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夜の図書館には、決して開けてはいけない扉がある。
それは古い校舎の三階、一番奥。
普段は誰も近づかない資料室の扉だった。
古びた木の扉には、小さな金属プレートがついている。
「旧資料室」
けれど生徒たちは別の名前で呼んでいた。
**「影の部屋」**
「ねえ、聞いた?」
放課後の図書館で、同じ図書委員の結衣が小声で言った。
「昔さ、あの部屋に入った先生がいたんだって」
机を拭いていた佐久間真琴は顔を上げる。
「先生?」
「うん。十年以上前の話らしいけど」
結衣は声をさらに落とした。
「入ったあと、なんか変になったらしいよ。
誰もいない場所に話しかけたり、ノートに同じ言葉ばっか書いたり」
「同じ言葉?」
「——見ている、って」
真琴は苦笑した。
「都市伝説じゃない?」
「でもさ、その先生…」
結衣は窓の外をちらっと見て言った。
「ある日、図書館で消えたんだって」
沈黙が落ちる。
外では夕暮れの空が赤く染まっていた。
真琴は笑って肩をすくめた。
「怖がりすぎだよ」
でも、その言葉は
**ほんの少しだけ、彼女の好奇心を刺激していた。**
その夜。
雨が降り始めた。
図書館には真琴一人だけが残っていた。
本の整理が終わらず、閉館後も作業していたのだ。
時計を見る。
**20:43**
校舎は静まり返っている。
遠くで雨が窓を叩く音だけが聞こえる。
真琴はふと顔を上げた。
廊下の奥。
薄暗い蛍光灯の下に、
**あの扉がある。**
旧資料室。
昼間は気にも留めないのに、
夜になると妙に存在感がある。
まるで、こちらを見ているようだった。
「……ちょっと見るだけ」
真琴は立ち上がる。
自分でも理由はわからなかった。
足が自然とそちらへ向かう。
廊下を歩くたび、床がきしむ。
ギィ……
ギィ……
そして扉の前に立つ。
近くで見ると、かなり古い。
金属の取っ手は黒くくすんでいる。
鍵穴には——
鍵が刺さっていた。
真琴は眉をひそめた。
「こんなところに…」
職員が忘れたのだろうか。
ほんの一瞬、迷う。
けれど好奇心が勝った。
カチ。
鍵を回す。
重たい音がした。
扉を押す。
ギィィィ……
ゆっくりと扉が開く。
その瞬間。
**冷たい空気**が足元から流れ出した。
真琴は思わず息を止める。
部屋の中は暗かった。
電気を探して壁を手探りする。
パチッ。
明かりがつく。
そして彼女は言葉を失った。
部屋は本棚で埋め尽くされていた。
天井まで届く棚。
ぎっしり詰まった古い資料。
だが普通の本ではない。
黒いノート。
表紙のない紙束。
焼け焦げたような記録。
まるで**誰かの観察記録**のようだった。
真琴は一冊のノートを手に取る。
ページを開く。
そこにはびっしり文字が並んでいた。
同じ言葉。
何度も。
何度も。
何度も。
**見ている**
**見ている**
**見ている**
**見ている**
「……なにこれ」
真琴は眉をひそめる。
ページをめくる。
全部同じだ。
狂ったように同じ言葉。
最後のページだけ違った。
そこには、こう書かれていた。
**「次はお前だ」**
その瞬間。
バタン。
背後で扉が閉まった。
真琴は振り返る。
誰もいない。
廊下の明かりも見えない。
扉は完全に閉まっていた。
「……風?」
そう言いかけたとき。
耳元で。
**息がかかった。**
「やっと来た」
真琴の体が凍りつく。
声はすぐ後ろだった。
ゆっくり振り向く。
誰もいない。
だが——
本棚の隙間。
暗闇の奥で、
**何かが動いた。**
カサ……カサ……
紙をめくる音。
ノートが一冊、床に落ちた。
バサッ。
ページが勝手に開く。
ペンが転がる。
そして——
**宙に浮いた。**
真琴の喉が乾く。
「なに……これ」
ペンはゆっくり動き始めた。
ノートのページに文字が書かれる。
ギ…ギ…
ギギギ…
震えるような字。
**「見ている」**
もう一行。
**「見ている」**
もう一行。
**「見ている」**
真琴は後ずさる。
その時。
肩に触れた。
冷たい手。
振り向く。
誰もいない。
なのに——
**無数の手**が背中に触れている感触がした。
耳元で声が囁く。
「寂しかった」
「ずっと待っていた」
「次の記録者」
頭の中に声が溢れる。
男の声。
女の声。
子供の声。
老人の声。
何十人もの声。
何百人もの声。
真琴は叫ぼうとする。
けれど声が出ない。
喉の奥に、
**黒い水**が流れ込んでくる。
視界が暗く染まる。
足が崩れる。
膝をつく。
ノートが目の前に落ちる。
ペンが手に握らされる。
「書け」
声が命令する。
「見たものを書け」
真琴の手が動く。
止められない。
文字がページに刻まれていく。
**私は見ている**
**私は見ている**
**私は見ている**
窓の外で雷が光った。
その一瞬。
ガラスに映った自分の顔が見えた。
目は真っ黒だった。
そして——
**笑っていた。**
翌日。
図書館はいつも通り開いていた。
生徒たちが静かに本を読む。
窓から柔らかな光が差し込む。
受付の机に、新しいノートが置かれている。
表紙には綺麗な字で書かれていた。
**観察記録**
その隣で。
図書委員の佐久間真琴が座っていた。
静かに本を読んでいる。
表情は穏やかだ。
けれど。
誰かが図書館に入るたび、
彼女は顔を上げる。
じっと見つめる。
長く。
長く。
長く。
そして微笑む。
「こんにちは」
優しい声。
でも、その目は——
**瞬きをしない。**
真琴はノートを開く。
新しいページに文字を書く。
今日の観察。
来館者。
行動。
表情。
感情。
全部記録する。
そしてページの端に、
小さくこう書いた。
**見ている**
図書館の奥。
三階の一番奥。
旧資料室の扉は今日も閉まっている。
けれど。
夜になると。
中から——
**ページをめくる音がする。**