テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
#独占欲
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
駆け寄って来る矢嶋の姿を目にした途端、心からほっとした。
「どうしました!」
矢嶋の姿を認めた南風はひどく動揺した。
その拍子に彼の手は緩み、おかげで私はようやく彼から自由になった。しかしその反動で転倒しそうになり、寸での所で矢嶋に抱き止められ、救われる。
「大丈夫か?」
「は、はい。なんとか」
体勢を立て直す私を助けながら、矢嶋は安堵のため息をついた。私を背中にかばうように立ち、南風に向き直る。
「何かトラブルでもありましたか?……おや?私の知る限り、うちの局の関係者ではないようですね。失礼ですが?」
「あ、あの……」
南風は目を揺らし、おどおどとした様子で言い淀んだ。すでに笑顔は消えている。
矢嶋はテレビ用の「あの」爽やかな笑顔を作った。
「もしかして、今日のイベントの見学者の方ですか?見学の時間はもうとっくに終わっているはずなのですが、迷われましたか?」
南風は慌てた様子で説明する。
「あぁ、えぇと、そう!そうなんです!トイレを借りて出てきたら、帰り道が分からなくなってしまいまして。それで、ちょうどこちらの方が通りかかったので、道を聞こうと思いましてですね」
「なるほど、そうでしたか」
矢嶋は納得の表情を作って頷いた。にっこりとした笑みを浮かべて、流れるような口調で言葉を並べ始める。
「他はどうか分かりませんが、うちの局内は、なかなか入り組んでいますからね。うん、そうですよね。イベントはもうとっくに終わっているのに、どこかにこっそりと身を隠して誰かを待ち伏せしようとするなんて、そんな犯罪まがいのことをわざわざするような人、まさかいるわけないですよね。ここはテレビ局ですしね。例えば万が一にも、建物への不法侵入だとか、ハラスメントのようなことで警察沙汰にでもなったら、あっという間にテレビカメラや私のような報道の人間が飛んできて、今夜か明日のニュースにでも取り上げられてしまうかもしれないわけで、少しでもそんな想像をしたら、めったなことをするような人は普通はまず、いないでしょうからねぇ」
南風の顔から血の気がさあっと引いたのが分かった。
「えっ!も、もちろんです。私は、本当にただ道に迷っただけですので……。あ、あの、お騒がせして大変申し訳ありませんでした!」
南風は声を裏返らせて詫びの言葉を述べ、ぺこぺこと矢嶋に頭を下げた。
矢嶋は涼しい顔でその様子を見守っていたが、思い出したように南風に言葉をかける。
「そう言えば、出口が分からないと仰ってたんですよね。だったら、警備員の方を呼びますね。外まで案内してもらいましょう」
「け、警備員!?い、いえいえいえっ!大丈夫です!なんとなく覚えていますので!」
「そうですか?ちなみに出口はそこの階段を使って一階に降りれば、すぐに分かるはずですよ」
矢嶋はその方向を顎で指し示した。
南風の目に、私はもう映っていないようだ。必死のその形相から、この場から早く逃げなければと思っているのが伝わって来る。
彼はばたばたとした足音を立てて、あっという間に走り去って行った。
南風の背中が視界から消えて、ようやく私は緊張を解いた。
矢嶋が心配そうな顔で、私の手や腕を眺めている。
「どこか掴まれていたみたいだったけど、怪我はしてないか?」
「はい、大丈夫です」
「そうか。だったら良かった」
彼は安心したように息をつき、南風が走って行った方向に目を向ける。
「さっきの人、ものすごい勢いで逃げていったな。俺、適当に言っただけなんだけど。と、いうか、いったい誰だったんだ?」
首を傾げている矢嶋に私は説明する。
「常連のリスナーさんです。覚えていませんか?南風さんって」
「南風?あぁ、毎週のようにリクエスト入れて来る人か。その人が、どうしてお前に絡んでたんだ?」
「えぇと……。お近づきになりたいって言われたんです。それで、強引に食事に誘われまして」
「は?なんだ、それ」
「梨乃ちゃんが言うには、私を気に入っていたらしい、と」
「ん?会ったことがあるのか?」
「いえ、電話でリクエストを受け付ける時しか、話したことないです」
「はぁ?それだけで、お前を気に入ったってこと?」
「そういうこと、なんですかねぇ」
「電話がきっかけでお前を気に入って、実物に会って、ますますお前のことを好きだと思った、っていうことなのか?……まったく、どいつもこいつも油断ならないな」
深々としたため息をついたかと思うと、矢嶋は不意に私の肩に手を伸ばした。胸に抱き寄せて、私の頭を抱え込む。
「ちょっと、こんな所で……。誰かに見られたら」
「俺は全然構わない。とにかく、無事で良かったよ」
矢嶋はしみじみと言った。
その声に改めて安堵し、心の底から彼に感謝する。
「助けてくれて、本当にありがとうございました」
「うん」
彼の胸にくっ付けたままだった耳から、規則正しい鼓動が伝わってくる。その音は耳に心地よく、そのせいかふっと気持ちが緩み、きっと言わないままでいてもよかった言葉が口からするりと滑り出る。
「私、さっき、矢嶋さんに早く助けに来てほしいって思ったんです」
「ん、そうか」
相槌を打つ矢嶋の声は嬉しそうだった。
彼は私の頭を優しい手つきで撫でる。
「この後は、夏貴も帰るだけなんだろ?今日は俺ももう帰るんだ。だから飯でも食いに行こうぜ。三十分後くらいに通用口の外で待ち合わせよう」
これまでの私なら、余計なひと言を口にしただろう。けれどこの時の私は、ただただ素直にこくりと頷いた。