テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
朝の光は、やけに眩しかった。
雲賀ハレルは、いつもの制服に袖を通し、いつもの鞄を肩にかける。
鏡に映る自分も、ぱっと見は“普通の高校二年”だ。
ただ――胸元だけが違う。
ネックレス。
世界の“鍵”になってしまった、小さなペンダント。
(学校行ってる場合なのか……って、何回も考えたけど)
考えたところで、暦は止まらない。
欠席が続けば先生たちの目にも留まる。
そうなれば、木崎の倉庫に隠してあるケースだって、守り切れるか怪しくなる。
階段を降りると、玄関でサキが靴を履いていた。
「お兄ちゃん、顔色悪いよ」
「寝不足なだけ」
「それ、嘘下手すぎ」
サキはそう言いながらも、ちゃんと上履き用の袋を肩に掛けていた。
彼女もまた、いつも通り中学へ行くらしい。
「……倉庫の方は、木崎さんが?」
「うん。『記者ってのは机にいるより現場が好きでね』とか言いながら、
ケースの前からほとんど動いてない」
それを想像して、サキが少しだけ笑った。
「じゃあ、あそこは大丈夫そうだね」
(大丈夫“そう”なだけ、なんだけどな)
ハレルは喉の奥に引っかかった言葉を飲み込み、鍵を回した。
◆ ◆ ◆
通学路の空気は、妙に薄かった。
いつもよりも、音がよく通る。
信号機のカチ、という切り替わりが、やけに耳に刺さる。
電車の窓から外を眺めていると、
遠くのビルの輪郭が、ほんの一瞬だけ“二重”に見えた。
コンクリートの壁の上に、石造りの塔――みたいな影が重なる。
「……今の、見間違いか」
瞬きを二回。
視界はすぐにもとに戻って、ただの街のビル群だけが残る。
スマホを取り出すと、ニュースアプリの通知が数件。
【昨夜、赤錆埠頭周辺で小規模な爆発】
【原因不明の停電・通信障害が一時発生】
【SNSで拡散中:道路が“石畳に見える”現象は錯覚?】
どれも、ハレルには思い当たるフレーズばかりだった。
(錯覚じゃない。
……でも、説明したところで信じてもらえない)
通知を閉じ、電車を降りる。
学校の校門が見えてくると、不思議なくらい“普通の朝”が広がっていた。
「おーい、雲賀!」
クラスメイトの男子が手を振ってくる。
体育会系で声の大きい、藤堂だ。
「この前、何日か休んでただろ? 大丈夫だったかよ」
「……ああ、ちょっと家の事情で」
「マジか。でも今日から来れんならよかったわ。
今度さ、またゲームのトーナメント出ようぜ。新作出てんだろ、“クロスなんとか”」
ハレルの足が一瞬止まりかける。
「クロス……?」
「ほら、あれ。“クロスコード・アリーナ”だっけ?
名前似てて覚えづらいよなーって話しててさ」
(……クロスゲートじゃなくて、良かった)
胸の奥に冷たいものが浮かびかけて、すぐ沈んでいく。
ハレルは、ぎこちなく笑って答えた。
「……また今度、な」
藤堂は「おう」とだけ言って、前を歩いていった。
彼にとっては、ただのゲームのタイトル。
こっちにとっては、世界を壊しかけた会社の名前。
同じ“クロス”でも、意味が違う。
それが妙に、遠い世界のことのように思えた。
◆ ◆ ◆
午前中の授業は、ほとんど頭に入らなかった。
黒板に数字が並ぶ。
先生の声は、ずっと一定の調子で続く。
――その背後で、窓の外の風景だけが、何度か“揺れた”。
一度目は、校庭の端。
グラウンド脇のフェンスの向こうが、一瞬だけ“石の壁”に見えた。
二度目は、理科室のガラス越し。
空の端が、別の色の空と重なる。青の奥に、淡い紫がちらりと覗いた。
三度目は、廊下の角を曲がった瞬間だった。
ドンッ。
誰かとぶつかりかける、はずだった。
なのに、肩に当たる感覚だけがあって――人はどこにもいない。
「……え?」
振り返っても、廊下はがらんとしている。
ただ床の一部だけが、ほんの少し、色が濃い。
灰色のタイルの上に、古い石畳を雑に貼り付けたみたいな、奇妙な濃淡。
胸元で、ネックレスがかすかに熱を持った。
(境界の“薄点”……ここにも)
ほんの数秒で、その濃淡も元に戻った。
廊下は、いつも通りの学校の廊下。
