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定正と初めてのディナー中・・・鈴子は彼に魅せられっぱなしで自分がいったい何を食べているか分からない程だった、一緒にいるのがどうしてこんなに楽しいのか不思議なぐらいだった
その気になれば彼氏の一人や二人・・・出来ない鈴子ではない、現に最近では専務の増田から熱い視線を向けられることもある・・・鈴子と進んでおしゃべりをしたがる若い男性社員も大勢知っている
しかし・・・俄然鈴子の興味関心のある異性は、定正ただ一人だった
功成り名遂げた、大帝国を築いた王の様な彼なのに、少しも偉ぶる所が無く、常に優しく、紳士的に接してくれているのが彼の人となりを表していた、彼は女性から自分がどんなに素敵に見えているのかも無頓着で、そんな所も堪らなく良かった
―私はこの人が好きだ―
鈴子はいつの間にか心の中で自分に向かってそう呟いていた
「君のご家族の事を聞いてもいいかい?・・・」
意外な定正の言葉に鈴子は思わず夢の様なこの世界に雷を打ち込まれた気分になった
「君の履歴書の家族構成では・・・幼少時代にご両親とお兄さんを一気に亡くされているね・・・可哀想に」
鈴子はフォークを持ったまま、一言もしゃべらなくなった、どうしてだか分からないが、鈴子は父、隆二に連れられて工場巡りをしていた頃を思い出した、脳梗塞を患った母の左半分の顔が歪んでいるのを思い出した、兄と百合がリビングでいちゃついている所を思い出した、父と百合が薔薇の茂みに隠れて抱き合っている所を目撃して木に登って泣いたのを思い出した、親友の純をどうしようもない憎しみから首を絞めて殺そうとしたのを思い出した
今の私は彼に誇って話せる昔話は何もない・・・
鈴子はもう悲しみに耐えきれなくなって、ハラハラと涙を流して泣き出した、そして定正が優しく抱き寄せてくれるまで自分がこんなにも泣いているのに気が付かなかった
「よしよし・・・もう我慢しなくていいんだよ・・・」
定正が優しく言うと鈴子はさらに大きな声で泣きじゃくった、定正に手を引かれてソファーに二人並んで座らせられたのも、そのまま優しく抱きしめられのも分からずに、彼の腕の中で思い出すままを語った
自分が幼い頃に母が脳梗塞になって全てが変わった事、父のアルコール中毒の事、兄の銃を持って心臓発作で死んだ事、女子寮で学年中の生徒が見守る中一対一のタイマンを張った事、その後友達を殺しかけた事・・・話始めると次から次へともう止まらなかった
みんなみんな、自分が進んでやったことじゃなかった、仕方がなくあの場で選んだ選択は正しかったのか今だに分からなかった・・・それらを全て正直に話してしまった
しかし鈴子の女の本能が「百合」についてだけは語るなと自分自身に命じていた、もともと百合への復讐のために定正に近づいて何かしら百合を傷つけてやりたいというのが鈴子の脚本だったのだ
そのために、あれほど苦労して定正の秘書にまで成り上がったのだ、しかしここへきて、こんな展開は予想していなかった、彼に抱かれて泣いて子供の様に過去を語る場面は鈴子の脚本にはなかった
自分はやはり弱かったのだろうか、自分の痛い所をつかれて、つい赤ん坊の様に泣いて醜態をさらしてしまった
しかし定正の反応は違っていた、彼の鈴子を思いやる心は間口いっぱいに開かれ、鈴子の気持ちを全身で受け止めた
ガチガチのお堅い敏腕秘書が、自分をさらけ出した弱さが、かえって定正の心の琴線に触れたのだった
「よしよし・・・そんな事で人生投げやりになっちゃいけないよ・・・私も上の兄を飢えで二人亡くしてるんだ・・・父親は酷いアル中の船乗りでね・・・一家は貧乏で、それはそれは子供の頃に惨めな思いをしたもんだよ・・・小学生の時なんかね、うちだけ給食費を払ってなくてね、それでね・・・」
二人の会話はソファーから寝室に移っても途切れなかった、鈴子が疲れたから寝転がりたいと言ったのだ、定正はスイートヴィラのキングサイズのベッドで横になり、鈴子を抱きしめたまま延々昔話をした
服を着たままで、ぴったり寄り添って二人は朝方の5時まで語り合った、話はいつまでも尽きなかった、鈴子は男性とこれほど一人の人間として語り合ったのはこれが初めてだった