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#海辺の町
#ワンナイトラブ
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「辻先輩、お久しぶりです。私でお役に立てるのか分かりませんが、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしく。そんなに難しい仕事じゃないと思うから大丈夫だよ」
辻は私の方へ身を乗り出して、にこにこしながら話し始める。
「それで、早速なんだけど、話はどこまで聞いてる?バイトの子が急に辞めちゃって、それでお願いすることになったっていうのは聞いた?」
「はい。仕事内容は、毎週金曜の午前中、リクエストの電話を受け付けたり、あとはちょっとしたお手伝いだとか」
「そうそう。そんな感じ。一回やれば分かると思うよ。しかし、夏貴ちゃんと仕事することになるなんて嬉しいな。矢嶋のおかげだな」
「矢嶋先輩、ですか?」
やっぱりか、と心の中で苦々しく思う。
「うん。矢嶋がここのアナウンサーだってことは知ってるよね?今回手伝ってほしいのって、あいつのラジオ番組なんだ。代わりの人をすぐにも探さないと、ってなった時に矢嶋が言ったんだよ。編成広報局に派遣社員がいるはずだから、もし可能ならひとまずその人にお願いして急場を凌いだらどうかって。どうしてそんなこと言い出したのか、後で矢嶋に聞いてみたら、夏貴ちゃんが派遣社員として来ている、って言うわけさ。知っている人の方が頼みやすいだろうと思った、ってね」
「そうだったんですか……」
相槌を打ちながら、私は心の中で苦笑した。
長谷川の元に資料を受け取りに行ったあの日、あの時、矢嶋とはばっちり目が合ってしまった。あれで彼が気づかなかったはずがない。そして、私がどの部署にいるかは、席次表を見るまでもなく、長谷川に聞けばすぐに分かったことだろう。
それにしてもと不思議に思うのは、どうしてわざわざ私を指名したのかということだ。私は派遣社員という立場だから、ある意味融通をつけやすく、使い勝手はいいだろう。けれど、マスコミ、しかもテレビ局という業界なら、代わりの人間などすぐにも見つかりそうなものだ。
私の疑問を察したらしく、辻は腕を組んで話し出す。
「すぐに見つかるかっていうと、なかなか難しいんだよね。どんな人でもいいわけじゃないし。他の曜日の子たちにもお願いしてみたけど、みんなその曜日だから都合がついてるってところもあるらしくって、いい返事をもらえなくてね。月曜から金曜のその時間帯の番組って、毎回バイトさん二人に入ってもらってるんだけど、金曜の子はバイトに来てからまだ二か月くらいでね。当面の間は一人でやってくれないかってお願いしたら、泣きそうな声出されちゃってさ。リクエストはメールでも受け付けてるけど、電話でのリクエストも実は結構多いんだ」
「そうでしたか」
辻の話に納得はしたが、全くの初心者である私と、ほぼ新人のようなそのバイトの子と二人で、大丈夫なのだろうかと不安を覚えた。
私の表情を読んだ辻は、私を安心させるかのように笑う。
「仕事は、さっきも言ったように、リスナーからの電話を取って、リクエスト曲と、コメントとかエピソードを聞き取るっていうだけだからね。夏貴ちゃん、編成広報にいるんなら、視聴者電話も取ってるでしょ?たぶんそれよりも楽だと思うよ。ディレクターは俺だし、パーソナリティは矢嶋だし、気楽にやってもらっていいからさ」
「……分かりました」
辻の説明は大まか過ぎて、今一つイメージを描ききれなかったが、ひとまずやってみようと心を決めた。しかしそれ以上に不安なのは、それが矢嶋の番組の手伝いだということだ。しかし、その不安は隠しておく。
「頑張ってみます」
「よろしく」
辻はほっとしたように笑い、それからおもむろに頬杖をついて小首を傾げる。
