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第22話「金魚すくいで金魚以外を」
「さっき、広場のほうでお祭りやってるって」
ユキコがそう言って、ナギを手招きした。
夕暮れの空は、今日だけ色がついてなかった。
まるで鉛筆で塗られたような雲が、音もなく浮かんでいる。
ナギは、肩までの髪をゴムでひとつにまとめていた。
白いシャツに、深い灰色の半ズボン。
手には屋台でもらった小さな布袋。
中にはスタンプカードと、すこしだけ冷たくなった飴が入っている。
「金魚すくい、やってみる?」
ユキコは今日、少し色のついた服を着ていた。
濃い紫と白の、すこし古びた浴衣。
帯の結び目はふわっとしていて、背中に重さがあるように見えた。
ナギは、台の前に立った。
水面に、赤いものがたくさん泳いでいる。
金魚──と、思った。
けれど、よく見ると、目がふたつ以上あるもの、
尾が透けて消えかけているものもまざっていた。
それでも、誰も気にしていなかった。
売り子のおばあさんも、金魚だよとしか言わなかった。
「ひとつだけ、すくっていいよ」
ナギはそっと、ポイを水に沈めた。
その瞬間、水の中で何かがナギの指先を見つめた気がした。
すくえたのは、小さな白い魚だった。
でも、それはうっすらと指のかたちをしていた。
目がなく、尾がふたつに分かれていた。
「……これって」
「うん、金魚じゃないね」
ユキコは小さく笑った。
でもその目は、まるで「それを選んだのがナギだよ」と伝えているようだった。
金魚袋に入れられたそれは、水の中でときどき形を変えた。
指、羽根、葉っぱ、そしてまた魚。
ナギは、目をそらすことができなかった。
「それ、持って帰る?」
ユキコが問うた。
ナギは、すこし考えてから首を振った。
「ここに、置いていく」
水面が、静かにゆれた。
それはまるで、袋の中のものがうなずいたかのようだった。
「えらいね」
「なんで?」
「持って帰ったら、“いっしょに夢見ること”になっちゃうから」
ナギはそっと、袋を水に戻した。
すくい上げたときよりも、水がぬるくなっていた。
でも、冷たいままだったら、もっとこわかったかもしれない。
台の下、だれかの足音が遠ざかる。
見上げると、ユキコが小さく手を振っていた。
「ナギちゃん、今の夢、ぜんぶ自分で決めたね」
スタンプ帳に、ひとつ新しい印が増えていた。
“すくわなかった”という名の、空白のスタンプ。
でもその空白は、なぜかにじんでいた。
水でも、涙でもない。
たぶん、“思い出す直前の名前”のような重さだった。
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