春の風がホームを抜け、白いスニーカーの紐を揺らした。
藤崎蒼は、あの日と同じ駅の階段を上っていた。
あの奇跡の再会から、季節は三度目の春を迎えている。
彼女の名前は、綾瀬澪。
再会の瞬間に胸にあふれた“知っている”という確信は、
いまも蒼の中で確かに息づいている。
――でも、奇跡の後には現実がある。
大学と地元、離れた暮らし。
夢のような入れ替わりの日々があったからこそ、
これからをどう紡ぐかは自分たちが選ばなければならない。
風が吹き抜ける。
ホームの向こう側で澪が笑った。
その笑顔に、蒼はもう一度心を決める。
――今度こそ、自分の言葉で。
再会から半年、蒼は東京の大学二年生、澪は風見町で看護学校に通っていた。
週末ごとのビデオ通話が習慣になり、互いの近況を伝え合う日々。
しかし、次第に“時間のズレ”が二人を苛む。
澪が夜勤実習で疲れていても、蒼は試験勉強で返信が遅れる。
通話の終わり際、ふとした沈黙が長くなる。
――遠距離は、奇跡だけでは乗り越えられない。
夏、蒼は澪の町を訪れる。
復興が進んだ商店街、祭りの風鈴の音。
肩を並べて歩く二人の距離は近いのに、心にはそれぞれの迷いがあった。
澪は看護師として町に残りたい。
蒼は東京で研究を続けたい。
夢を選べば、距離はさらに広がる。
“好き”だけでは解決できない現実が、ふたりの前に立ちはだかる。
町の夏祭り。
風鈴が一斉に鳴り、星が流れる。
蒼は澪の手を取り、夜空を見上げながら言った。
「離れていても、同じ風を感じられる。
だから――夢を諦めなくていい」
澪は瞳を潤ませ、ゆっくりとうなずく。
「うん。蒼も、自分の道を歩いて」
抱きしめた肩越しに、風が二人の髪を揺らした。
それは過去の奇跡が今も二人を包んでいる証のようだった。
春。
卒業式を終えた澪が東京の駅に降り立つ。
蒼は待ち合わせ場所で風を感じながら、あの日と同じ言葉を心の中で繰り返した。
「君に会いたかった」
階段を上がってきた澪が笑顔を見せる。
ふたりは再び交差点で立ち止まり、
今度は未来へ向かうために――自分たちの選択を重ねて歩き出した。
入れ替わりはもう起きない。
記憶が消えることもない。
ただ、同じ風を感じながら別々の場所で夢を追い、
そして何度でも“会いに行く”未来が二人を待っている。
春の風が桜の花びらを舞わせる。
藤崎蒼はポケットの中で、小さな箱を握りしめていた。
その中には、何度も選び直して辿りついた未来の証――指輪。
澪と再会してから四年。
遠距離の日々を乗り越え、
互いの夢を支え合いながら歩いてきた時間は、
奇跡ではなく“積み重ね”だった。
今日、彼は決意を伝える。
風がふたりを再び結ぶ場所、あの交差点で。
澪は看護師として地元の病院で働き、
蒼は東京で研究員として忙しい日々を送っていた。
距離は変わらない。
けれど、離れていても互いを信じる強さが
ふたりの絆をより確かなものにしていた。
蒼の研究がひと段落し、
澪も夜勤続きの研修を終えた春。
ふたりは同じ未来を語り合う時間を持てるようになっていた。
「これからの夢って、何?」
電話越しに澪が問いかける。
蒼は少し笑って答えた。
「君と一緒に暮らすこと」
蒼は澪の両親に会うため、久しぶりに風見町を訪れる。
緊張で汗ばむ手を握りしめながら、
これまでの想いと未来への覚悟を伝えた。
澪の母は微笑み、父は静かに頷く。
「澪を大切にしてくれるなら、それが一番です」
その言葉に、蒼の胸が熱くなった。
夕暮れの風が街を染める。
ふたりが初めて奇跡を感じた交差点。
蒼は澪の手を取った。
「澪――君と過ごした時間は、奇跡から始まった。
でも今は、これからの毎日を一緒に選びたい。
僕と結婚してください」
澪の瞳に光が宿る。
「蒼……はい。私も、あなたと未来を歩きたい」
指輪が指にはまり、風が二人を祝福するように吹き抜けた。
数か月後、ふたりは新しい街の小さなアパートに引っ越した。