「ところで夏貴ちゃんは、いつからここで働いていたの?俺、全然知らなかったからさ。知ってたのが矢嶋だけなんて、ちょっとショック」
わざとらしく不貞腐れた顔をする辻に、私は苦笑する。
「別に隠していたわけじゃないです。中沢局長から聞いた『辻さん』が先輩の辻さんと一致したのが、ここに来て先輩の顔を見てからでしたし」
「なるほど」
辻は苦笑し、さらに続けて訊ねる。
「でも、そうしたら、どうして矢嶋は知ってたの?」
「それはまったくの偶然です。この前用があってここに来た時、遠目に顔を合わせただけです」
「あいつと個人的に連絡取り合ってて、それで事前に教えてあったってわけじゃないんだ」
「まさか、全然!ありえないです」
辻の言葉を否定する声が跳ね上がってしまった。
ムキになった私を見て、辻はあははと笑う。
「まぁ、いいや。とにかくだ。今週の金曜日……ってもう明後日だね。その日からよろしく頼むね。あ、そうだ。スタジオの場所を教えておかないとだね。案内するよ。それとさ。ここでは俺たちのこと、先輩って呼ばなくていいから」
「はい、分かりました」
「じゃ、行こうか」
言いながら席を立つ辻に続いて、私も急いで立ち上がった。
彼は私の背に手を添えて出入り口の方へと促す。
その時矢嶋が姿を見せた。
私たちに気づいた彼は足早にやって来て、辻の前で頭を下げる。
「お疲れ様です」
「あぁ、お疲れ。夏貴ちゃんには、今簡単に説明したよ。これからスタジオを案内してくる」
「そうですか」
矢嶋はちらりと私に視線を移し、ぶっきらぼうに言う。
「お疲れ」
理由不明の彼の不機嫌な様子に出鼻をくじかれた。次に会ったら堂々と挨拶しようと決めていたにもかかわらず、結局彼への私の挨拶は、おずおずとしたものになってしまう。
「お疲れ様です。今回はよろしくお願いします……」
矢嶋は無言でただ軽く頷いただけだった。ふいっと私から視線を外し、辻に向き直る。
「俺が案内しますよ」
嫌そうな顔をしているくせに何を言い出すのかと、私は呆気に取られた。
「そう?それならお願いしようかな。あ、そうだ。言い忘れた」
辻は私の肩にぽんと軽く手を置く。
「夏貴ちゃん、今度飲みに行こうな」
そこに矢嶋が割って入る。
「辻さん、女性に気安く触れるのは、今どきまずいですよ」
矢嶋の一言にはっとした。彼が私のことを「女性」と表現したのは空耳か。
「固いこと言うなって。可愛い後輩に久しぶりに会って嬉しいんだよ。そんなに怖い顔するなよ」
「別に怖い顔なんてしてませんよ」
辻がにやりと笑う。
「なんだ、矢嶋。もしかしてヤキモチか?」
「違いますよ」
私を目の前にして、矢嶋は鼻で笑いながら肩をすくめる。
「俺がたこ焼きちゃんのことで、ヤキモチなんか焼くわけないでしょう」
辻とは私も知り合いではあるが、他人がいる前でそんなあだ名で呼ばれ、腹が立つ以上にひどく恥ずかしくなって、私はうつむいた。さすがに職場ではそんな呼び方はしないだろうと思っていたが、どうやら彼を買い被っていただけのようだ。
「お前、夏貴ちゃんをそんな風に呼んでんのか?失礼な奴だな。俺の可愛い後輩をいじめるなよ」
辻は言いながら私の頭を撫でた。
子ども扱いされているようで、これまた別の意味で恥ずかしい。周りの目も気になる。私は顔を熱くしながら辻の手を払いのける。
「辻さん、やめてください」
「あはは、ごめん。あんまり可愛いから、つい」
悪びれない辻に矢嶋が呆れ顔を見せる。
「二人の仲が良いのは分かりましたけど、それで?スタジオ、見せてきていいですか?」
「あぁ、頼んだ。じゃあ、夏貴ちゃん。金曜日にね」
「はい。お疲れ様です。行ってらっしゃい」
辻が奥の部屋へと消えた後、矢嶋は相変わらず不機嫌な声で私を促す。
「行くぞ。着いてこい」
そんな言い方をされて、私も一気に不機嫌になった。口をへの字に曲げて、私は無言で彼の後に続いた。