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「菊君ね、今日は熱があるのよ」
「…………そうなんですか」
────9月上旬。
診療所にやってきた俺は、菊の担当である壮年の看護婦に、開口一番そう言われた。
「具合が良くないんだったら……今日は帰りますけど……」
「いや、それがね……貴方に来て欲しいのよ」
「…………はい?」
「菊君がそう望んでいてね……傍にいて欲しいって」
「菊が…………ですか?」
「あの子ね、ああ見えてとても寂しがり屋なの。お母さんを早くに亡くして、お父さんは今海の上で戦っていて、唯一見舞いに来る叔母さんは、遠方に住んでいるからしょっちゅうは来れなくて……貴方ぐらいよ、あの子によく会いに来てくれる人は」
「…………」
俺がいなかったら、すなわち菊は孤独。
会いに行かない理由など、そんなの最初から無い。
*
「…………菊」
寝台で寝込む菊に、俺はそっと声をかける。
菊の顔は熱で紅く火照り、額には汗もかいていて辛そうだった。呼吸も何処となく、荒い。
「…………いさむ、さん」
熱に浮かされた、ぼんやりとした眼差しが、此方に向けられる。俺は近くにあった手拭いで、菊の額を拭いてやった。
「今日、胸は苦しくないんだぜ?」
「むねよりも…………からだがあつくて、つらいです」
「そうか…………しんどいよな」
相手は4歳も年上だが、俺は彼の頭を撫でてやった。少しでも彼の心に、安心感を与えてやりたくて。
すると菊はその手を掴み、顔のあたりまで持って行った。そして頬を擦り寄せて、こう独り言ちた。
「いさむさんの、てのひら…………ひんやりして、きもちいいです…………」
「き、菊…………」
うっとりと目を瞑り、笑みを浮かべる菊に、戸惑う俺。彼は男だ。男だから、男だけど────
鳴呼、これ以上は…………自分に嘘を吐けない。菊のことが────途轍もなく愛おしい。
願わくば、もっと彼の傍に。命短き、彼の傍に。
「いさむ、さん」
「…………どうしたんだぜ、菊」
「こんなわたしに…………いつもあいにきてくれて、ありがとう、ございます…………」
「そんなの当たり前なんだぜ。だって俺はお前の…………親友なんだから」
「しんゆう…………ふふ、そうですか…………しんゆう、ですか…」
「そうなんだぜ、菊…………俺とお前は、もう親友なんだぜ」
この日は陽が傾くまで、菊の傍にいた。寂しそうな彼に「また来るんだぜ」と告げて、 後ろ髪を引かれる思いで診療所の外に出る。
真っ赤な空を黒々と飾るのは、やはりB29。
菊の熱が、早く下がりますように。