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久しぶりに残業なく仕事が終わる。私はいそいそと「リッコ」に向かった。
間もなく店に着くというタイミングで携帯が鳴る。太田からだった。
「太田さん?お疲れ様です」
つき合い出したものの、私の口調はまだ丁寧語だ。
―― 笹本もお疲れ様。今は帰り?
「えぇ、まぁ。仕事の方は順調ですか?」
―― あぁ、無事に終わった。でもこれから接待だってさ。その前に、少しでもいいから笹本の声を聞きたいと思って、電話した。
さらりと甘い言葉を言われて、むず痒い気分になる。
「……ありがとう、ございます」
―― 今夜はまっすぐ帰るんだよね?
「あぁ、えぇと……。今夜は友達と飲むことになって……」
―― 友達と?
太田が息を飲んだような気配がした。
「太田さん?」
―― あ、いや、なんでもない。その話は聞いていなかったなって、思ったからさ。ちなみにそれって、女友達?
「え?そうですけど……」
太田に問いかけられて、そこにふと違和感を覚える。しかし、その正体をつかむ前に彼は優しい声で言う。
―― 帰る時、気を付けるんだぞ。そのお友達にもよろしく。
「はい。そろそろお店に着くので、電話は切りますね」
―― そっちに戻ったら、出張土産を持って会いに行くよ。
「えぇ、分かりました。この後の接待、頑張ってください」
―― ありがとう。じゃあな。
太田が先に電話を切ったのを確かめて、私は携帯をバッグの中に仕舞う。
店に入ると、待ち合わせ相手の梨都子の他に、なぜか清水もいた。
「碧ちゃん、久しぶり」
清水は私を見るなり笑顔になって、おいでおいでと手招きした。
私は二人の間に座りながら、梨都子に訊ねる。
「清水さんも呼んだんですか?」
「まさか。わざわざ連絡なんかしないわよ。もういたの。でも、二人そろってちょうど良かった。少し時間がたっちゃったけど、この前のお礼をさせてね。今日は全部私のおごりよ」
「えっ、いいんですか?」
「やった!少し高めのボトル入れちゃおうかな」
「史也君、それは図々しいってもんよ」
梨都子は清水に苦笑し、それから私を見てしみじみと言った。
「碧ちゃんの顔を見るの、けっこう久しぶり。最後に会ってからは、三か月くらいになるのかしら?確か、私が二人に送ってもらった日以来だよね。この前もらったメールによると、彼氏ができたってことだけど、今はちょうどラブラブ期間って感じなのかしら?」
梨都子の言葉を聞きつけて、清水が前のめり気味に訊いてくる。
「なになに?碧ちゃんにとうとう彼氏ができたのか?もしかして、あの名刺の人?」
改めて訊かれると恥ずかしい。私は小さな声で答える。
「えぇ、まぁ、はい……」
「よかった。なんだか安心したわぁ」
梨都子はにこにこしていた。
「それで、連絡もらった時に書いてあった『話』っていうのは何かしら?聞いてほしいことがあるとかなんとか」
「あ、いや、まぁ……。そんなにたいした話でもないんですけど……」
途中で言葉を切り、清水を、次は池上を見た。二人の耳があるこの場所では話しにくい内容だ。向こうの窓側のテーブルに移って話した方がいいかもしれない。
私の様子を訝しんだ梨都子が首を傾げる。
「もしかして、この二人がいると話しにくかったりする?」
「まぁ、そうですね」
「えっ、俺、邪魔だった?」
「いえ、邪魔ってわけじゃないんですけど……」
「ふぅん……」
しばらく私の顔をしげしげと見ていた梨都子だったが、納得した顔をしてにやりと笑った。私の耳元に口を寄せて囁く。
「もしかして、セックスの話?」
私の頬は一気に熱くなった。
「当たり?」
梨都子はふふっと笑い、私の傍にピタリと体をくっつけて小声で続ける。
「相性が悪いって話?」
「そうじゃなくてですね……」
私もまた梨都子の耳に顔を寄せて囁く。
「恥ずかしいんですけど、実はこの歳まで最後までっていう経験がなくてですね。それで怖いっていうか……。付き合ってそろそろ二か月くらいになるんだけど、実はずっと避け続けているんです。それでね、どういうタイミングで、それを許したらいいのかな、なんて……」
梨都子はがばっと私に抱きついた。
「やだっ。もう、碧ちゃんたら可愛すぎ!」
「ちょっと、梨都子さん、苦しいっ!」
「あはは、ごめん、ごめん」
梨都子は謝りながら私の体から腕を離す。私にしか聞こえない小声で言う。
「あまりにも初々しいことを言うから、可愛くって」
「いい大人が何を言ってるんだ、って感じですよね」
乾いた声で笑う私の肩にぽんと手を乗せ、梨都子は私の耳近くに顔を寄せる。
「結論から言うと、自然の流れに任せなさい、かな。大丈夫よ、なんとかなるものよ。というか、怖いとか不安に思ってることを、彼に正直に言ってみたら?彼が碧ちゃんを大事に思っているんなら、ちゃんと話を聞いてくれて、嫌がることはしないはずでしょ?」
「そう、かな……」
「そうよ。無理する必要なんかないよ」
「そっか。そうですよね……」
梨都子は私のグラスに氷を足しながら、ふふっと笑う。
「いいなぁ、付き合いたてかぁ。久々に会ったんだから、惚気話の一つも聞かないと今日は帰れないわ。碧ちゃんに彼氏ができる日を、お姉さんはずっと楽しみにしていたんだからね」
「ねぇ、そろそろ俺も話に混ざっていい?」
女同士の話が終わったらしいと察して、清水がおずおずと私たちの会話に入って来た。
「俺も聞きたいな。碧ちゃんの彼氏がどんな男なのか、ちょっと興味ある」
梨都子がうんうんと頷く。
「それで、その彼氏ってどんな人?」
目を輝かせた梨都子が私の方にずいっと身を乗り出した。