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第180話 混界
【現実世界・駅周辺対応点/規制区域内・朝】
駅前の輪郭は、これまでで一番はっきりしていた。
ロータリーの白線が、ほとんど途切れずに見える。
バス停の標識も、文字の一部が読める。
駅舎の柱は、半透明ではあるものの、確かに“そこに立っている”ように見えた。
避難者たちの間に、抑えきれないざわめきが広がる。
「見える」
「駅だ」
「あれ、本当に駅だよ」
警官たちは必死に声を張っていた。
「前へ出ないでください!」
「安全確認中です!」
「戻すための作業を続けています!」
“戻すために、今やっている”。
その言葉は、人々を踏みとどまらせていた。
不安はある。
怖さもある。
だが、それ以上に、希望がそこにあった。
木崎は規制線の内側で、カメラを構えながら駅前を見ていた。
前より良い。
確かに、良い方向へ動いている。
だが、胸の奥の嫌な感覚だけは消えなかった。
「……良すぎるな」
隣の隊員が聞く。
「何がですか」
「戻り方が、少し急に見える」
そう言った直後だった。
駅前ロータリーの白線が、ふっと濃くなった。
一瞬、現実の舗装が完全に戻ったように見えた。
避難者の間から歓声に近い声が上がる。
だが、その次の瞬間。
現実の白線の上に、異世界の石畳の割れ目が重なった。
白い道路線。
灰色の舗装。
その下から、茶色い石畳が透ける。
透けるだけではない。
石の模様が、舗装の表面へ浮き上がってくる。
「……何だ」
木崎が低く言った。
駅舎の柱の横に、見覚えのない石造りの柱が重なった。
ロータリーの向こうに、
王都イルダの建物に似た尖塔の影が、ほんの数秒だけ立ち上がる。
バス停の屋根の向こうに、異世界の木組みの看板が揺れた。
戻っているのではない。
混ざっている。
「下がれ!」
木崎が叫んだ。
「全員、規制線をもう一段下げろ!」
その声に、警官たちが動く。
だが、人々は駅前の変化に目を奪われていた。
「戻ったんじゃないの?」
「違うのか?」
「何でまた変なものが――」
その群衆の中で、一人の駅員が顔を上げた。
そして、同じ声で言った。
「こちらへお進みください」
木崎の目が鋭くなる。
さっきまでの案内とは違う。
進ませるなと言っていたはずだ。
それなのに、その駅員は柔らかい声で、避難者へ向かって手を差し出している。
「こちらへお進みください」
「駅は開いています」
「こちらへお進みください」
その言葉につられて、前へ出かける人がいた。
「止めろ!」
警官が駆け寄る。
だが、別の警官がその前へ立った。
「順番に進んでください」
その警官の目は普通だった。
顔も人間のままだ。
でも声が違う。
人を守るための声ではなく、決められた役割だけが勝手に喋っている声だった。
木崎はカメラを下ろし、叫んだ。
「名前を呼べ!」
「役割で喋ってる奴を止めろ!」
「駅員、警官、係員、全部だ!」
◆ ◆ ◆
【異世界・駅周辺/臨時防衛線・朝】
異世界側でも、同じ異変が起きていた。
石畳の上に浮かんでいた現実の白線が、急に濃くなる。
兵士たちの前に、現実のロータリーの影が広がる。
異世界の木組みの柵の向こうに、現実の改札口が見えた。
「成功したのか?」
若い兵士が声を漏らした。
だが次の瞬間、改札口の影の上に、王都の石門が重なった。
二つの構造物が同じ場所に立とうとして、ぐにゃりとねじれる。
現実の自動改札の金属光沢。
異世界の石門の重い影。
その両方が、同時に存在しようとしている。
術師が叫んだ。
「光路が膨らんでる!」
「広げてないのに、周囲が勝手に近づいてる!」
指揮兵が怒鳴る。
「光具を守れ!」
「避難者を下げろ!」
「前へ出るな!」
だが、その声に重なるように、別の兵士が言った。
「進め」
「道が開いた」
「進め」
周囲の兵士たちが一斉に振り向く。
その兵士の顔は普通だった。
汗もかいている。
手も震えている。
だが、口だけが命令を繰り返していた。
「進め」
「道が開いた」
「進め」
同僚がその肩を掴む。
「ミルド! お前、妹は何歳だ!」
兵士の口が止まる。
「……11」
「下がれ!」
その兵士は、はっとしたように自分の口を押さえた。
だが、次は別の場所から声が上がった。
「進め」
「待機しろ」
「整列しろ」
「通せ」
命令が増えていく。
正しい命令。
間違った命令。
半分だけ正しい命令。
それらが、人の口を借りて、あちこちから生まれていく。