ハレルは小さく息を吐き、スマホを取り出した。
【木崎さんへ】
《学校でも、ちょっとだけ“重なり”みたいなのを見ました。
空とか、床とか。 今日は帰りに、また倉庫行きます》
送信。
見なかったことには、できない。
◆ ◆ ◆
昼休み。
教室のざわめきの中で、サキからメッセージが飛んできた。
《中庭で、花壇の土が一瞬だけ“白い砂”になって見えた》
《すぐ戻ったけど、気持ち悪かった》
《そっちも何かあった?》
ハレルは、さっきの廊下の件を簡潔に返した。
《こっちも、廊下の床がおかしく見えた。
境界が揺れてるんだと思う。放課後、倉庫で話そう》
返信を送ったあと、ふっと視線を窓の外へ。
空は穏やかで、雲がゆっくり流れている。
――そのさらに奥で、別の空が重なっていることなんて、
ほとんど誰も知らない。
(日常が……下から少しずつ、持ち上げられてるみたいだ)
机の上で、教科書のページが風もないのにかすかに揺れた。
見間違いかもしれない。
でも、このところ“見間違い”が多すぎる。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都/解析室】
魔術スクリーンには、また新しい点が増えていた。
ノノ=シュタインは、頬杖をついたまま、片手で高速に符号を打ち込んでいる。
二本の三つ編みが、イライラのリズムで揺れた。
「……増えすぎ」
世界地図に浮かぶ薄点が、昨日より明らかに多い。
それぞれの明るさも、ばらつきが激しくなっていた。
「ただ増えてるだけじゃない。
“濃い”のが、はっきりしてきてる……」
ノノは指で、三つの点を印をつける。
他よりも強く、安定した光を放つ薄点たち。
「これが、強度レベルA~Bクラス。
ここで“何か”が起きる確率が高い」
扉がノックもなく開いて、アデルが入ってきた。
その後ろに、リオ。
「また増えたのか」
アデルの問いに、ノノは即答する。
「うん。
でも、いいこともある。
濃いのが、だんだん“絞れてきた”」
スクリーンの一角を拡大する。
ユナのコアから出ている指向ベクトル。
それと、薄点の分布が少しずつ重なり始めていた。
「ここ、見て。
一ノ瀬ユナのベクトルと、“勝手に濃くなってる薄点”。
角度誤差が……昨日より小さい」
リオが、黙って数値を見る。
「……つまり、ユナが“向かっている場所”と、
世界側が“勝手に薄くなっている場所”が、
同じになりつつあるってことか」
「そう。
このまま行くと、“そこ”が――
器とコアが再会しやすい座標になる」
アデルは腕を組み、目を細めた。
「敵も、そのことに気づいているはずだ」
カシウス。
あの男の顔を思い出すと、首の後ろが冷たくなる。
「境界が揺れる場所は、どちらにとっても都合が良い。
コアを返したい側にも、奪いたい側にも」
ノノは唇を噛む。
「だから、こっちが先に手を打たないと。
“自然に任せる”のは、カシウスに道を譲るのと同じ」
リオは小さく頷いた。
「……こっちから、ユナを迎えに行く」
その言葉に、ノノはほんの少しだけ顔を緩めた。
「そのために、私は座標を詰める。
ハレルには、また断片的にしか送れないけど……
それでも、向こうは動いてくれるはず」
アデルが静かに言う。
「向こうの日常も、もう安定してはいないだろう」
スクリーンの一角には、現実世界の都市地図。
小さな赤い点が、じわじわと増え続けている。
ノノは、ため息のように呟いた。
「……どっちの世界も、“普通”でいられる時間は、もう少ない」
◆ ◆ ◆
【現実世界・放課後】
夕方の教室。
窓の外の空が、オレンジから群青に変わる途中。
ハレルは、机に荷物をまとめながら、最後にもう一度窓の外を見た。
街並み。校庭。フェンス。
そのどこかで、きっとまた“重なり”が起きている。
(ケースの中の五つの光。
あれは、帰る場所を探してる)
意識を現実に引き戻し、鞄を肩にかける。
「……サキと木崎さんのとこ、行かないと」
普通の下校風景に紛れながら、
ハレルは胸元のネックレスを握りしめた。
金属の冷たさの奥に――
かすかな熱が、静かに脈を打っていた。