あやくんはまだ死んでないと言っていたが、微かな希望に縋れるほど俺は気丈じゃない。
割り切ってしまった方が楽だから。
瞼を閉じる。脳裏に浮かんだのは、綾の姿だった。
綾のいる家に帰ると、いつもご飯を作って待っていてくれた。
俺の居場所を作ってくれた。
その優しさに甘えてしまうのが嫌で、俺は逃げてばっかりいた。
綾は、あの人じゃない。
そう分かっていたのに、だんだん絆されていってしまった。
失って、初めて気がついた。
いつの間にか、綾のことを好きになっていた事に。
もう誰かを好きになることは二度とないと思っていたのに。
こんな事になるんなら、出会わなければ良かった。
あの人に、似てるからって関わるべきじゃなかったんだ。
「っ…」
もうこのまま眠ってしまいたい。もう二度と、明日がやって来なくていい。
そして、1年が経過した。