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第23話「妖怪将棋の勝負」
森の奥、 ぽつんと、灯りがひとつ見えた。
ナギとユキコはそこにいた。
灯りのもとは、ぼんやり光る将棋盤だった。
周囲には誰もいない。けれど、駒だけがひとりでに動いている。
「座ってみて」
ユキコが言った。
ナギは、すこし迷ってから正座した。
目の前にはすでに“相手の手”が打たれていた。
盤の奥、白い着物の少年が座っていた。
髪は長く、風に揺れる草のようにぼさぼさ。
顔は見えない。けれど、目だけが妙にくっきりと光っている。
ナギは深い水色のカーディガンを着ていた。
雨に少し濡れたせいで、重く見える。
首元のシャツには将棋の駒のような模様がひとつだけ刺繍されていた。
カタン。
ナギは歩を進めた。
相手はすぐに角を繰った。
迷いがない手つき。
でも、その駒には“古びたにおい”があった。
手に取れば、木ではなく、骨の感触がするかもしれない。
「この子ね、将棋でしか話せないの」
ユキコはナギの横で、ひとつも動かずに立っていた。
さっきよりも透けているように見える。
髪の先が、空気にまぎれて揺れていた。
ナギは香車を進めた。
すると、相手の駒がぴたりと止まる。
それは──“聞いている”という意思表示に見えた。
一手ごとに、空気がひんやりしていく。
それは冷たさではなく、“時間が深く沈んでいく”感じだった。
やがて、ナギの前にある銀将が、相手の金将の真横に来た。
「詰める?」
ユキコが聞いた。
でもその声は、ナギの耳の奥じゃなく、将棋盤の下から聞こえた。
ナギは首を振った。
「勝ったら、この子、動けなくなる気がする」
「ここで負けたら?」
「たぶん、わたしがここの駒になる」
ナギは手を止めた。
しばらく、盤面をじっと見つめる。
やがて、小さく笑って、盤から離れた。
「引き分けって、できるかな」
将棋盤の奥、白い少年の目が、すこしだけ細くなったように見えた。
それはたぶん、微笑んでいた。
駒がふっと光り、すべてが元の位置に戻る。
最初の一手のまま、何もなかったように。
でも──駒のひとつに、ナギの名前が刻まれていた。
「ナギちゃん、詰まない選択ができたね」
ユキコが近づいてくる。
袖が、夜風にふわりと揺れる。
けれど、その影は地面に落ちなかった。
ナギはそっと、自分の指を見た。
さっき持った駒の跡が、うっすらと赤く残っている。
スタンプ帳には、“対局した”の印がついた。
その印は少しかすれていて、まるで誰かと共有しているように見えた。