そして、光路の外側に、人型の黒い影が薄く立ち始めた。
まだ完全な姿ではない。
だが、警官の帽子に似た影。
駅員の制服に似た影。
兵士の鎧に似た影。
役割だけをかぶったような黒い人影が、群衆の端にゆっくり増えていく。
指揮兵は青ざめながら叫んだ。
「名前を呼べ!」
「命令だけを繰り返す者を下げろ!」
「光具の線を踏ませるな!」
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館脇・朝】
ハレルの手の中で、主鍵が激しく震えた。
「っ……!」
これまでの震えとは違う。
細い光路が、急に何本にも裂けて、手の中で暴れ始めるような感覚だった。
ノノの声がイヤーカフから飛び込む。
『駅周辺、混線拡大!』
『広げてないのに、現実側と異世界側の輪郭が重なり始めてる!』
『人流ノイズ、急増!』
リオの右腕の副鍵も光を乱していた。
「勝手に引っ張られてる……!」
ダミエが結界を強める。
「ハレル、押すな!」
「引き戻すな!」
「ここで力を入れると、余計に広がる!」
ハレルは歯を食いしばった。
分かっている。
分かっているのに、手の中の主鍵が駅周辺の悲鳴を拾っている気がする。
押さえたい。
助けたい。
だが、力を入れれば壊れる。
「ノノ!」
サキが叫ぶ。
「どうすればいいの!」
『今、解析してる!』
『第一層と第二層はまだ生きてる!
第三層が引っ張られてる!』
その時、箱の中のレアがぽつりと言った。
「……早かったね」
ハレルが睨む。
「知ってたのか!」
「ここまでとは知らない」
レアは答えた。
「でも、光がきれいに通ると、外側の影も通り道を見つける」
「だから言ったでしょ。光の外側が濃いって」
リオが一歩前へ出る。
「ふざけるな。止め方を言え」
レアは、初めて少しだけ真顔になった。
「止めるなら、光路を太くしちゃだめ」
「太くすると影も一緒に乗る」
「細く絞って、どこを戻すか決めるしかない」
「どこを戻すか……?」
サキが呟く。
レアは静かに言った。
「全部を戻そうとすると、全部が混ざる」
その一言が、体育館の空気を凍らせた。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/臨時分析拠点・朝】
ノノの端末には、赤い警告が一斉に出ていた。
《STATION AREA / OVERLAP INCREASE》
《ROLE NOISE / MULTIPLE》
《THIRD LAYER / PULLED OUTWARD》
《CIVILIAN FLOW / UNSTABLE》
「なんで……!」
ノノは画面を睨む。
「広げてないのに、なんで周囲が勝手に広がるの!」
セラが隣で、流れを見ていた。
「希望で人が集まった」
「人が集まれば、役割も集まります」
「駅員、警官、兵士、避難者」
「光路が通ったことで、“戻る場所”として駅が強く見えすぎたんです」
「それだけで、こんなに……?」
セラは表情を硬くする。
「それだけではありません」
「誰かが、そこへ影を乗せています」
ノノの指が止まった。
「パイソン……?」
セラは答えない。
だが、否定もしなかった。
ノノはすぐに全体回線を開く。
『全班へ!』
『駅周辺、混線拡大!』
『光路は切らない! でも広げない!』
『人を前へ出さない!』
『役割ノイズ、複数発生! 名前確認を徹底!』
アデルの声が割り込む。
『北西にも揺れが来た』
『こちらの獣影も動き出している』
ノノの顔が強張る。
「今なの……?」
『ああ』
アデルの声は冷静だった。
『向こうも、この揺れを見ている』
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/北西区画・朝】
北西区画の奥で、黒い獣影が一斉に顔を上げた。
猪型。
狼型。
牛型に似た黒い塊。
それらの背中から、細い文字列が浮かび上がる。
ヴェルニが舌打ちした。
「おいおい、休憩終わりかよ!」
アデルは左腕の副鍵を押さえながら、前へ出た。
第三層が駅周辺へ引っ張られている。
その負荷が、アデルの副鍵にも来ていた。
腕の奥が焼けるように痛む。
イデールが叫ぶ。
「アデル、無理に支えすぎないで!」
「支えなければ駅が崩れる!」
「倒れたら北西が崩れる!」
その言葉に、アデルは一瞬だけ歯を食いしばった。
正しい。
どちらも正しい。
ヴェルニが前に出る。
「だったら、前は俺が押す!」
「お前は腕を保て!」