東京と風見町の中間、
ふたりの夢をどちらも叶えられる場所。
段ボールに囲まれた部屋で澪が微笑む。
「ここから、私たちの時間が始まるんだね」
蒼は澪を抱きしめ、窓の外の春風を感じた。
奇跡の再会から始まった物語は、
いま“日常”という名の幸せへと続いていく。
指輪はただの飾りではない。
遠距離を越え、夢を叶え、
そして選び取ったふたりだけの未来の証。
――風が吹くたび、蒼と澪は何度でも確かめ合う。
あの日の奇跡も、今日という現実も、
すべてがこれから続く二人の人生に繋がっていることを。
――夢を見ている。
それは、誰かの記憶の断片をつなぎ合わせたような、淡く青い夢だった。
夜明け前の湖畔。
まだ陽の光を受け
東京の高校二年生・**藤崎 蒼(あお)**は、ある朝目を覚ますと見知らぬ町の古民家の布団の中にいた。
鏡に映った自分の顔は、長い髪の少女――綾瀬 澪(みお)。
同じ頃、山あいの町「風見町」に住む澪も、都会の男子高校生の身体で目を覚ましていた。
二人は数日おきに突然入れ替わり、お互いのスマホのメモや手帳に伝言を残しながら日常をやりくりする。
はじめは混乱していたが、蒼は澪の家族の温かさに、澪は東京の刺激的な景色に少しずつ惹かれていく。
入れ替わりを繰り返すうちに、二人は相手の世界に“自分”として馴染み始める。
蒼は澪の弟に勉強を教え、澪は蒼のクラスメイトと放課後を楽しむ。
しかし同時に、入れ替わらない日が続く不安が募る。
「次に目覚めたら、もう会えないかもしれない」
そんな焦燥が二人の胸を締めつけていく。
ある朝、入れ替わりが突然途絶えた。
澪に連絡を取ろうとしても、蒼のスマホには彼女の名前が残っていない。
記憶の輪郭が曖昧になり、澪という存在そのものが霞み始める。
夢の中で聞こえる“風鈴”の音だけが、二人が確かに出会った証のように響く。
澪を探すため、蒼は記憶の断片を頼りに風見町を訪れる。
そこで知ったのは、三年前に町を襲った隕石災害。
古い天文記録には「風鈴祭りの夜、町を守った祈り」が記されていた。
澪の家もその災害で大きな被害を受けたと聞き、蒼は愕然とする。
町の神社に伝わる御神体の“風石”に触れた蒼は、再び澪と心を通わせる。
だが澪が生きる世界は、蒼が立つ“現在”より三年前。
二人は時間を越えて入れ替わっていたのだ。
このままでは澪の町が隕石に飲み込まれる。
蒼は未来から過去へ、澪へメッセージを送る決意をする。
隕石が迫る夜、澪は蒼からのメッセージを頼りに避難を呼びかける。
「みんなを、守って」
耳に響く蒼の声を胸に、澪は町中を走り抜ける。
祭りの鐘が鳴り響く中、住民たちは間一髪で避難し、多くの命が救われた。
災害を乗り越えた後、二人の入れ替わりは完全に途絶えた。
蒼は東京で、澪は復興が進む町で、それぞれの時間を生きる。
互いの記憶は風にさらわれるように薄れていき、名前すら思い出せなくなる。
それでも、胸の奥には説明できない“誰かを探す感覚”だけが残った。
数年後。
大学生となった蒼は、通学途中の駅でふと足を止める。
反対側のホームに、どこか懐かしい後ろ姿――長い髪を風になびかせる女性。
心臓が高鳴る。
理由は分からない。ただ、その人を探していた気がする。
駅の階段で、二人は同時に振り返る。
視線が交わった瞬間、澪もまた胸の奥が震えた。
名前も、過ごした日々も曖昧なまま。
けれど口が自然に動く。
「……君に、会いたかった」
澪が微笑み、蒼が一歩踏み出す。
春の風が吹き抜け、二人の距離をそっと押し縮めた。
未来はこれから始まる。
風が、二人を再びつないだのだ。
あの日、風が運んでくれた声。
たとえ名前を忘れても、心は忘れない。
――私たちは、出会うために何度でも風に導かれる。
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