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夜の歩道橋は、昼間とはまるで別の顔をしている。
街灯の白い光に照らされたコンクリートは、青白く乾いた骨のようで、階段の影はやけに長く伸びていた。車道を走る車のヘッドライトが下から揺れ、歩道橋の裏側を一瞬だけ照らしては、また闇に沈める。
その歩道橋は、町外れの国道にかかっていた。古びた、どこにでもあるような歩道橋だ。けれど、地元ではひとつだけ妙な噂があった。
「午前三時に、真ん中で立ち止まるな」
理由を知っている者はいなかった。ただ、そう言われていた。
大学生の直人は、その噂を笑い飛ばしていた。サークルの帰り、終電を逃し、仕方なく徒歩でアパートへ向かう途中だった。スマートフォンの時計は、午前三時二分を示している。
「あ、ここか」
問題の歩道橋が見えた。車の往来はほとんどない。風が吹き抜け、金網がかすかに震える。
直人はわざと中央で立ち止まった。
「ほら、何も——」
言いかけた瞬間、足音がした。
コツ、コツ、コツ。
自分のものではない。階段のほうから、ゆっくりと誰かが上ってくる音。
直人は振り返った。誰もいない。街灯の光の下、空っぽの階段が続いているだけだ。
——気のせいだ。
そう思って前を向き直った瞬間、今度は背後で足音が鳴った。
コツ、コツ、コツ。
さっきまで自分が上ってきたはずの反対側の階段から。
直人の喉がひくりと鳴る。
どちらの階段にも、誰もいない。だが、確かに音は近づいてくる。中央へ。自分の立つ、この場所へ。
コツ、コツ。
足音は、直人のすぐ後ろで止まった。
背中に、冷たい気配が触れる。
振り向けない。
耳元で、かすれた声が囁いた。
「どうして、止まったの?」
その声は、子どものようでもあり、老人のようでもあった。男とも女ともつかない。
直人は悲鳴を上げ、前へ駆け出した。だが——
三歩走ったはずなのに、景色が変わらない。
街灯。金網。中央の、白いペンキが剥げた丸い染み。
足元を見ると、そこに同じ染みがあった。
振り返る。
やはり、同じ景色。
歩道橋の中央から、一歩も動いていない。
足音が、今度は前方から鳴る。
コツ、コツ。
逃げ道のない一本道の上で、見えない何かがゆっくりと距離を詰める。
直人は気づいた。
午前三時に中央で立ち止まってはいけない理由。
ここは「渡る場所」だ。
立ち止まった瞬間、渡るべきだったものと、場所を取り替えてしまう。
コツ。
目の前、空間がゆらりと歪んだ。
そこに、薄い影が立っている。
輪郭は直人と同じ。服装も、震える肩も、すべて同じ。
ただ一つ違うのは——
影の向こう側に、街の灯りが透けて見えていることだった。
「代わって」
影が口を開く。
直人の体が、勝手に後ずさる。
しかし、背後にはもう歩道橋の中央しかない。
影が一歩踏み出すたび、直人の足は後ろへ引きずられる。
足裏の感覚が、急に消えた。
下を見ると、コンクリートがない。
そこには、車道でも地面でもなく、真っ暗な空洞が広がっていた。底の見えない闇が、静かに渦巻いている。
直人の喉から、声にならない叫びが漏れる。
影が、にやりと笑った。
「ありがとう」
その瞬間、直人の体は闇に落ちた。
音もなく、光もなく、ただ沈んでいく。
翌朝。
通勤途中の人々が、いつものように歩道橋を渡っていく。
中央で立ち止まる者はいない。
ただ一人、スーツ姿の若い男が、欄干にもたれて下を見つめていた。
虚ろな目で。
彼は、昨夜いなかったはずの人物だ。
誰かが横を通り過ぎたとき、男は小さく首を傾げた。
そして、かすれた声で囁く。
「どうして、止まったの?」
午前三時。
次に立ち止まる誰かを、待ちながら。