「ヴェルニ!」
「いいからやれ!」
黒い獣影が突進する。
ヴェルニは両手に炎と風を巻いた。
「〈爆風・第四級〉――『押し返せ!』」
轟音が北西区画に響く。
だが、獣影は完全には止まらない。
駅周辺の混線に呼応するように、その輪郭も前より濃くなっていた。
アデルは副鍵の光を細く絞る。
広げない。
太くしない。
細く、支える。
それが今、自分にできることだった。
◆ ◆ ◆
【現実世界・駅周辺対応点/規制区域内・朝】
現実側の駅前では、混乱が一気に広がっていた。
「こちらへお進みください」
駅員の声。
「この位置を保ってください」
警官の声。
「安全です」
係員の声。
「危険です」
別の係員の声。
真逆の言葉が、同じような調子で飛び交う。
避難者たちは戸惑い、押し合いそうになる。
そこへ本物の警官が必死に割って入る。
「名前を呼んで確認しろ!」
「同じ言葉を繰り返す者は下げろ!」
「前へ出すな!」
木崎はカメラを構えながら、人の波の奥を見た。
そこに、黒い人影がいた。
完全な実体ではない。
だが、駅員の制服の形をしている。
顔は黒く塗りつぶされ、胸元に名札のような白い四角だけが浮かんでいる。
その影は、人々へ向かって手を伸ばした。
「こちらへ」
木崎は叫ぶ。
「そこだ!」
「駅員の形をした影! 群衆の左!」
警官が駆け寄る。
だが、影は人混みの中へ溶けるように薄くなる。
そして別の場所で、警官の帽子をかぶった影が現れた。
「整列してください」
その声に反応して、避難者が列を作ろうとする。
木崎は歯を食いしばる。
「役割で人を動かしてる……!」
ラストのように建物を錆びさせるのではない。
ジャバのように力で押すのでもない。
今起きているのは、人の群れそのものを動かす攻撃だった。
◆ ◆ ◆
【どこでもない層/薄い演算空間】
パイソンは、白い配置図を見下ろしていた。
駅周辺の光は強い。
その周囲に、人の流れが生まれている。
警官。
駅員。
兵士。
避難者。
教師。
係員。
役割の線が、光の周囲に次々と集まっていく。
その間に、黒い点が増える。
パイソンは静かに言った。
「いい」
焦ってはいない。
勝ち誇ってもいない。
ただ、盤面が想定通りに動き始めたことを確認しているだけだった。
「光を太くしようとすれば、影も乗る」
「光を切れば、希望が落ちる」
「細く保てば、人の流れが歪む」
彼は、駅周辺の一点を指先で軽く叩いた。
黒い点が、いくつか線になった。
「さて」
「どこを守りますか」
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館脇・朝】
ハレルは主鍵を握りしめていた。
全部を戻したい。
駅周辺を助けたい。
人々を帰したい。
だが、今それを願って強く押せば、影も一緒に広がる。
リオが叫ぶ。
「ハレル、迷うな!」
「分かってる!」
「分かってない顔だ!」
その言葉に、ハレルは一瞬だけ息を止めた。
そうだ。
迷っている。
全部を戻したい。
でも全部を戻そうとしたら、全部が混ざる。
サキが紙を握りしめて言った。
「ハレル」
「今は、駅全部じゃなくていい」
「人がいる場所を守ろう」
その言葉に、ハレルの目が動く。
駅全体ではない。
戻すべき場所全部ではない。
まず、人がいる場所。
避難者が押し寄せそうな導線。
光具の周囲。
現実側の規制線。
ハレルは主鍵の熱を、ぎゅっと細く絞るように意識した。
「ノノ!」
「範囲を絞る!」
「駅全体じゃない。人がいる導線だけを支える!」
ノノの声がすぐ返る。
『了解!』
『現実側、異世界側、駅周辺の人流中心へ光路を再設定!』
『広げない。絞る!』
リオが副鍵を合わせる。
「右側を支える!」
遠く北西で、アデルの声が入った。
『左側は私が薄く支える!』
ダミエが叫ぶ。
「箱の外側も揺れるぞ!」
レアは、箱の中でじっとハレルを見ていた。
「……選んだね」
ハレルは答えなかった。
選ぶしかなかった。
全部ではなく、今守るべき場所を。
◆ ◆ ◆
駅周辺は、戻り始めた。
そして、その希望の中へ影が混じった。
警官の声。
駅員の案内。
兵士の命令。
人を守るための役割が、人から少しずつ離れ、黒い影をまとい始めている。
光路はまだ切れていない。
だが、太くすれば影も乗る。
切れば希望が消える。
だから、ハレルたちは初めて選ばなければならなかった。
全部ではない。
まず、今そこにいる人を守る。
その細い選択の上で、光路はもう一度、形を変え始めた。